2016年4月18日(月曜日)
【インド】 ビシャカパトナム
真っ暗な電車の中、隣で寝ているカンちゃんがもぞもぞ動き出した。
寝台列車の小さなベッドで無理やり2人で絡まりながら寝ていたので、俺も目が覚めた。
周りのインド人たちはまだ眠っていて静かな車内。
時間通りならばあと20分で電車は目的地のビシャカパトナムに着く。
しかしインドの電車は時間通りに動くことはまずない。
数時間遅れなんて普通だし、下手したら早く出発したりするという自由っぷり。
大事な仕事で遅れられない時とかどうするんだろ…………
しかも電車の中は、もうすぐビシャカパトナムに着きますーなんてアナウンスも流れない。
時間に遅れるのが普通で、いつ着くかもわからないのにアナウンスなしとか、外国人にとったら不安この上ないよ。
おかげで旅スキルは上がるけど。
旅スキルって不便に慣れるってことか?
ざ、斬新な水道ですね…………
電車は少し大きめの駅に到着した。
ここがビシャカパトナムか。
インドの列車には珍しく、わずか20分遅れの到着だ。
しかしこの20分遅れがどう出るのか。
今日、訪れる予定の学校はここから30キロほど離れた場所にあるらしいんだけど、わざわざスタッフさんが車で迎えに来てくれることになっている。
駅のどこで待っとけばいいですか?と聞いたところ、プラットホームまで探しに行くから心配しないで!と電話のおじさんは言っていた。
しかし電車を降りると、朝のプラットホームはかなりのインド人で溢れており、その人ごみに紛れて俺たちを見つけるのは困難そうだった。
ていうか本当にプラットホームにいるのか?
よくわからない。
俺の聞き間違いかもしれない。
一通りゆっくりとプラットホームを歩いてみたが、どこにもそれらしき人はおらず、誰も声をかけて来ないので、これは入り口のほうにいるかもしれないと、大きな駅舎のメインエントランスにやってきた。
ここなら目立つし、見つけてもらいやすいはず。
タクシーやオートリキシャーのドライバーたちがしつこく何度も何度も話しかけてくるのが鬱陶しいけど、荷物を置いてカンちゃんと待つ。
しかし10分20分経っても誰も声をかけてきてくれない。
声をかけてくるのはしつこいオートリキシャーのオッさんだけだ。
「ウェラーユーゴー?ノーフレンド!オートオート!」
連絡の取りようがないので待つしかないんだけど、さすがに不安になってきた。
見知らぬ駅で来るかどうかもわからない人を待ち続けるのはなかなか心細い。
インターネットがないんだから、キチンとやっておかないとこうなることは目に見えてたのに、完全に俺の打ち合わせ不足だ。
しかしカンちゃんはそんな俺を責めたりしない。
「なんでちゃんと確認しないの!?何度も繰り返し聞いた!?あーシャワー浴びたいのにさー!お腹すいたなー!あ、もう私はご飯を食べるなということですか、なるほどーさいでございますか。あー、本当イライラする。日本帰りたいわー、絶対私ならもっと上手くやってたし。ていうかヒロシならこんな時頼りになるのになー。」
こんな感じで元彼の名前まで出されてネチネチ嫌味を言われて罵倒されたら男としてプライドボロボロですね。
女子のみなさん、こんなこと言ってませんか?
男子も同じく。
カンちゃんは僕のことを責めたこと一度もないです。
僕もです。
だって2人の行動は2人の決断なんだからどちらか一方の責任ではない。
そして問題が起きた時に、すぐ相手のせいにするのではなく、まず自分の至らなさを謝ること。
カンちゃんは本当に優しい。
「ワッツユアネーム?」
その時、向こうから一直線に歩いてきたお兄さんが近くまでやってきてそう言った。
手に持っていた紙にはfumitake kanemaruの文字。
よかった、無事合流できた。
エアコンの効いた快適な車に乗り込んでビシャカパトナムの町を走っていく。
迎えに来てくれたのは賢そうな若者と、笑顔の素敵なドライバーさんだ。どちらも綺麗な服装をしている。
若者のサイはしっかりした英語を喋り、聞けば彼は今から向かう施設で5歳の時から生活しているという。今サイは18歳だ。
元々、今回の話を紹介してくれたのはJICA隊員のコズエさん。
コズエさんがJICA関係の人に相談してくれ、この施設と繋がることができた。
何かしらの理由から親と住めなくなった子供、そして孤児の子供が共同生活しながら勉強をしているというこの学校。
60人ほどの子供が住んでおり、赤ちゃんから中学生くらいまでが暮らしている、という情報だ。
それ以上は知らない。
車はのどかな田舎道を走り抜け、やがて細い脇道へと入る。
だだっ広い原野の向こうに小さな門が見えてきた。
車はその門に入り、ゆっくりと敷地の中を進んでいく。
ポツポツと建物が散らばっていおり、それらはみな簡素だけどコンクリート作りのものばかりで、コズエさんのいる学校のようなところを想像していたので意外だった。結構充実しているのかな。
車が奥に入っていくと、フロントガラスの向こうに人が見えた。
おお、子供たちが整列して俺たちのことをお出迎えしてくれている。
ちょっと緊張しながら車を降りると、埃が舞い上がるほどに乾いた土の地面。
ココナッツの木が生え、吹き渡る熱風に揺れて音を立てている。
サンダルばきで近づいていくと、まだヨチヨチ歩きくらいの子供からしっかりした顔立ちの賢そうな子供までがじっとこちらを見つめていた。
そして次の瞬間、子供たちが大きな声で叫んだ。
「オハヨウゴザイマス!!オゲンキデスカー!!!」
びっくりした。日本人のボランティアがたまにここに訪れているとは聞いていたけど、ここまで日本語を勉強しているんだ。
こんにちはー!元気ですよー!!みんなは元気ですか!?と聞くと、ゲンキデスー!!と照れながら返してくれた。
やっぱりどこの学校でも子供たちは可愛い。
「よく来てくださいました。お2人の話は聞いてますよ。紅茶になさいます?それともコーヒーがよろしいかしら。」
案内してくださったのはサリーを身にまとったとても上品なおばさま。
ミセスローズさん。この学校の運営をしてらっしゃる奥様だ。
「どうぞこちらの日陰に座ってください。長い移動でお疲れでしょう。」
半端なく綺麗な英語を穏やかに話す奥様。優しさが全身から溢れ出て神々しくさえある。
そのオーラに1発で好きになってしまった。
なんて素敵な人なんだろ。
「ローズさんってまるで柔らかい風のようですね。」
「ふふふ、でもたまに嵐にもありますわよ。ふふふ。」
そう柔らかく微笑むローズさん。
この奥様が運営されているんだからきっと愛の溢れる学校なんだろうな。
案内していただいたのは学校の敷地内にあるとても立派なゲストルームだった。
綺麗なベッドがふたつ、それに部屋の中にトイレとシャワーがある完全なプライベートルーム。
しかもテーブルに歯ブラシや石鹸なんかのアメニティーが置いてあるなんて、まるでどっかのいいホテルみたいだ。
「どうぞ、自由に過ごしてくださいね。夕方になったら子供たちも授業が終わりますから、それからコミュニケーションしてください。」
そう言ってローズさんは敷地に歩いて行った。
ベッドに腰かけるとあまりの快適さになんだかムズムズしてくる。
こんなにビップな待遇をしてもらえるなんて想像もしてなかった。
今回俺はリコーダーの寄付、そして子供たちと音楽を通してコミュニケーションをするためにここに来ている。
事前に連絡を取り、俺がタミルナドの学校で音楽を教えている人間だということも伝えているので、ローズたちもそのつもりで俺たちを迎えてくれているんだろう。
あまりに自由な雰囲気で案内してもらっているので、どんな感じで子供たちの中に入っていけばいいかまったく分からないけど、まぁなんとかなるだろう。
夜行列車であまり寝られなかったこともあり、部屋の中で少しだけ睡眠をとった。
昼前に起きてローズさんのお宅で美味しいランチをいただき、午後はゆっくりと部屋やそこらへんで過ごし、夕方になってから学校の中を回ってみることにした。
すると可愛い子供たちがやってきた。
俺たちを案内してくれるみたいだ。
ありがとうねと言うと、いきなり女の子が俺たちの手を握ってきた。
突然のことでびっくりする俺たちだけど、女の子たちはいたって普通のことのようにこっちだよ!と手を引っ張ってくる。
小さくて柔らかい手のぬくもりがじんわりと嬉しい。
牛や鶏の敷地、グラウンド、お祈りの建物、色んな建物が広い敷地の中に散らばっており、その中に子供たちの宿泊施設もある。
男の子と女の子に分かれており、それぞれここで寝起きを共にしているようだ。
広々とした食堂もキッチンもある。
子供たちは俺たちに、新潟から来たのー!?と聞いてくる。
新潟とかマイナーな県なんで知ってるの!?そんなにイタリアンが好きなの!?って驚いた。
有名な巨大マンゴーの木。
この学校のシンボル。
こうやって学校の中を歩いていて思った。
子供がみんなかなり外国人に慣れている。
これまで訪れた他の学校のようにウギャアアアアア!!外国人だあああああああ!!ヤッベ!!うわヤッベェ!!とか言って群がってきたりしない。
みんな俺たちのことを見かけても何も言わずに横を素通りしていく。
その理由はこの学校の歴史に大きく関わっているようだ。
このニューホープスクールが設立されたのは1985年のことだという。
前身である施設時代も合わせたら33年間もこの地で身寄りのない子供たちを受け入れて教育を行ってきているとのこと。
そんなある日、学校に対して大きな寄付を行った日本人がいた。
それがカタギリさんご夫妻。
カタギリさんたちは退職後に訪れたこのニューホープスクールのことをとても気に入り、子供たちのために私財を寄付したそう。
敷地の中にはカタギリさんのお名前がつけられた建物がいくつもあり、壁にはご夫妻のお写真も飾られてある。
ご夫妻は毎年この学校に訪れていたそうだけど、現在お2人は80歳とのことで、体調のこともあり、ここ2年は訪問できてないとのことだ。
子供たちが俺たちに新潟から来たの!?と聞いてきていたのは、別にへぎ蕎麦が好きでたまらないわけではなくカタギリさんご夫妻が新潟出身だからだった。
子供たちにとったら新潟が日本の中心なんだろう。
そうした経緯もあってかは分からないが、この学校には日本人が年に4~5人やってくるんだそう。
JICAの人がほとんどらしく、みなさん3ヶ月ほど滞在して日本語を教え、子供たちと時間を過ごしているとのこと。
これまでたくさんの日本人がここに来ているんだろう。
ナナコ先生のこと知ってるー!!?って子供たちが聞いてくる。
うん、知りません。でもお近づきにはなりたいです。
そしてカタギリビルディングの他に、もうひとつよく見かける名前があった。
ヤンさんという名前がつけられた建物。
これはカタギリさんのようにスイス人の家族が寄付したお金で建てられた建物らしい。
あっ、と気づいた。
今現在、この施設には若いスイス人カップルが滞在しており、子供たちに音楽を教えているとのこと。
聞くとどうやらそのスイス人彼氏がこのヤンさんファミリーの息子さんらしい。
この学校はフリースクールだ。
無料で子供たちを受け入れている。
おそらく世界中の様々な人たちの寄付によって成り立っているんだろうな。
そりゃあ子供たちも外国人に慣れしたんでいるか。
カデルのところみたいにインド人のインド人によるインド人のための学校とは性質がまったく違う。
そしてこうやって学校の中を見て回っていると、その設備の充実ぶりに驚かされた。
フリースクールっていったら、すぐにコズエさんのいるど田舎のギリギリで運営している学校のイメージが頭に浮かぶけど、ここには液晶薄型テレビがあった。
子供たちはみんな机と椅子を使い、それなりに綺麗な制服を着、広々としたグラウンドもある。
用具室にはカッコいいサッカーボールがたくさん置いてあった。
コズエさんの学校はほとんど知られていない。
このニューホープスクールは日本人やヨーロピアンに知られている。
ただそれだけでこんなに寄付による設備の充実ぶりに差がある。
きっと先進国の人間で寄付を行いたい人はたくさんいる。
でもその寄付先がわからないし、どうやったらいいかもわからない。
だから日本人のツテがあるところに集中してしまうんだろうな。
そんな流れがあるからこそ、継続した関係と教育が続いていくんだろうけど。
灼熱の太陽が沈み、夜になってから子供たちはプレイルームへと向かう。
俺もそれに混じって地べたに座って子供たちのお祈りを見学した。
彼らはクリスチャンだ。
聖書を朗読し、アーメンと締めくくる。
すると子供たちが歌を歌ってよー!!と言ってきた。
もちろんやらせてもらうよ!
ギターを持ってくると、子供たちがマルマルー!!シングマルマルー!!と興奮しだす。
マルマル?
え?もしかしてマルマルモリモリのことか?
そのまさか。
しかも翼をくださいも知ってるし、AKB48まで知ってるという。
おお、ここに訪れてきた日本人ボランティアさんたちの努力の賜物だな。
よーし、それなら俺も後に続く日本人のために何か残していかないとな。
こういう時のための必殺技!!
ネンジュックルペイディドゥム!!
カデルのとこで覚えた超有名な曲だ。これを歌えばいつでも100パーセント大合唱間違いなし!!
こいつで子供たちのハートをわしづかみだ!!!
「ブラザー!!それはタミルの歌だからわからないよ!!」
はい、そうですか……………
そこにスイス人カップルのバスティアンがギターを持ってやってきた。
とてもフレンドリーで陽気で、綺麗な英語を喋る彼とはすでに挨拶も終えている。
バスティアンの彼女のマリアはリトアニアの女の子で、彼女はフルートを吹く。
これが楽団に入ってるような本格的なクラシカル奏者。
おお、リコーダーを寄付しに来たのにそんなプロがいたら恥ずかしくて吹けないよ………………
「オーケーみんなー!!いつものやついくぜー!!」
「イヤッホオオオオオオ!!!!」
「アヒャああアアアアアアアア!!!」
ノリノリで子供たちと合唱するバスティアンが弾いているのはインドの曲だ。
バスティアンは家族ぐるみでこの施設とお付き合いしているので、10年前から何度も訪れている。
今回も1ヶ月滞在しているようで、子供たちはブラザーシスターみたいな存在だよ、と笑っていた。
爆発するように全力ではしゃぐ子供たちと同じ目線で楽しそうに歌うバスティアンを見て、とても素敵な関わり方だなと思った。
カデルのところのように、先生はサーで呼ばれる存在ではなく、ここではバスティアンはブラザーと呼ばれている。
もちろん、どちらも素敵なことだ。
「フミ、一緒に歌おうぜ。なんでもいいよ!」
バスティアンと一緒にギターを弾いて歌った。
バスティアンと彼女の生徒たちとの距離の近さを見て、ちょっと戸惑っている自分がいる。
俺はインドの子供たちの中にここまで入り込めているだろうか。
汗をかきながら歌った。
なまぬるい夜風がココナッツの葉を揺らす。
子供たちとの間に線を引いている自分を感じる。