2005年 6月25日 【北海道一周】
朝、車の中で起きると外はたくさんの観光客でにぎわっていた。
ここは日本の1番東、納沙布岬。
北方四島の巨大なモニュメントを見ながら歩けば、いたるところに『島を返せ!!』だの『北方四島は日本の領土です。』と書いた激しい看板が目につく。
稚内とサハリンは友好関係を結んでいるのに対し、なぜこちらはこんなにも返せ返せ言ってるんだろう?
いつかNHKテレビで見た四島の特集番組。
未だ日本人が暮らしていた当時の和風家屋が残っていて、廃墟になっていたり、新たに利用されたりしていた。
もちろんそこに暮らしているのはロシア人。
ロシアの人たちから見てもこの四島は地の果てといわれているらしく、政府は私たちのことをすっかり忘れてしまっていると文句を言っていたロシア人のおばさんの言葉が印象に残っている。
俺たち世代はあんまりピンと来ないけど、俺たちの親世代からしたら北方四島は今でも不法占拠された日本の国土っていう認識なんだろうな。
不思議な感覚だ。
根室半島を下回りで市内に戻り、根室名物のエスカロップを食べに町の中の老舗洋食屋『どりあん』へ。
豚カツにデミグラスソースがかかっていて、小学生のころよく食べていた駄菓子のビッグカツを思い出した。
うまい。
でも800円。
高ぇ。
根室を後にし、落石岬方面から霧多布岬へ。
日本一霧の多い岬ということだが今日はただの曇り。
先っちょまで歩いたけど何も見えないので車に戻った。
この岬にはエトピリカというくちばしがやたら巨大でカラフルな変な鳥が生息しているらしいが、見ることはできなかった。
牡蠣で有名な厚岸を通って釧路市に到着。
こりゃなかなかの都会だ。
今日も張り切って歌うぞー、と結構大きめな飲み屋街の中、車を止めて歩き出したんだけど、
いきなりのどしゃ降り。
屋根のある場所を探して歩き回ったがいいポジションがなくて途方に暮れてしまった。
何てこった。土曜の夜だってのに。
しょうがないので今日はもう休んで早めに寝ることに。
アルクーパーの流れる車内、日記、ギター、小説、暇することのないファントム。
翌日。
のそのそと朝6時に起床。
なぜこんなに早く起きたかというと、北海道三大市場の1つ、和商市場が今日の1発目だからだ。
ここの名物である勝手丼は、まず惣菜屋で白ご飯を買ってきて、軒を連ねる魚屋さんで海老やイクラなどを単品で買い、自分の好みと予算に合わせて好きなだけ乗せまくって食べるというもので、漁師さんたちとの交流が楽しめる1品とのこと。
食べまくってやるぜ!!!!
はい!!日曜は市場休み!!
意味無し!!!!
ムカついて釧路を出発し、とっとと阿寒湖へ。
阿寒湖といえばマリモの生息する湖として有名で、あとは温泉とアイヌのコタンで客を呼んでいる。
朝早すぎてまだチラホラとしか開いていないアイヌコタン(集落)の土産物街をぶらついてみた。
たくさんのお土産屋さんがあるが、どれも置いてるものは同じようなもんだ。
きっと機械で大量生産しているんだろうな。
中央にあるオンネチセ(大きい家)では、時期によってはアイヌ舞踊を見ることが出来るらしいが今はやっていない。
ていうかお土産なんてどうでもいい。
何よりもアイヌの方のお話が聞きたい。
そこに開店準備をしているおばさんがいたので話しかけてみた。
「すみません、この土産物屋のどれかに純血のアイヌの方っていらっしゃいますか?」
「はぁ!?そんなこと言えないよ!!」
フンッ!!とスタスタそっぽを向いてどっか行ってしまった。
え?
どういうこと?
何かまずいこと言った?
わけがわからないので他のお店に入っておじさんに聞いてみた。
「あー、そりゃ怒るよー。聞き方がいけなかったよ。アイヌ系って言わなきゃ。俺たちだって同じ日本人なんだから。それにアイヌであることを隠したがってる人だって中にはいるわけだしね。」
興味深いお話だ。
お前たちが俺たちを無理やり日本人にしたんだろう?
だったら俺たちを日本人じゃないような見方、言い方をするなよ。
ということなんだろうな。
「この前、なんちゃら大学の教授が来てなー。アイヌの人口って何人いるんですか?なんて馬鹿なこと聞いてきたのよ。それで日本の人口何人いるのよ?って聞き返したよ。1億2千万くらいですって言うわけさ。だから言ってやったんだ。俺たちもその中に含まれているんじゃないのかいってね。わっはっはっは!!」
んー……………
なんかなぁ…………
同じ日本人っていう割にはアイヌ系の人は本州の人のことを和人と言うよなぁ…………
アイヌのことに対する教育が不十分だと抗議する割には、さっきのおばさんの俺に対する言葉はあまりにも心無い。
爺さん婆さん世代は未だにアイヌに対する差別を持っている人もいるらしいが、俺たち若い世代はそんなこと気にしたりしない。
同じ日本人だ、なんて疑うまでもなくわかっている。
あんな言い方されると余計に差別を意識してしまう。
デリケートな問題だってことはなんとなくわかるけど…………
ロシア側がアイヌの人たちになら北方領土を返してもいい、と言ってると聞いたことがある。
どういうことだろ?
アイヌ系の人たちは脅威になないからいいよってことなのかな。
ていうか、北方領土占領しやがってー!!返せー!!と言っている日本人も、アイヌ系の人からしたらロシア人と同じ占領者なんだろうな。
戦時中に中国、朝鮮を植民地として向こうの人に日本の名前をつけさせたり、日本語しかしゃべったらダメとか強制していたというが、今だってそれをアイヌの人たちに続けさせている。
言語も文化も今にも消滅してしまいそうだ。
だがアイヌ系の人たちはウタリ(仲間)協会というもので団結し、その分化や芸能を絶やさないよう勉強会や地方公演などを積極的に行い、アイヌという人種がいることを広く認知してもらおうと努力している。
んー、だったら何も知らん若造にもいきなり怒らずに教えてくれればいいのに…………
同じ日本の中にもこんな未知の世界があるんだなぁって勉強になったわ。
それにしても…………アイヌ系の人と話すと言葉に気をつかいすぎて疲れる!!!
おじさんにアイヌのことを色々質問してて、気がついたらもう10時半。
やばい!!
ヒロちゃんのライブに間に合わん!!
松山千春の生家が名所になっている足寄町の古い町並みの中を駆け抜け、ラワンブキという人間の背丈を遥かに越える巨大フキの群生地を素通りし、依田勉造の晩成舎の七転八倒の苦労により拓かれた帯広の一大畑作地域もサヨウナラ。
出発の日に神秘の雲海を見せてくれた狩勝峠を越え、やっとこさ富良野に帰ってきた。
道北、道東巡りに出てからたったの20日しか経ってないのに山も畑も緑が輝き、富良野の町はすっかり様変わりしていた。
玉ネギもずいぶん伸びたなぁ。
あれほどあった雪はもう完全に消えさっており、農家さんのリニューアルした看板が観光客の目を引くように道路沿いにデカデカと掲げてある。
急いで青少年ホームのドアを押した。
やってるやってる。
どうやら間に合ったようだ。
もじもじしながらステージに出てきたヒロちゃんたちのバンド『ラブレサイン』。
うん、ちゃんと声出てるやん。
みんな堂々とやれている。
最後の曲『そばかす』を終えてそそくさと袖に消えていったヒロちゃんたち。
初めてのライブかぁ…………
俺も高校1年の時、先輩に決められた選曲でブルーハーツをやらされたなぁ。
しかもサイドギター。
ほんとはストーンズをやりたかったんだよな。
ヒロちゃん、こっからスタートラインやね。
ライブして、曲作りして、いいバンドになっていけるといいね。
ああああああ!!!!
それにしても富良野落ち着くううううううううう!!!!
道東・道北、これにてコンプリート!!!
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