2006年1月23日 【関東出発】
目を覚ますとここは埼玉。
この前ハマショーのライブでやって来たさいたまスーパーアリーナに到着した。
今日の目的はライブではなく、ここの4階5階にあるジョンレノンミュージアム。
さいたまスーパーアリーナの中にはなぜかジョンレノンの博物館があるというのを聞きつけてやってきたわけだ。
ジョンレノン。
いわずと知れたロックの礎を築いた愛と平和の使者。
世界中の人が知ってるビートルズの中心メンバーで、全人類にとってかけがえのない至宝だ。
彼についてしっかり学ぶぞってわけで1500円払って入場。
ゲートをくぐると、まず最初に少年期のブースから始まる。
ミミおばさんのお話、よく遊んでいた孤児院のストロベリーフィールズの話、小中学校の札付きのワルだった時代の話…………
ロックスターには逸話がつき物だ。
特にビートルズには些細なものから派手なものまで語り継がれているエピソードが山ほどある。
驚いたのは、13歳の時にジョンが通販で初めて買ったギターが展示されてあったこと。
マジでボッロボロ。
このギターがロックの未来を開花させたのかと思うとマジで音楽史の宝そのものだ。
そして高校時代、ポールマッカートニー、ジョージハリスンとの出会い。
バンドを始め、ライブハウスで3日に1回くらいのペースでライブをしまくる。
そして20歳の頃かな?
プロ契約の話が来て、ドイツに活動の拠点を移してライブ活動。
この時代の多忙ぶりってすごい。
クラブで1日5時間以上、時には12時間以上もステージでぶっ続けで演奏する毎日を3ヵ月。
信じられん………………
俺なんて1時間のステージでもいっぱいいっぱいなのに……………
ジョンも、この時代に演奏力がついたと話している。
ビートルズはパッと出のアイドルなんかじゃない。
すさまじく厳しい下積みを乗り越えてきてるんだ。
次のブースに入る。
1963年のデビューからは全世界を巻き込んだビートルズブーム。
ヒット曲を飛ばしまくり、全世界をツアーし、映画出演、という超多忙な日々を送る。
ライブをやっても歓声がすごすぎて演奏がまるで聞こえず、操り人形のような錯覚を覚えるようになる。
そこにきてジョンの、
「今や俺たちキリストよりも人気者だね。」
の発言で、ビートルズ排斥運動が起こる。
ビートルズのレコードなどの関連品が山のように燃やされたそう。
そんなこともあり、色々嫌になったジョンはメンバーとちょっと距離を置いて、1人で行動するようになる。
そんなある日、とある前衛アートの個展に足を運んだジョン。
そこにいた1人の女性にいきなり小さなカードを渡された。
『息をしなさい』
カードにはそう書かれており、ジョンはスーハー!!と呼吸した。
それを見て笑う女性。
これがオノヨーコとの出会い。
ヨーコはジョンの7歳年上。
ビートルズが活躍していた時代、彼女も自分のアートのために世界中を飛び回っていた。
それからというもののジョンとヨーコはいつも一緒。
ジョンのレコーディングにも、ヨーコのアートイベントにも。
再び集まったビートルズメンバーは、コンセプトアルバムという概念を作りだし、よりアートな音作り、録音技術を開発していく。
常に活動の1つ1つが歴史となっていったビートルズも71年に解散。
次の『ジョンとヨーコ』のブースに進んでいくと、急に広々とした部屋になる。
まるでジョンの心の解放を表しているようだ。
バギズム、ベッドイン、などなど、悪化するベトナム戦争に対する平和運動に傾倒していくジョンとヨーコ。
過熱する学生運動、反戦運動はこの2人を祭り上げ、そのためジョンは危険な指導者として国外追放命令までうけてしまう。
常に活動を続け、世間をにぎわすこの2人。
そんな時、ショーンが生まれた。
ジョンは家に入り、主夫として子育てに没頭。
ここで5年の沈黙。
そして80年。
ジョンは久しぶりのCDを発表。
スターティングオーバーが入った『ダブルファンタジー』。
この愛をもっと高みへもっていこう……………
ここでブースは終わっていた。
え?撃たれた話は?
あの有名すぎる銃撃事件に関してはほとんど展示されていない。
まぁここに来るくらいのロックファンなら、このロック史上最も有名な殺人事件のことはよく知っていることだろうな。
ジョンは死んだ。
1980年12月8日。
1人の熱狂的なファンの凶弾により。
ビートルズ解散後のジョンの曲を聴くとなんて内省的な曲ばかりなんだろうと思う。
マザー、ゴッド、これだけでも泣きそうになる。
人間臭くて、弱くて、ノスタルジック、だからこそロックで……………
人間1人の力はこんなにも無限なんだってことをジョンの人生はまざまざと教えてくれる。
俺も何か大きなことをして、周りに影響を与えられるような男にならなきゃな。
ミュージアムを後にして清々しい気分で車を走らせる。
よーし、ガンガン行くぞー!!とやってきたのは草加市。
草加といえばもちろん煎餅。
奥州街道の名物として江戸時代からのヒット商品だ。
てなわけで町にあった伝統産業展示室というところでお勉強。
江戸時代、奥州街道沿いにとてもおいしいと評判のダンゴ屋があった。
ついでにダンゴを作っているおセンさんも美人で評判という大人気店。
でも調子に乗って団子をたくさん作りまくっていると、余らせてしまうこともしばしば。
もったいないけど捨てるしかないなぁ、と思っているところにやってきたお侍さんが一言。
「どうせ捨てるなら、薄くして乾かせば日持ちするやん。」
そのアドバイスに従って作ってみたところ、これが大ヒット。
おセンさんが平たくしたからおセンべい。
まぁ、これは俗話だけどね。
現在市内には70店ほどの煎餅屋さんがある。
一昔前は200店ほどもあったそうだが、需要が減って淘汰されているようだ。
というわけで現在営業しているお店の中でトップレベルに人気があるのは『源兵衛』の煎餅。
道の入り組んだ商店街の中にあるのでなかなか辿り着けなかったが、夜20時まで開いていたので余裕でゲット。
1枚80円。
もちろん1枚からでも買える。
「朝来ればあったかいの食べられるし、夕方来れば乾燥してバリバリだ。ウチみたいな手焼きはほとんどなくなっちまったからねぇ。地元の人でも毎朝来て1枚だけ買ってくって人もたくさんいるよ。」
煎餅のもとはうるち米。
3枚も食べればご飯1杯分に相当するんだそう。
なので煎餅とお茶でご飯代わりにする人もいるんだって。
そんな煎餅をバリッとかじる。
うん、うまい!!
キメが細かくてほんとにお米を食べてるようだ。
さてとー、明日は熊谷から行くことにして車を走らせる。
木曜に宮崎のディッキー綾部さんに紹介してもらった音楽雑誌編集者の戸塚さんという方にお会いすることになっている。
それまでに関東のめぼしい所を回ってしまわないとな。
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