こんにちは!神田です。
タイのバンコクで両家の両親と1週間一緒に過ごしたあとにフミくんとまた二人旅に戻ってから、
フミくんがすごく優しくなった気がして嬉しいです。
いつも優しいんですけどね、でもなんだか最初の頃の二人に戻ったみたいな優しさで、親と一緒に過ごして何かを感じたのかなぁ。って思いました。
私も両親と話したり過ごすことで、いろいろ学ぶ部分とか改めて気づかされることがたくさんありました。
やっぱり理想の夫婦は両親だなーっていうのも再確認できました!
おわり
2018年2月19日(月曜日)
【中国】 大理
シャワーを浴びてヒゲを剃る。
バッグの底に埋まってる冬用のコートを取り出し、革靴を履く。
鏡を見て、身だしなみを整える。
やっぱりあの人が昨日不在で会えなかったのは良かったかもしれない。
ちゃんと綺麗な格好じゃなきゃな。
それに1日空いて、心の準備も整った。
3年半前に俺のことを救ってくれたあの人。
よし、カンさん会いにいくぞ。
宿の外に出ると、朝の冷たい空気が立ち込めていた。
青空にそびえる屏風のような山の山頂付近には白いものまで見える。
おお、久しぶりの雪だな。
明るい中で見る大理の町は相変わらずの時代劇のセット。
歴史ある古民家がひしめき、楼閣がそびえ、本当に向こうから馬に乗った関羽でも走ってきそうだ。ヒゲをなびかせて。
朝の古城はまだそんなに観光は多くない。
誰もがコートを着て歩いている。
笑ってる人、怒ってるような人、
中国人の表情はどこか読みづらい。
こんなに似てる顔なのにな。
まだ全然中国人のことが理解できてない。
親父と息子がまったく同じ顔。
壮大な南門を抜け、ローカル食堂街へ。
これから始まる1日の商売のために、各食堂の前では、おじさんおばさんが野菜やお肉を切って下準備をしている。
朝ごはんを食べる人でにぎわう麺屋さんでは白い湯気が上がっており、とても風情がある。
そんな食堂街から脇道に入って、角落客桟に向けて歩く。
ふう…………やっぱりドキドキするな。
カンさんはきっと俺のことを覚えてくれている。
3年半も前のことだけど、あの1週間は結構濃厚な時間だったと思う。少なくとも俺にとっては。
カンさんは、お礼なんかいりません、ただフミさんが日本に帰って、この旅の本を出版するのならどうか送ってください、と言っていた。
そして俺は日本帰って、世界の路上で生まれた奇跡という本を学研から出版した。
ページと編集の都合上、中国編を載せることはできなかったんだけど、俺ちゃんと本出版できましたと伝えたくて、国際郵便でカンさんに本を送った。
カンさんからの返事がなかったのは少し気になっていたけど、あのカンさんならきっと俺のことを覚えてくれてるはず。
角落客桟の中に入ると、ゆうべのおばさんスタッフと、もう1人おじさんスタッフがいた。
おばさんスタッフは俺たちの顔を見るとすぐに理解してくれ、レセプション横の部屋に案内してくれた。
そこは散らかった部屋で、スタッフルームなのかなんなのか。
とにかくここでカンさんを待てばいいのか、と思った。
なんだかソワソワしてしまい、部屋の入り口でカンさんが来るのを待つ。
目の前にはみんなでバーベキューをした懐かしい中庭。
懐こい犬と遊んでいた石段。
その奥には見覚えのある関羽の顔をモチーフにした飾りがかけられてある。
中国ではよく見かけるこの関羽の飾り。
あの頃、真っ赤だった関羽が、3年半の間に色あせて白くなってしまっていた。
しかし、いくら待ってもカンさんは現れない。
というかスタッフのおばさんもカンさんを呼んでいるような様子はない。
どういうことだ?と思ってると、おばさんがこっちに来て、上を指差して中国語でまくし立ててくる。
上?
上の階にカンさんがいるのか?
頑張って、カンさんはどこですか?カンさんを探してるんです、とカタコトの中国語とジェスチャーで伝えようとする。
しかしおばさんは何度も部屋を指差す。
ただただ部屋を見せてこようとする。
やっと分かった。
このおばさんもおじさんも、何ひとつ理解してねぇ………………
俺たちがカンさんを探してることなんてまるで分かってなくて、ただ部屋を探しに来た宿泊希望の外国人観光客としか思ってなかったんだ。
俺たちに部屋を見せて、この部屋でいいかい?それとも上の階がいいのかい?と聞いているんだ。
昨日来た時に、ジンティエンメイヨー、ミンティエンヨー、今日はノーだけど明日はオーケーだよと言っていたのは、カンさんのことではなく、ただの部屋の空き状況のことを言っていたんだ。
違う!!!
そうじゃないです!!!
なんとか必死に説明しても、まるで理解してくれないおばさんとおじさん。
魚と鳥が会話してるような感じだ。
もうラチがあかないので、ワイファイを教えてもらい、俺の過去のブログを開いて、この角落客桟の写真とカンさんの写真をおばさんたちに見せた。
そしてグーグルの中国語翻訳で、この人を探しています、この宿のオーナーです、と書いて見せた。
どんなに勘が悪くてもさすがにこれで分かるだろ。
しかしおばさんとおじさん、しげしげと写真を見つめ、あー、この駐車場はここだねぇ、うんうん、飾りも一緒だね、うんうん、それじゃあ泊まるのはこの部屋でいいかい?それとも2階の部屋?と、まだ俺たちが宿泊希望者だと思ってる。
いい加減分かるだろ!!!!
何考えてんだよ…………
何度も何度も何度も何度も、ものすごく簡単に、丁寧に、分かりやすいように、中国語翻訳で短い文章を書いては見せて書いては見せて、この宿のオーナーであるこの男性に会いに来ました、この男性を探しています、今日はいますか?と繰り返し聞いた。
するとようやく、ようやく、少しずつ、俺たちが何を言ってるのか理解し始めたおじさん。おばさんは全くダメ。
そしておじさんがおばさんに中国語で説明すると、やっとのことで、ここで意思が疎通した。
はぁ、もう何でこんなわかんねぇんだよ。
が、ここで信じられない言葉を耳にした。
「メイヨー。」
いない、ということだった。
えー、マジかよー…………
やっぱりチャイニーズニューイヤーで里帰りしてしまってるのかなぁ…………
だとしたらいつ帰ってくるのかなぁ…………
仕事熱心なカンさんのことだから、そんなに宿を放ったらかしてるような人ではないと思うけど…………
が、どこか様子が変だった。
まずカンさんの写真を見せた時点で、おじさんおばさんの反応が薄かった。
普通、自分が働いてる仕事場のオーナーの写真を見たら何かしら反応があるはず。
なのに全くといっていいほどの無反応だった。
おかしい。
グーグル翻訳で、彼のことを知ってますか?と書いて見せた。
するとなんと、おじさんもおばさんも首を傾げた。
そして知らないというようなことを言った。
え?なんでだよ?この宿のオーナーだぞ?
自分の職場のボスを知らないってどういうことだよ。
それともカンさんが3年半の間にすごく大社長になって、現場にあまり顔を出さないような多忙な人になってしまったのか?
3年半前に私はここに泊まりした。彼は私を助けてくれました。
またグーグル翻訳にそう書いて見せる。
するとまたおばさんが、中国語で色々まくし立てる。
外国人がまったく中国語を理解してませんよ、だから翻訳を使っているんですよ、ということを1ミリも配慮しないで最初から最後までひたすら中国語オンリーで話し続けるおばさん。
これはおばさんだけじゃなくて、ほとんどの中国人がそう。
相手が中国語がわからなかろうが、まったくお構いなしに中国語しか喋らない、それが中国人。
ノーチャイニーズ、イングリッシュプリーズすら理解してもらえないんだからしょうがい。
イエスもノーもわからん人がほとんどのはず。特に40歳以上の人は。
しかし、かろうじて雰囲気は分かる。
日本人なので漢字の音読みはわかる。
そこから想像力をフル回転させれば、なんとなく言葉の端々はキャッチできる。
もしかして…………
そう思って、経営者が変わったのですか?とグーグル翻訳に書いた。
おじさんおばさんはそれをまたしげしげと眺め、そして、
うなづいてしまった。
頭が白くなる。
う、嘘だろ?
カンさんが、ここにいない?
ここはもうカンさんの宿ではない?
え、ちょっと待て。
俺はカンさんの連絡先を知らない。
前回はまだVPNの使い方も知らなかったので、中国にいる間は誰とも音信不通のまま旅していた。
なのでフェイスブックも交換できなかったし、中国で一般的なSNSもやり方がわからなくて手を出さなかった。we chatとか。
連絡先を知らなくてもここ来れば会える、と思っていたのに、こんなこと全然想定していなかった。
嘘だろ?
カンさん何があったんだよ?
あのカンさんがなんで宿を手放したんだ?
とにかく、おじさんおばさんに彼の連絡先を知りませんか?と尋ねてみた。
しかし首を横にふる。
そしてまた中国語でまくし立ててくる。
もう何を言ってるのかまったくわからないし、未だに俺たちを宿に泊めさせようとしてくるので、たまらず外に出た。
周りの人たちに聞こう。
カンさんは友達の多い人だった。
いつも近所の人が宿に出入りしていたし、必ず誰かカンさんの連絡先を知ってる人がいるはずだ。
隣の宿に行って、カンさんの写真と、彼を知ってますか?という中国語を見せる。
確実に知ってるはず。
なのに、受付の兄さんは首を傾げた。
知らないと言う。
はぁ!?嘘だろ!?
すぐ目の前の宿のオーナーだった人だぞ!?
たった3年半前だぞ!?
次の宿にも聞いてみた。
しかしここでも古そうなおじさんが顔をしかめて知らないと言う。
絶対おかしい!!!!
その先にある小さな商店のおじさんに尋ねてみた!!
ここならば確実にカンさんも買い物をしているし、ご近所さんのはず!!
が!!また首を振るおじさん!!
え?あれって体調を壊して意識が朦朧としていたことで見ていた幻覚だったのか?
あの日々って全部俺の頭が作り出した妄想だったのか?
いやいやいや!!!!!!!
一緒にタバコに火をつけあって、何度も乾杯して、一緒にバーに行って、一緒にご飯食べて、色んな話を聞かせてもらった!!!!
アレが幻覚なわけねぇ!!!
なのになんでこんなにまで誰もカンさんのことを知らないんだ?
まるで町の人たちの記憶から綺麗さっぱり消えてしまってるかのようだ。
角落客桟の真横の民家の前でお婆さんが掃き掃除をしていたので、同じように聞いてみた。
すると、そのお婆さん、あー、はいはい、と角落客桟を指差した。
やっとカンさんのことを知ってる人を見つけた!!!!
彼のことを知ってますか?とスマホの画面を拡大して見せても、お婆さんは目が見えないみたいで、ちょうどそこに通りかかった子供連れのおじさんを引き止めた。
おじさんはこの近所の人みたいだった。
カンさんの写真を見せる。
するとおじさんも、あー、とすぐにわかってくれた。
子連れのおじさんは、指を2本動かして歩くジェスチャーをして、ここから去ったんだよ、という意味のことを言った。
マジか………………
連絡先や友達は知りませんか?と聞いてみたが、まったく分からないみたいで、おじさんは歩いて行ってしまった。
なんで…………
町の人たちの様子から、カンさんが去ったのは最近のことではないようだった。
しかもあんなに記憶から消えるなんて、まるでこっそりと姿を消したようにすら思えてくる。
カンさんはとことんお人好しだった。
見ず知らずの俺のことを助けてくれたし、あんまりお人好しで人にお金を頼られることも多かった。
数人に、半端じゃない金額を貸している話も聞いていた。
きっと戻ってこないから頑張って働いて稼ぎますよ、ハハハ、
と笑っていたカンさん。
もしかしたらそうしたことでお金が必要になって、全てを売ってしまったのかもしれない。
もしかしたら、日本から送った本も、カンさんの手に渡らなかったのかもしれない。
だから返事がなかったんだ。
トボトボと歩いた。
嘘だろおおおおお………………
お腹が空いて、ゆうべも行った手打ち麺屋さんに入った。
お客さんが多くて、俺たちのテーブルに相席の母子が座ってる。
小さな子供がぐずっていると、いきなりお母さんが中国語で何か言いながらそのまだ髪の毛も生えそろっていないような子供の頭をバチン!と叩いた。
激しく泣きだす子供。
それにイラついてまたバチン!!と叩くお母さん。
殴ったところでその子供は何がいけないことなのかも理解できないというのに。
そんな惨状に対して、周りのお客さんたちは何も言わない。
平然とご飯を食べている。
店内でタバコを吸ってるオッさん。
怒鳴り声で会話する人たち。
子供をひっぱたくのは、それらと同じような中国では当たり前のことかのよう。
そんな母娘の目の前でチャーハンと牛肉麺を食べる。
あの1週間の間に、カンさんと故郷のことについて話したことがあった。
カンさんの故郷は内モンゴル。
中国北部の、モンゴルと接したエリアだ。
果てしない草原が広がる僻地。
風が強く、寒くて、夜には狼が出るので危ないですと言っていたカンさん。
男たちは気性が荒く、力が強いらしく、カンさんもそんな内モンゴルの出身なので背が高く骨太で精悍な人だった。
一瞬、内モンゴルにカンさんを探しに行くか?と思った。
1人の恩人を探して中国の秘境に行くか?
しかし3年半前にカンさんに見せてもらった故郷の地図なんてもうまったく記憶に残っていないし、内モンゴルは日本と同じくらいの面積がある。
そんな中を写真だけを頼りに人探しするなんて、無限に時間がない限り不可能だ。
そもそも内モンゴルに戻ってるかさえわからない。
上海にいるかもしれないし、外国にいるかもしれない。
もはや絶望的だ。
チャーハンが美味しい。
でも心は沈んでいた。
カンちゃんも、カンさんと会うのをとても楽しみにしてくれていたので、2人してガックリと肩を落とす。
食堂のオバちゃんにカンさんの写真を見せるが、やはり首を横にふるのみ。
どうしよう。
カンさんに会うことが中国に来た理由の半分くらいを占めていたのに、こんなことになってしまった。
カンさんがいないのなら、大理にも長居する理由はない。
ああああああああ、ちくしょおおおおおおおお………………
はいそうですか、で諦めらんねぇよ…………
ご飯を終え、古城に戻り、どこか換金できる場所はないかと探し回り、中国銀行にやってきた。
中国はマジで外国人旅行者のことを相手にしてないので、町に換金屋なんてもんがない。
中国銀行に行くかATMだ。
そんでここで換金をしてもらったんだけど、書類が10枚くらい出てきて、全てに記入したりサインしたりして、換金ごときでめっちゃおおごと。
パソコンに様々な情報を打ち込んだり、上司が指紋認識許可をしにやってきたり、何かデカい取引でもしてるんですか?って感じで20分もかかった。
ラオスならパスポートも書類も何もなしで、金渡したら2秒で換金してくれたんだけどな。
本当に中国は外国人が旅しにくい国だ。
東南アジアまではあんなにうなるほど欧米人まみれだったのに、中国に入った途端、全然いなくなった。
冒険好きの欧米人。
マジに冒険とカルチャーショックを求めるなら中国は最適の国なんだろうけどな。
まぁ欧米人に中国はめっちゃハードル高いだろうけど。
その点、日本人はまだ漢字でなんとなく意味がわかるので、中華圏以外なら日本人が世界で唯一、中国を旅しやすい国民だ。
すごいよなぁ、中国と日本だけなんだよなぁ。漢字を使う国って。
国の生い立ちがよくわかるよな。
カンさんと会えなかったことでめっちゃ凹んでしまったけど、やることをやらないと日本までたどり着けない。
路上やらないと。
また時間が随分空いてしまったけど、最近はいつも曲作りをしていたので指先はまだ固いままだ。
ギターの弦を張り替える。
色んな想いが蘇る。
人で溢れかえる古城の中、ギターをかついで歩き、まずやってきたのは人民路。
古城の中でもオシャレなカフェやレストラン、レトロモダンなお店が並ぶ人気ストリート。
古城のど真ん中だ。
この大理の中で唯一、路上演奏をしていいのがこの人民路。
前回大理で歌ってる時は怖いもん知らずで、メインストリートのベストポジションとか、楼閣の足元とか、とにかく1番人が集まる目立つ場所で強気でやりまくっていた。
が、警察に捕まり、警察署に軽く監禁され、次見つけたらギター没収とまで言われてめっちゃ怖い思いをした。
そんな中、どこかやっていい場所はないですか?と頑張って警察に聞きまくると、警察は人民路ならやってもいいぞと教えてくれた。
そっからはもう大フィーバー。
大理は夕方からさらに人が増えて活気づく町で、夕方から夜にかけて人民路で歌いまくった。
人だかりが半端じゃないことになり、道を塞ぐほどだったよなぁ。
中国は稼げる。
前回と違って今は中国語の看板もあるし、中華圏では日本語の曲がウケるということもシンガポールで実証してる。
前回で1万円以上稼げていたので、今ならもっともっといくはずだ。
というわけで人民路にやってきたんだけど、相変わらずここはオシャレなお店が多いなぁ。
古民家をモダンに改装したカフェ、ボサノバが流れるレストラン、オシャレな小物のお土産屋さんがズラッと並んでいる。
そんな店舗の隙間隙間、閉まっているお店の前とかで、アクセサリーなんかの路上販売をしてる人たち。
手作りのシルバーアクセサリーとかマクラメの編み物とか、ヒッピー系のものが多い。
髪の毛にカラフルな紐を編み込むという子供向けの商売がバカ流行りしており、ものすごい割合で若い女の子たちが髪の毛に紐を編み込みまくっている。
幼稚園の発表会で着てたようなヒラヒラのフリルワンピースを着た年ごろの女の子が髪の毛にそれをつけて、さらにクレオパトラみたいな飾りをおデコにつけている。
それをおばちゃんとか、男の子もやってる。
花かんむりを載せてる人もいるし、ルイヴィトンの謎のスウェットとか着てるし、こんな帽子かぶってる人もいるし。
なんで…………?
マジで世界のファッションの流行を完全無視したスタイル。
何にも囚われていないから、ある意味、無限大の広がりがある。
中国人のセンスは中国人じゃないとわからんなぁ。
他にもシチリアでよく見ていたテーブルに叩きつけてベチャっと潰れるジェルのボールとか、ハンドスピナーとか、カラフルなワンピースを手に持って売ってる女の子集団とか、チベットのマニ車を売るお婆さんたちとか、相変わらず大理にはこうした路上販売の人たちがたくさんいる。
みんなだいたい同じようなものを等間隔で売っており、結構組織ぐるみでやってるのかなって感じだ。
石畳の細く長い道がどこまでも伸びている。
湖へ続く坂道、背後には迫る山並み。
梅なのか桜なのか、薄ピンクの可憐な花を咲かせる街路樹が並んでいて、とても風光明媚だ。
空は抜けるように青い。
閉まっている店舗の前でギターを構える。
久しぶりの路上なので1人でのんびりスタートしたいのに、ギターを構えた時点ですでに30人ほどの人だかりができて俺のことをマジマジ見つめている。
中国人は珍しいもの大好き。
そして行列に並びたい人種なので、人だかりができていると、なんだなんだ!?すごい人なのか!?とどんどん膨れ上がっていく。
えええい!!!もういいか!!!
いくぞ!!!
もうすっごい。
半端ない人だかり。
たまに荷運びのバイクとかが通るんだけど、あまりの人だかりで通行の妨げになってしまうほど。
結構気まずい。
チップも乱れ飛び。
あっという間にギターケースが中国元紙幣で埋め尽くされていく。
基本は写真を撮って歩いていく人たちばかりなんだけど、とにかく人通りが多いのでバシバシお金が入っていく。
こりゃヤベェ!!!
前回の勢い完全に超えている!!!
中国語の看板の効果マジですげぇ!!
そして日本語の曲が尋常じゃないくらいウケる!!
特に、時の流れに身を任せの爆発力がすさまじすぎる!!
この曲になった途端、ものすごい人だかりになってチップが乱れ飛ぶ!!
そりゃこんだけ英語が喋れない国民だもんなぁ。
前回は英語の看板で英語の曲ばかりやってた。
それで1万円を超えていたんだから、今回はその比じゃない。
中国では中国での稼ぎかたがある。
残念ながらあまりにも人だかりがすごすぎて、向かいの屋台のオッちゃんから通行の邪魔だろう!と苦情が入ってしまい1発目は20分くらいで終了。
周りの観客が、メイクワンシーだからやりなやりなって言ってくれたけど、地元の人から苦情が出たらキッパリやめないと。
また次の場所を探して歩く。
人民路のメインエリアは500メートルくらいあるので、場所は他にも色々ある。
それにしても路上販売の人たちを観察していると、なにやらひとつの法則に気づく。
みんな閉まってる店舗の前の空きスペースに陣取ってアクセサリーなんかを売ってるんだけど、みんな綺麗に歩道の上に品物を広げており、車道には物を出していない。
これはそういうことなのかな?
車道では商売をしたらいけないという決まりがあるのかもしれない。
中にはかなり攻めたオモチャ売りの人やフルーツ売りの人が車道の上で店を広げているけど、そこに警察がやってくると、オモチャ売りの人は2秒で品物をまとめてシュパーっと華麗に逃げていく。
フルーツ売りのおじちゃんは逃げ遅れて警察に怒られていた。
それ以外の、歩道の上でやってる組にはなにも言わない警察。
さっき俺が歌ってる時も2~3回警察が通ったけど何も言われなかった。
そういうことなのかな。
前回来た時は誰でも自由にこの人民路の路上で商売ができた。
俺もベスポジにある薬局に50元(850円)払って、許可をもらって店先でやっていた。
3年経ってだいぶ雰囲気は変わってるけど、みんな何かしらの決まりや暗黙のルールを持って頑張ってるんだろう。
早いところ大理の感覚をつかまないとな。
それからも何ヶ所かでやってみるけど、人だかりがどうしようもないほどすごくて近所のお店から苦情が来てしまってストップ。
1ヶ所だけ警察にも注意された。
昔に比べてカフェやレストランから音楽が流れ出ており、なかなかいいポジションが確保できない。
でも入りかたはすごい勢いなので、このゲリラ戦法で回ったとしてもかなりのあがりになりそうだ。
みんな日本語でアリガトウとかコンニチハって声をかけてくれる。
日本人だから冷たい目で見られるなんてことは皆無。
むしろみんなめっちゃ日本のことが好きそうだ。
それからも他の場所でやってみたけど全然ダメで、カンちゃんの体調が悪くて一旦宿に戻って休憩。
俺は日記書き。
俺たち、どっちかが体調壊したら必ずどっちともダウンするよなぁ。
夜ご飯にネットで見つけた鳥鍋屋さんに行って、生姜のきいた鍋と白米を食べたら気合いをいれて夜の部スタート。
夜の古城はとんでもない数の人で溢れており、もう完全にお祭り状態。
どっかの花火大会みたいに大混雑して、まともに歩けないくらい。
いやー、イライラする。
あまりにも人が多くてすぐふんづまったり体がぶつかったり思うように歩けない。
しかもその人混みが全部、人のことを気にしない中国人だから大変。
向こうから歩いて来て、このままだと確実に激突するので俺が避ける。
中国人は避けない。
あんまりこればっかりなので、俺が避けなかったらどうなるんだろう?と思って実験してみると、実際に激突した。
向こう避ける気なし。
もうこれヤクザが中国行ったら超忙しいですよ。因縁つけ放題ですよ。
あーぁ~、肩の骨が折れちまったなぁ~、こりゃ慰謝料だなあ~~?
って言ってる間にも35人くらいにぶつかられますよ。
そしてこの大混雑の中で平気で歩きタバコをするオッさんたち。
しかもタバコの先端を自分のほうに向けたりせずに、当たり前のように外側に向けて歩いてる。
子供が走り回ったりしてるのに。
誰かが記念写真を撮っていても、そのカメラの目の前に立って写真を撮り始める別の人。
ふぅ…………心を落ち着かせてー…………
これが中国なんだから気にしたらいけないー…………
これが中国世界の常識ー…………
こああああああああああああああ!!!
プヘェエエ!!
人混みの中で、喉仏ですか?みたいな痰を吐くおばさん。
ふぅ…………慣れなきゃなぁ…………
そんなスーパー大賑わいの中、人民路で路上開始。
相変わらずすごい人だかり&写真撮影大会で、チップもガンガン入っていく。
外国に行ってる中国人観光客は見事なまでにチップを入れてくれないけど、中国国内を旅行してる観光客はめっちゃ路上にお金を落としてくれる。
中国人は金を稼ぐのも金を使うのもどっちも大好き。
購買意欲が半端じゃない。
世界は中国を中心に回っている。
いや、中国という存在が世界から独立した場所にいるようだ。
不思議な世界だなぁ。
久しぶりの路上に声を枯らして歌う。
人混みの中に背の高い人を見かけると、ハッとしてしまう。
目で追って、よく見てみる。
違う。
また背の高い人を見かける。
ドキッとして目で追いかける。
しかし人違い。
歌いながら、どうしてもカンさんのことを探してしまう。
宿を手放したカンさんがまだ大理に残ってるとは思えない。
でもどうしてもドキッとしてしまう。
カンさんがもしこの大理にいるならば、路上で歌っていれば目につきやすいんじゃないか?って思える。
俺のことを見つけやすいはず。
あああ…………カンさんどこにいるんだあああああああああ…………
中国でかすぎるよ……………
近所のお店の人に注意されながら何ヶ所か場所を変えて歌っていると、やる場所がなくなってきた。
しかもチップの入りも昼に比べて悪い。
原因を考えるとお店の生ライブだ。
夜になって、マジで町中のほぼすべてのバーやカフェで生ライブが行われている。
前はセプテンバーっていうライブバーでやってたくらいだったのに、今はマジで生ライブさえやってればお客来るんでしょ?ってバカのひとつ覚えみたいにすべてのお店でライブをやってる。
それもギターの弾き語りが大半だ。
そんなライブバーがドアも窓も開けっぱなしで音楽垂れ流してるし、なんならちょっと奥まったお店はわざわざ通りまでスピーカーを出してきて店内のライブ音を外に流している。
そんな状態なので、うるさくない場所を探すのが至難の技だし、ライブまみれの中で俺がやっててもその一部みたいになってしまってチップに繋がらない。
うーん、前に比べてかなりやりにくくなったなぁ。
でもまだ諦めん。
やれそうな場所を探して町中を歩き回り、混雑に揉みくちゃにされながらさまよった。
串屋のゴミがすごすぎる。
すると23時前くらいなってからなにやら様子が変わってきた。
さっきまで道の端っこの、歩道の上でしか品物を売っていなかった路上販売の人たちが、いきなり車道にガンガン品物を並べ始めた。
気づけばそんな人たちばっかり。
さらに、普段は路上販売全面禁止のメインストリートにもズラリと屋台が並び、アクセサリー売りやオモチャ売りが溢れていた。
おおお!!!23時以降は無法地帯ってわけだ!!
みんなここぞとばかりに自由に商売をし始めている。
お店もチラホラと閉まり始めているので、場所取りも簡単。
人通りはまだまだ溢れるほど。
メインストリートに屋台まで出てきやがった!!!
変なミッキーまで!!!
来たぞ!!ここが大理のゴールデンタイムか!!!
ど真ん中でやりまくってやる!!!!
ラストスパートで思いっきり歌いまくり、24時くらいになってさすがに人通りがだいぶ減って来て、閑散としてきた。
今日はこの辺でフィニッシュかな。
懐かしい大理ビールを買って宿に戻り、外のソファーでこっそりあがりを数えた。
紙幣がとんでもない量になっていて、これを全部数えるのかと思うとなかなか気が遠くなる。
懐かしいなぁ。
こうやって前回もカンさんとカンさんの彼女たちとみんなで膨大なお札を数えたよな。
全部合わせて2時間やって、なんとあがりはソッコーで前回の記録を超えてきた。
財布も予備の財布も今日1日だけでパンパンになるほど。
大理はやっぱり稼げる。
稼げるけど………………
カンさん、またカンさんとあがりを数えたかったよ…………
ビール飲みながら、タバコを分け合いながら。
カンさん、俺ちゃんとあれから無事に日本までたどり着いて、本も出版したんだよ。
そして奥さんももらって、今2人で元気に旅してるんだよ。
会いたかったよ、カンさん。