2006年2月12日 【愛知県】
鳳来寺山の門前に車を止めた。
参道の1425段の階段を息もたえだえ登っていく。
かの役行者の兄弟、利修仙人が600年代前半にこの山に住みついたのが開山の始まりとされ、文武天皇、聖武天皇など、歴代の天皇や、源頼朝にも深く信仰され、江戸時代には三代将軍家光の命で東照宮が造られ、日光、久能山に並ぶ三大東照宮の1つに数えられているこの鳳来寺。
江戸のころには21院坊という盛大さを誇っていたが、次第にすたれ、現在では石段の両脇にいくつもの院坊跡の草むらが残っているのみだ。
そんな鳳来寺、そして東照宮と見て回る。
松平広忠と夫人の於大の方が子授けを祈願したことにより生まれたのが天下人、家康だったこともあり、手厚く守られていたのだろう。
山をくだりつつ30メートルという日本一高い杉を見て車に戻った。
このあたりによく出没するという仏法僧には会うことはできなかった。
それからすぐ近くに長篠という地名があったので行ってみることにした………………って、あ!!
あー、そうか、ここがかの有名な長篠の合戦の舞台なんだ。
車を走らせる周りにはのどかな農村風景が広がるのみ。
そんな静かな山里の川のほとりにやってきた。
ここが設楽ヵ原みたいだ。
戦国最強といわれ、1人の名前で1000人の敵が震え上がると恐れられた武田騎馬隊の歴戦の名将たちが、織田・徳川連合軍の使用した時代を先読みした鉄砲隊によって壊滅したのが1575年。
日本の戦の歴史が変わった瞬間だ。
武田騎馬隊の突撃を食い止めた馬防柵は、武田ファンにとっては見るのも嫌だろうが、貴重な資料として田園風景の中に再現されている。
あー、この格子の隙間の向こうで最強といわれた男たちが散っていったのか。
日本は狭い。
どこに行っても歴史があるし、俺が今立っているこの足元に倒れた者たちがいるんだよな。
そんなことを考えながら歩いていると、いきなり携帯電話が鳴った。
画面を見ると、しばらく連絡をとってなかった昔の友達からだった。
「おー、どうしたの?久しぶり。」
「おー!!フミー!!元気にしとる?!今も旅してるんやな?今どこにおるん?」
「今?愛知県の山の中。」
「ブフォッ!!ハハハハハ!!!なんつーとこおるとや!!やっぱフミ面白すぎるわ!!」
こいつと最後に会ったのは確か19歳くらいだったと思う。
あれから4年経ち、みんなそれぞれの人生を歩んでる。
20代も半ばにさしかかれば、きっと安定した仕事に就くなりして、真っ当な人生を送ってるはずだ。
そんな中、俺は今夜は愛知県の山の奥でひとりぼっちで車中泊。
子供の頃から、変わったやつ、変なやつ、何考えるか分からないって周りから言われてて、それが嫌でもあり、どこか誇らしくもあった。
高校生とかになれば、色んな地域のやつらが集まってくるので、その中で目立ちたくて余計に変わり者でありたかった。
今こうして23歳になって昔の友達から電話がかかってきて、期待を裏切らない変なことをしているのが、やっぱり俺は誇らしい。
普通、なんてまっぴらだ。
あいつはいつまでも変わってる、面白いことやってるって言われるような歳の取り方していきたいな。
さ、今夜も1人、山の中で眠ろう。
翌日。
東栄町から473号線で設楽町へ車を走らせた。
ただでさえ細い田舎道なのにさらに脇道にそれ、しばらく行って峠を越えると、いきなり目の前に風の谷のナウシカみたいな風景が広がった。
四谷の千枚田と呼ばれる、日本でも屈指の棚田だ。
こりゃ美しい。
設楽町の集落で情報収集した。
この前、静岡の1000日ライブの高橋忠史さんが、是非行ってみるといい、と絶賛していた和太鼓グループ『志多ら』の練習場がこの奥三河の山のどこかにあると聞いている。
そんな名前だけにきっと設楽町だと思いやってきたってわけだ。
が、調べを進めていくと、そのグループがあるのは東栄町っていうところだった。
なんだよ、さっきまでいた辺りじゃねぇか。
行く前にちょっと電話してみた。
「あ、あの、金丸といいます。もし可能でしたら見学とか行ってもいいですか?」
「あー、高橋さんのお知り合いですかー!!どうぞどうぞ!!是非遊びに来てください!!」
よかった。
見学者大歓迎のようだ。
1時間ほど引き返し、東栄町の市街をすぎ、山道を走りつづけると、道沿いにほんの小さな看板を発見した。
これか。
そこからさらに、正面から車が来たらどうしようもないような極細の道を慎重に走っていき、ヘアピンカーブの登り坂をあがり、ようやく『志多ら』の会社を発見した。
会社とはいってもここは昔の小学校の廃校跡地。
ここで集団生活をしながら日々、朝から晩まで太鼓を叩いているらしいのだ。
お、地鳴りのような太鼓の音が聞こえるぞ。
「あー!!金丸さんー!!どぉうぞどぉうぞー!!」
チョー笑顔で一瞬たじろいでしまうほどフレンドリーなみなさん。
靴を脱いで中に案内していただき、まず通されたのは元教室の練習場。
ここにどうぞ!!と1個だけ置いてあるイスに座る。
目の前にはバチを構えた7~8人のメンバーたち。
え?
ど、どういうこと?
ちょ、みんな顔がマジモードなんですけど…………
何がはじま…………
どぉぉぉぉーーーーーーーーーーん!!!!
うわっ!!
いきなり本番さながらの演奏が始まった!!
めちゃくちゃ目の前なので、服が震えるような振動の波が押し寄せてくる。
リズミカルで力強い音に心臓の鼓動がシンクロしていく。
一糸乱れぬ振りつけは上質なミュージカルを観ているよう。
和太鼓はいろんなイベントでちょくちょく見かけるが、こう間近でじっくり観ると迫ってくるものが違う。
こりゃすげぇ!!
ていうか俺1人のためだけにこんな本気の演奏って、どういうこと!?!
俺VIPでもなんでもないただの浮浪者なんですけど!!!
「どうぞーーーー!!!!金丸さんーー!!こっちへーーーー!!!!」
メンバーの1人が太鼓を叩きながらこっちに来て腕を引っ張り、俺を演奏の中にひきずりこんだ!!
え!!マジで!!
そういうのやと!?
ダンスとか踊りとかまったくやったことのない俺が、いきなりそんなハイテンションな中に入っていって何ができる!?
ここまできて無理なんて言えないからなんとか回りの人の動きを見てステップを合わせ、両手を上にあげたりと、糸の切れたあやつり人形みたいな動きで末代までの恥辱完成!!!
泣きたい……………
「いやー、ありがとうございます!!まぁゆっくり見て行ってください!!」
演奏が終わり、なんとかダンス地獄から解放。
ううう…………
陵辱された気分……………
ていうかここの皆さん、毎回来客があるたびにこんな気合いの入った演奏でお出迎えしてんのかな……………
心構えすげぇわ。
それからはみなさんの練習風景を見学させてもらった。
男の人の太い腕。
女の子の細いけど軽量級ボクサーみたいにひきしまった腕。
5分以上もの間あの太いバチを振りつづけ、体の半分以上もあるような太鼓を抱えてクルクル飛び跳ねて、こりゃものすごい体力だな。
しかも常に全開の笑顔。
17時に練習を終え、明日の公演のため太鼓や機材をトラックへ積みこんでいくメンバー。
俺はその間、この『志多ら』の創設時からの唯一のメンバーであり、演出・作曲まで手がける相談役、チャボさんにお話をうかがった。
『志多ら』が設立されたのは平成元年。
最初はチャボさんを含む3人からのスタートだったそうだ。
平成2年にこの学校に拠点を決め、ここから日本各地に公演に飛び回っている。
現メンバーは15人。
太鼓人ってのは我が強いからケンカが絶えないらしい。
和太鼓の形が出来上がったのは江戸時代。
芸能としての太鼓だ。
それを現代のようなリズミカルで踊って跳ねてっていうエンターテイメント性の強い形に確立したのがレジェンドである『おんでこ座』の今は亡き田耕さん。
それが50年前のことらしい。
そして今、太鼓はものすごいブームで日本中、1つの町に1グループといってもいいくらい愛好者がいる。
そんな太鼓グループの頂点に君臨するのが、鬼太鼓座。
そして鬼太鼓座から分裂してできたのが、そう、和太鼓といったらこのグループ、佐渡の『鼓童』。
全ては田耕さんから始まった物語なんだな。
「金丸さん、ご飯食べていきますよね?」
はい?
マジですか?
というわけで晩ご飯をご馳走になることになった。
学校に泊まっているのは若手だけで、中堅以上の方たちはそれぞれの家庭に帰っていく。
学校なので炊事場が広い。
みんなで手分けして料理していく。
うわー、学生時代の合宿とか思い出す!!
メシ食ったら肝だめし行こうよ!!とは今は言わないけど。
食事が済んだらみんなで合掌し声を合わせて「ご馳走さまでした」。
全員で後片付けをし、みんなそれぞれの自由時間に。
至れり尽くせりで1番風呂までいただいてしまった。
あまりにも恐縮なので、何もできないが俺も歌うくらいはしようと車からギターを持ってきた。
ビデオを見て研究したり練習したりしているみんなを集める。
みんな忙しいので手短に、でも100パーセントの力で1曲。
みんな喜んでくれた。
ちなみに1000日ライブの高橋さんがここを訪れたときには、食事前に2時間やったらしい。
いや、腹減ってるやん…………
廃校内には男子寮、女子寮があるみたいだ。
そんな中、新人の吉田君と男前のタケ君の3人で男子寮に行き飲むことに。
他のメンバーはあまり飲まないので、いつもこの2人で夜更かししているんだそうだ。
公園の時の差し入れで酒には全然困らないらしい。
街の喧騒なんてもんからかけ離れた星屑またたく山奥の暗い道を歩き、吉田君の部屋で乾杯した。
稽古場ではできなかった若手の声をぶっちゃけながら酒は進む。
「友達から飲み行くぞなんて電話かかってきたりするとつらいですね。こんな山の中なんで。」
「実は結構………………モテるんですよ。」
さっきまでクールにキメていた『志多ら』きっての男前、タク君には専門の追っかけまでいるらしい。
2人ともまだ19歳と21歳。
めちゃめちゃ遊びたい年頃。
それがこんな山奥じゃ街まで出るのも一苦労だし、休みもほとんどない。
友達から誘われても行けない。
そこまでして青春を太鼓一本に捧げている。
吉田君なんてまだ1年目の研修中ってことで給料が無いんだそうだ。
食・光熱費を払って勉強に来ている身って立場。
「毎回やめようって思っても演奏終わってお客さんの顔見ると忘れてますね。サイコーっすよ。」
熱い若者たちの話に俺も刺激をもらい、酒が美味い。
おかげで結構酔っ払ってしまい、暖かい布団に横になった。
ここは愛知の山奥。
俺は変なところにいるのか?
いやいや、この日本中、どこにだって熱く生きてるやつらがいるんだよな。
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