スポンサーリンク 黒人は劣った人種なのか? 2017/5/12 2017/04/24~ ナミビア, ■彼女と世界二周目■ 2017年4月26日(水曜日)【ナミビア】 ゴバビス昼ごはん。死ぬうううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!!なにこれ!?ただのエクセレントフードなの!?エクセレントフードを気持ちいい太陽の下、庭のテーブルで食べてる目の前をクジャクなの!?あぱあああああああああああああああ!!!!!!ステーキ美味すぎるよおおおおおおおおおおおおたおおお!!!!!!!!メニューいっぱいあるのに美味しすぎて昨日と同じマッシュルームメルトステーキ。それとチキンサラダ。これふたつで200ナミビアドル。1690円。宿泊費と同じ値段のランチを食べる暴挙ですね。バッグパッカーの風上にも置けるううえうううえうううううううええええええええ!!!!普段節約してるんですからこういう時は美味しいもの食べましょう。ふうおおおおお……………このゴバロッジのご飯、マジで土下座するほど美味しい。おかげで延泊してしまいウィントフックに着くのは明日の昼。レンタカー開始は明後日の朝。メンバー探しする時間ナシ!!「よし!!カンちゃん!!もうこうなったらレンタカー周遊の最終日にこのゴバビスに戻ってきてもう1回ご飯食べてそれからウィントフックに帰りましょう!!」「そうしましょう!!もう多分一生来られないですもんね!!」というわけでご飯食べてから2人でちょこちょことレンタカー周遊のルート出しです。ナミビアって本当見所満載で、しかも国のあちこちに名所が散らばってるのでツアーや自力で行くには結構大変な上にお金もかかりすぎる。なのでナミビアではレンタカーで回るのが一般的だし、なんならキャンプ用品のレンタル店もある。テントとか買わずに格安でレンタルできるわけです。本当レンタカー&キャンプが大人気です。見所は海沿いが多く、北部にある廃墟が放置されたスケルトンパークからオットセイまみれのビーチ、月面のような地形のムーンランドスケープ、ヒンバ族の集落、フラミンゴの港、ナミブ砂漠、デッドフレイ、南部には鉱山の廃墟の町であるコールマンスコップ、さらに世界第2の規模というフィッシュリバーキャニオンなどなど。代表的なのがこれらで、他にも車じゃないと行けないような名所が無数に存在している。みんなだいたいこれらを5~10日間レンタカーして回るみたい。いやー、アフリカをレンタカーなんてめっちゃドキドキする。いつも窓の外に綺麗な景色や動物を発見しても、あ!って気づいて2秒で通り過ぎてしまうだけだったので、自分たちの車ならいくらでもストップして堪能することができる。楽しみだなー。楽しみすぎるわー。それからビールを買いに町に出た。ゴバビスの町は本当に綺麗で、これまでのアフリカと同じアフリカなのかと驚いてしまう。でもアフリカももちろん広い。北部に行けばイスラム地域でモスクからアザーンが流れてるし、地中海沿いのビーチリゾートもある。人種も言語も無数に存在するし、紛争も未だに多い。内陸中央部のディープな地域には一体どんなアフリカがあるんだろうな。綺麗で品物が溢れるスーパーに入ると、今日も普通に白人さんと黒人さんが働いている。黒人スタッフが白人のおじさんスタッフに指示を出しているところなんか見るとあまりにも意外で驚いてしまう。アフリカ、黒人、と聞いて最初にイメージするのは奴隷の歴史。かつて世界中の白人地域の国々が、文明を持ってアフリカ大陸に渡り、まだ弥生時代みたいな暮らしをしていた人々を支配して植民地政策を進めた。そして現地の黒人を自国に連れ帰ったり新大陸に送り、強制労働をさせていた。その対偶はあまりにもズサンで、奴隷船で動物のように連れ去られた人々の多くが船の中で死に、過酷な労働で死んでいった。マジですげぇ。当たり前に知ってる歴史だけど、ちゃんと考えたらあまりもひどい。それこそ人間の命の価値が平等なんて道徳心、その頃には皆無だったんだろう。いや、もしかしたら白人世界ではそうだったのかもしれない。つまり黒人は人間として見られていなかったということ。植民地政策を進めていた人たちからしたら、現地の遅れた文明の人間たちはただの動物だったのかもしれない。日本もかつてはアジアで同じことをやっていたんだよなぁ。その後、時代は進み、植民地まみれだったアフリカの国々は、第二次大戦後のナショナリズム高揚に伴い、次々と独立していく。だいたい1960年くらいにかけてが独立ラッシュだったようだ。しかし独立したからといって白人支配の名残がそんなに簡単になくなるはずもなく、南アフリカでは特にイギリス系住民と黒人の間に大きな差別が続いた。その差別を法律として定めていたのがアパルトヘイト。もともと白人住民と黒人住民の処遇の差は大きくあったらしいんだけど、それが政策として確立されたのは1948年のことだそう。黒人は教育が義務教育ではなく、選挙権もなく、過酷な下働きしかできず、白人に比べて給料が20分の1とかそんなもの。居住区が分けられ、白人専用のビーチには黒人は入れなかったそう。他にもいっぱいあるんだろうけだ、そうした様々な法律により黒人と白人は身分差をつけられていた。今や黒人がアメリカの大統領になるような時代なのに、わずか23年前までそんな公の差別が残っていたというのがすごい。俺が小学生のころはまだこんな法律があったんだよなぁ…………そんな時代の中で、このアパルトヘイト撤廃に尽力したのがネルソンマンデラ大統領。彼はアフリカ人、黒人、そして世界人類のヒーローとなり、ノーベル平和賞も受賞した。撤廃から23年。現在のナミビアでは白人と黒人が同じ職場で同じように働いている。待遇はどうなんだろう。給料の差はどうなんだろう。もしかしたら、人々の心の深層にはまだ差別の意識が残ってるのかもしれない。でも、見た目にはもういたって平等だ。白人はもはやこの国の支配者ではなく、国民の1人。きっと、奴隷だったころとは違い、命の重さはもう同じはず。そう信じたい。明日、ウィントフックに向かうにあたって、どうやって行けばいいのか道路で交通整理をしていた黒人のおじさんに話しかけた。「あのー、明日ウィントフックに行くんですけど、どうやって行けばいいですか?バスとかあるんですか?」「いや、ここからウィントフック行きのバスはないんだよ。そこのスーパーの駐車場にシェアタクシーがいるからそれを捕まえるしかないよ。」マジでビビることにこのゴバビスからウィントフック行きの公共交通機関は存在しない。地方都市と首都を結ぶバスがないとか信じられないことだけど、どうやらこれがナミビアみたいだ。「そうですかー、なら明日の朝にこのスーパーの駐車場に来ればいいんですね。」「どこに泊まってるんだい?」「ゴバロッジです。」「だったらシェアタクシーにゴバロッジまで迎えに来て貰えばいいよ。あの未舗装の道を荷物を持って歩いてここまで来るのは大変だからね。」「そんなことしてもらえるんですか!?」「電話番号を教えて。僕がシェアタクシーに話をしておくから君たちはゴバロッジで待っていればいいよ。心配しないでいいよ。」俺が見上げないといけないくらい大きな黒人のお巡りさん。腕も胸板もたくましく、2秒でひねり殺されてしまいそうなほど屈強だ。そんなお巡りさんがニコっと笑って心配しないでいいなんて言うと、頼り甲斐しかない。「お巡りさんがそんなことしてくれるんですか!?すごい!!で、でも僕たち電話番号持ってないんですよ。」「うーん、そうかい。ヘーイ!!」するとお巡りさんはちょうど駐車場にいたシェアタクシーのドライバーさんを呼んだ。そして彼らが明日ウィントフックに行くからゴバロッジまで迎えに行ってあげてねと説明してくれた。値段は1人130ナミビアドル。1090円。ボーダーからここゴバビスまでが1人50ドルだったし、ゴバビスからウィントフックまでは少し距離が長いくらいなのでこの値段は高いかなと思ったんだけど、前もって宿の人に聞いていた値段は140ナミビアドルだった。やっぱりこれくらいが普通の値段なんだろう。だとしたらちょっと安くなっただけありがたい。じゃあ明日の朝9時にゴバロッジに迎えに行くからね、と言ってくれたシェアタクシーの兄さんと握手した。お巡りさんは見上げないといけない角度でニコリと笑った。黒人が奴隷?劣った人種?そんなことは1ミリもない。俺たちは同じ人間で、同じ感情を持ち、同じ生理機能を持ち、同じ脳みそを持っている。明晰な頭脳と、人を思いやる優しさと、コメディに笑うユーモアと、悲しみに涙する心を持っている。人間は一緒。どんなに辺鄙な土地だろうと、どんなに荒れた土地で生まれた人だろうと、人間として生まれた以上、俺たちは同じ機能を持ち合わせている。差別ってなんだろう。日本にも未だにいろんな差別が存在して、それについての本を読みまくった時期もあった。でもやっぱりわからんかった。わからんかったけど、アフリカに来て、黒人さんたちの中で旅してみると、どんどん考えがシンプルになっていくのを感じる。人間は一緒だ。ありきたりな言い方だけど、肌の色では人間をはかることはできない。俺いい時代に生まれたなぁ。お巡りさんにありがとう!!とお礼を言うと、何事もないかのように交通整理に戻っていった。アフリカは人間にとって本当に大事なことを教えてくれるよ。それから宿に戻ってプリングルスを食べながらビールを飲んだ。やっぱりソルビネ美味しい。さぁ、明日はウィントフックだ。