2004年 7月10日 【岩手県】
ああああああ…………
暑い…………
マジで車の中で干からびてしまいそうだ…………
車中泊は金かからなくてそりゃいいもんだけど、夏にエンジン切って車の中で寝るのってめっちゃしんどい…………
すぐ職務質問されるし、全員に貧乏人扱いされるし。
まぁものすごく貧乏なんだけど。
あと俺はそんなイメージなかったけど、こうやって東北の田舎で県外ナンバーが車中泊してると、なんか後ろめたいことがあって逃げてきた流れ者みたいな疑いをかけられるみたい。
北の地ってのはそういう人たちが逃げのびる方向だったりするみたいだ。
とにかく暑い……………
寝不足だけども今日から岩手県スタートだ。
このクソでかい県をどうやって回っていこう。
今日は土曜日。
話ではここから少し北に行ったところに北上市ってところに結構栄えた繁華街があるみたいだ。
県南は明日から回ることにして、今夜はとりあえず北上市で歌おう。
というわけで北上市に到着し、駅で情報収集。
この町なんもないなぁと思っていると、唯一ここから山奥に行ったところに夏油温泉ってとこがあるみたい。
あっ!!
そういえば下調べしていた情報では、7~8月の毎週土曜の夜に、この夏油温泉で鬼剣舞という舞が見られるんだ。
そりゃ行くしかない!!!
早速車を走らせて行くと、途中に鬼の館という博物館があったので寄ってみた。
東北は鬼の故郷。
なまはげを代表とするたくさんの鬼が、お祭りや行事に登場する。
館内にはそんな日本各地の鬼にまつわる歴史や定義、人間との関わりの解説や、神楽面なんかが展示されていた。
昔の人たちは雷や台風など、理解できない天災を鬼の仕業と考えていたそうだ。
外国では悪魔と呼ぶものが日本では鬼なんだな。
江戸時代とかの昔の絵に描かれている、あのなんとも醜い赤や青の鬼、そのほかにも化け猫とかぬらりひょんとか、科学のなかった時代の人たちは思い込むことによってそういったモノノケたちが見えていたのかもしれない。
鬼って民俗学の入り口だな。
そこから細い山道をズンドコズンドコ登っていく。
凄まじい山奥。
マジでこの先に温泉なんかあんのか?
ホント昔の人ってどうやって辿り着いたんだよ。
まぁ予想通り、平家の落人の末裔が狩りをしていて白い猿を追っかけてったら、その猿がここのお湯で傷を癒していたっていうよくある伝説。
それが1300年代のことらしい。
もう一説は、慈覚大師が850年ごろに見つけたってのもあるが、マジで慈覚大師も弘法大師も徳一上人も、道も何もなかった時代にこんな山に入って歩き続けて、
「あ、もういいや、この先何もなさそう、戻ろ。」
ってなんなかったのかな。
飯とかどうしてたんだろ。
どん兵衛ないのに。
平家落人は死にたくないから奥地に逃げたっていう理由があるけど、この人たちはどうなんだろ。
布教?苦行?お告げ?それとも俺みたいな好奇心?
なんにしても昔の人たちのフロンティアスピリットってすごい。
『冬季閉鎖』
と書かれた看板がいたるところにかかっている山道を進み続け、道がどん詰まったところに夏油温泉はあった。
ボロボロの宿が3軒あるだけ。
秘湯を守る会は景観を損なわないために、なるべく人工物を作らず古い建物のままでやっていくという会だけど、この夏油温泉ももちろんそのひとつだ。
夏油元湯は廃墟のようなコンクリートの施設で、食料を持ち込んで自炊し、ただひたすら温泉につかるだけの毎日を何日も過ごすという場所。
これを湯治っていうらしく、ずっと昔からある風習というか健康法みたい。
周りには7つの野天風呂が川沿いにポツポツと点在しており、その内の5つに400円で入り放題というから嬉しい。
早速俺もタオルだけ持って温泉へ。
どこの湯も30メートルくらいしか離れていないので、みんなタオルで股間だけ隠しながらノソノソ歩いている。
森の中の源流沿いを裸の男たちが20人くらい歩いているという異様な光景。
さすがにおばちゃんたちは、「あらあああ、大変だわああああ。」って言いながら男の股間から目を背けて、1回1回服を着て移動している。
さーて、俺も温泉入るぞおおお!!!
って湯に足をつけた瞬間、ぎえええええ!!!って飛び上がった。
湯の温度60℃の「大湯」は、さすがに江戸っ子でも厳しい熱さだよ…………
しばらくすると雲行きが怪しくなってきた。
ほどなく雷鳴が轟き始める。
こんな秘境で雷雨の夜。
松本清張の世界だったら間違いなく誰か死んでるような隔絶された山の中、鬼の舞が始まった。
鬼剣舞とは、もともと1300年前から祝い事や戦の出陣前などに舞われてきた民俗芸能。
ホントはかがり火公演といって、外の広い駐車場で火を焚きながら舞うそうなんだが、この雨のせいで宿舎の広間で行われた。
ちなみに北上市は民族芸能の団体数が日本一なんだそうだ。
太鼓、笛、鐘によるお囃子に合わせて踊る男たち。
頭を振り乱し、スピーディーかつ豪快な動きだ。
床板を踏み抜くんじゃないかと思うほどの力強い足踏み。
ハァッ!!オリャア!!という掛け声。
こりゃあ例え観光客向けの出し物だとしても、ものすごく見応えのあるものだよ。
舞は3演目で終了した。
たった今、家で暇だーーーーとか言いながら筋肉番付なんかを見てる人が何人いるだろう。
こんなエキサイティングなことがここでは行われているのに、それを知らないままに過ごす人生が嫌で俺は旅に出た。
今日もいいもん見逃さないですんだ。
豪雨の中、ゆっくりと山道を降りていく。
外灯なんてひとつもない深い山が、雷の光で稜線を現す。
天災というのは、何も人がいるところにだけやってくるものではない。
深い深い苔むした森の奥にも雷は落ちるし、広大な海原にも雨は降り続ける。
その場所にたまたま人間がいただけの話だ。
ようやく山を降りて北上市内にやってきた。
うん、なかなかの繁華街。
昼間はあんなに寂れた町だったのに、夜になるとこんなに賑やかなんだな。
小雨は降っているが、なんとか軒先で歌い始めた。
1曲目が終わった頃には土砂降り。
大慌てで車に戻って、この日は早めに寝た。
翌日。
雨のおかげで気温が上がらず、睡眠が快適すぎて11時くらいまで眠ってしまった。
ああ、久しぶりにこんなにゆっくり寝られた。
今日はまず南下して県南の一関から攻めることに。
厳美渓は磐井川両岸に続く奇岩の美しい名所。
雨の中多くの観光客で賑わっている。
名物のカッ公団子、またの名を空飛ぶ団子は、川の対岸にある団子屋さんで買うんだけど、こんな対岸からどうやって買うんだ?
と思って見ていると、向こうの団子屋さんから河原の休憩所にワイヤーがのびていて、そこにかかっているザルに300円を入れて木槌で板をコンコンと叩く観光客のおじさん。
すると団子屋さんの人がカゴをスルスルと引っ張り上げ、お金を回収したらまたカゴがシューっと降りてくる。
カゴの中には3本の団子とヤカンのお茶。
厳美渓は団子が飛ぶのもセットの名所なのでほとんど全員が食べる。
アイデアひとつでこんなに儲かる。
次に平泉の達谷窟へ。
征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷のボス、悪路王をこの窟にて撃破。
清水の舞台を真似て作った毘沙門堂という赤いお堂がある。
ホント坂上田村麻呂と蝦夷の話ってそこら中にある。
彼は当時悪行三昧を働いていた蝦夷たちを討伐した英雄というイメージしかなかったけど、実はそれは一方的な見方で、東北の人たちからすると占領しにやってきたただの侵略者、という考え方もあるみたい。
アメリカを開拓した白人たちはインディアンを虐殺した血も涙もない存在としていつも悪役。
じゃあ東北の蝦夷たちがインディアンのように同情される存在なら、坂上田村麻呂はホントはめっちゃ悪人だな。
ちなみに毘沙門堂の脇にある高さ16メートルの磨崖仏は、日本の北限の磨崖仏らしい。
お堂の秘仏は慈覚大師の作。
他にも平安後期の一本彫りの大仏なんかもあり、これで300円は安い!!
平泉は平安末期に黄金の産出による財力でブイブイ言わせていた奥州藤原氏3代の文化遺産がいくつも残る町。
もっとゆっくり回りたいので、今日はこの辺にして酒蔵の下調べをすることにした。
偶然見つけた酒販店で岩手のお酒ことを聞いてみた。
めっちゃ愛想の悪いおばちゃん。
「へー、酒蔵を回ってるの。宮城はどこがよかった?」
なんか偉そうな感じで聞いてくるおばちゃん。
え、なに?
めっちゃ試してくるやん。
本当に酒蔵巡りなんかしてるの?みたいな雰囲気が顔に出てる。
いつも思うけど、酒蔵の人ってみんなめっちゃ腰が低くて、謙虚でいい人ばっかりなのに、酒販店の人はめっちゃ偉そうにしてくる。
若造が生意気に、みたいな感じですごい上から目線なんだよなぁ。
これなんでなんだろな。
「ありがとうございました。明日蔵に直接行ってみたいと思います。」
「え?蔵に行く?」
「はい、試飲もしたいので。」
「そんな都合のいい。」
馬鹿にしたように言うおばちゃん。
オオオオオオラアアアアアアア!!!!!
お前なんなんだよさっきからコノヤロウ!!!!
何が都合がいいんだよ試飲の!!!!
試飲してから買いたきゃ買うわ!!!
「ゆっくり試飲してください。あ、もちろん試飲したからって買わなきゃいけないわけではないので。もしそう思わせてしまったら私の力不足です。」
って言ってた栄川の杜氏さんのウンコ食えこのクソババア!!!
というわけでムカつきながら車を走らせ、前沢町にある舞鶴の湯って銭湯へ。
クソババアぼけぇぇぇ…………ってむしゃくしゃしてたけど、銭湯代500円が19時以降は300円になりますって言われてちょっと機嫌直った。
さっぱりして車の中で爆睡した。
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