2004年 11月1日
俺1人、旭川の兵村記念館というところにやってきた。
ここは北海道の開拓を行った屯田兵に関する道内唯一の資料館。
アイヌの人たちは西暦3桁のころから北海道に住んでいたのだが、和人(本州の人間)がその雄大でけがれのない大自然を切り拓いていったのは明治初頭。
その歴史を学ぶべくドアを引く。
そして開かない。
なんでや!!
「すみませーん、やってないんですか?」
「あー、10月20日で閉館なんですよー。冬期は人来ないですから。」
キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!
来た意味ねえええええええええええええええええ!!!!!!
「…………せめてパンフレットもらえませんか?」
「はい、少々お待ちください。」
そこに、奥からプルプル震えたお爺ちゃんが出てきた。
「1人………?」
「あ、はい。」
「えぇ?」
「あ、1人です。」
「あんだって?」
「1人です!!」
「あー、はいはい。」
耳に手をあててプルプルしてる。
「開けてあげてもいいんだけどねぇ、団体じゃないんだべ?これ1回蛍光灯つけると1500円かかんだぁ。蛍光灯60本あるから。」
そ、そんなこと言われても…………
まぁ、無理は言えないけど…………
「財団の基金の金利って、今すごく低くてなぁ。どこの財団も火の車だぁ。ウチも年間5000人くらいしか来ないから人件費とか光熱費でほとんど消えるしなぁ。そんで今度は屋根の張り替えだべぇ?役所から何百万か補助金がうんたらかんたら…………」
屯田兵のことは1ミリも聞けず、かわりに裏事情をさんざん聞いて資料館をあとにした。
屯田兵のことは本で勉強するか。
次に川村カ子トアイヌ記念館へ。
住宅地の一角にいきなり木造のアイヌ住居が現れる。
庭に入ってみるが誰もいない。
30分ほど人を探し回ったがマジでどこにもいない。
外にある、大きな葉っぱを幾重にも重ねて作ったアイヌ住居の中を覗くと、囲炉裏で枝が燃やしてある。
くそ、気配はあるのに姿が見えん!!
「おーい、資料館かー?」
そんなところに、どこからともなく現れたおじさん。
毛深く彫りの深い精悍な顔つきだ。
明らかに俺たちと顔が違う。
これがアイヌの人ってことだよな………?
500円払って中へ入ってみると、館内にはアイヌの衣装や生活道具が展示してあった。
子供の頃から口のまわりに入れ墨を入れるアイヌの女の子。
20歳になるとその入れ墨は完成し、口裂け女みたいな状態になる。
さすがにもう現代ではやってる人はいないだろうな。
もともとは日本全国で暮らしていたというアイヌ民族。
ウルタイ系の人種という説が強いらしい。
それが野蛮な和人に端へ端へと追いやられ、東北・北海道に住むようになったんだそう。
へー、北の先住民というわけではなかったんだ。
そうした歴史があるため、実は日本各地にアイヌ語の地名がみられるという。
ちなみに富良野の地名の由来は『フラヌイ』。
汚れた川、という意味だ。
十勝岳の噴気に由来しているとのこと。
人間は地球で1番優れた動物みたいな顔して生きている。
俺もそんな社会の中で生きてきたからそう思う。
でもそうじゃないのかもなぁ。
アイヌの人たちは、大自然の中で生きるために生きてきた。
動物を食べる分だけ獣を狩り、必要な分だけ木を切る。
熊に殺されたりしただろうし、寒さに倒れたりもしただろう。
それが当然なのかな。
人間という動物が自然の中におっぽり出されたら、食物連鎖の位置は一気に入れ替わる。
動物殺して動物保護して、人間なんてちっとも偉くないよな。
「あのー、もっとアイヌについて勉強したいんですけど、なんかおすすめの本とかありますか?」
「これに来るといいよ。」
この資料館を大正5年に建てた川村カ子トさんの息子さん、川村兼一さんに聞いてみると、1枚のチラシを渡された。
チラシには、アイヌ文化フェスティバルと書いてある。
11月14日に旭川で、アイヌ料理やアイヌ楽器、踊りの披露、アイヌ語弁論会などが行われるイベントがあるそうだ。
うおー、行くしかないやん。
この日じゃなくても旭川の市民生活館では、毎週日曜、アイヌに関する正しい知識を持ってもらうための勉強会が開かれているらしい。
「何?これからカムイコタン行くの?あそこら一帯に入る前にはちゃんとお祈りしないといけないよ。不吉な場所なんだからね。」
テキトーにラーメン食べて、死ぬほどヤベーって感動しながら車を走らせる。
市内から石狩川沿いに山道を走っていくと、奇岩・奇石の渓流、カムイコタンが横手に見えてくる。
神のいる場所という意味のアイヌ語だ。
その昔、ここには悪さばっかりする邪悪な神がいたんだけど、それを見かねた2人の神様がそいつをぶった切った。
この周辺の山にはその邪神の死体や、封印した穴なんかが残っているという言い伝えだ。
さっきのアイヌ資料館のおじさんもそういうアイヌ文化的な意味合いで不吉だと言ったんだろう。
川に架かった吊り橋から渓流を眺めながら対岸に渡る。
確かに奇妙な形の岩がたくさん見られるし、甌穴もある。
奥のほうに行くと、『立入禁止』のフェンスに塞がれた、今にも崩れ落ちそうなトンネルがあった。
廃線になった線路跡らしく、レールがそのままに残されていて、真っ暗なトンネルの中に続いている。
こりゃ不気味だ。
天気も悪いし人っ子1人いないのでさらにおどろおどろしい。
あそこは不吉な場所だからっていう、川村さんの言葉が頭をよぎる。
するとその時、後ろから足音が聞こえた。
え!!!!?
こんなところに!!!
パッ!!と振り返ると、向こうのほうから枯葉を踏みながら若いカップルがこっちに歩いてくる。
「こんにちはー。」
「あ、こ、こ、こんにちは…………」
俺の横まで来た2人。
なにするのかと思ったら、平然とフェンスを乗り越えトンネルの中に入っていく。
え?何だ何だ!?
何してんだ!?
暗闇の中に見えなくなった2人。
俺もフェンスを乗り越えトンネルに突入した。
100メートルくらいだったかな?
トンネルを抜けた。
そこには寂しく荒れ果てた線路跡が枯れ木の間に伸びていた。
…………あの2人がいないんですけど…………
いや、すれ違わなかったよな……………?
周りを見渡しても人影はない。
そんなに離されてないはずだし、一本道のトンネルだから追い越したり曲がったりなんか絶対ない。
え?マジでどこ行ったんだ…………?
不吉な場所って言葉が頭をよぎる。
…………………………………
なんか怖くなってまたトンネルをくぐって車に戻った。
後から聞いたらこのトンネル、北海道指折りの激ヤバ心霊スポットだった…………
完全に普通の人間だったよな、あの2人…………
今日はこの辺にして富良野に戻った。
北海道にはまだまだ行くべきところ、勉強すべきことが腐るほどある。
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