9月21日 日曜日
【日本】 日向
コンコンコン、という部屋のドアをノックする音がして目を覚ました。
はーいって返事する前にドアが開いた。
ヒョコっとドアの隙間から顔をのぞかせたお母さん。
本当に文武なのか?といった怪訝な顔つきだったが、すぐに笑顔になった。
「やっと、帰ってきたねー。」
「あー、うん。」
「なんか食べるね?」
「うーん、焼き飯つくってよ。」
「えぇー?お米炊かんといかんやん。チャンポンあるよ、美味しーいやつが。」
「それレトルトやろ。ゆうべもロクなもの食べてないんやから作ってよ。」
「はいはい、わかりました。あ、これがトロールねー。ゴミみたいねー。」
もぞもぞとベッドから出て、ぼんやりとした頭で部屋の中を見渡した。
2年前とたいして変わっていない俺と兄貴の子供部屋。
兄貴はずっと東京で暮らしているので、ここはもう俺のものみたいになっている。
勉強机の上には学校を卒業してからの俺の写真や似顔絵が置いてあり、その横には洋服ケースが積みげられてる。
ふと部屋の隅に置いてあるボロいギターケースが目に入った。
あ、と思った。
ズタボロになって蝶つがいが壊れ、蓋がパカパカと取れてしまうのでベルトで固定しているこのハードケース。
開けてみると、そこには綺麗なギターが入っていた。
俺が高校卒業前に路上でお金を貯めて買ったKヤイリのギター。
日本でずっと使っていたこのギター。
ネオン街の流しも、ライブハウスのステージもこのギターで渡り歩いてきた。
こうしてご対面すると、なんだか不思議な気分だな。
ごめんな、ほったらかしにしてて。
他のギターと旅してきちゃって。
またたくさん弾くから、よろしくな。
部屋の中には、2年前で時の止まった小物たちがそのままの姿で置いてあった。
壊れたハーモニカ、すり減ったピック、使っていたキーケース。
あの頃の戦いの跡。
窓際には出発前まで履いていた靴がポンと置いてあるし、引き出しの中には旅中には無縁だったブランド物の服がキチンとたたんで入っている。
テキトーにそこから懐かしい服を引っ張り出して袖を通した。
シャワーを浴びた清潔な体に新しい服を着ると、今までボロをまとって見知らぬ異国を放浪してきたという事実がまたひとつ遠ざかったように思えた。
焼き飯は相変わらずいつもの味で、ぺろっと全部たいらげた。
昔、備前の知り合いの窯元に遊びに行かせてもらった時に作った湯のみでお茶を飲む。
家の中はそんなに変わっていなかった。
壁紙は張り替えたみたいで、心なしか家の中が明るい。
あと車も変わっていた。
「あんねー、新町の本家にノミが出てしもうてね、もーうひどかったとよー。お父さんもお母さんもあちこち噛まれからねー、隣のおばちゃんもやられたとよ。もう業者に頼んだほうがいいやろうか?」
お母さんは俺のブログを読んでくれていたので、どんな旅をしてきたのかわかっている。
なので別に旅のことを聞いてはこない。
いつもの何気ない美々津の、生活に付随するこぼれ話をお母さんは面白おかしく上手に話す。
周りを笑わせるのがうまいお母さん。
近所のことや、山でのこと、そんな話をしてくれた。
お母さんと買い物に出かけた。
美々津は何もないので、車で15分くらいかけて日向の町に出なくてはいけない。
日向の町は2年前に比べて、さらにショボくれているようだった。
人の姿はまったく見られず、通りのお店もシャッターを固く閉ざしており、陰鬱な空気に満ちている。
どこにでもある地方都市の風景だけど、今の俺には余計に寂しく見える。
南米のあの陽気な音楽はどこにも流れていないし、ヨーロッパの美しい石造りの建物に囲まれたショッピングストリートもない。
世界中にあんなにたくさんの町があったのに、俺の町はこの死んだように暗い無機質な町だ。
ここに子供の頃の思い出が詰まっている。
それなりに楽しくて、切なかったあの日々。
あの日自転車で走った道を車で通る。
この寂れた町の空の下、全ての曲がり角にささやかな生活がこびりついている。
昔見た映画を久しぶりに見ると、あ、ここはこういう意味があったんだ、とか、あーこのセリフはあのシーンと関連していたんだ、というふうに新しい発見がある。
いい映画は何回見ても新しい発見をさせてくれるものだ。
歳をとるたびに見えるものが変わっていき、頭も多少良くなり、性格や人生観もどんどん出来上がって行く。
自分では気づかなくても、周りの景色が自分が変わったことを教えてくれる。
ならば、日向の町の静けさと寂しさは、俺の心の中を表してるのかとハッとしてしまった。
名古屋の伯父さんのところにゴルフバッグを送らないといけなくて黒猫ヤマトに行ったんだけど、まぁハイテクだね!!
伝票書こうと思ったら、スタッフのおばちゃんが、どこまで送りますかー?どこのゴルフ場ですかー?と聞いてくる。
そしてそれを駅の自動券売機みたいなタッチパネルの機械に入力していくと、一瞬にして伝票が出来上がった。
日向なまりの言葉でテキパキと対応してくれるおばちゃん。
こんな田舎の小さな営業所なのに、そのおばちゃんの対応は見事なものだった。
世界の先進国の大都会のそれにまったく引けをとらない。
そして言葉が全て通じるのもすごいと思った。
ただ、周りの会話が理解できてしまうことや、自分たちの会話が周りに理解されているということは、ある種不便で、気をつけないといけないと思った。
そして念願だった日向市民のソウルフード、天領うどんを食べた!!!
死ぬかと思った。美味すぎて。
コシャリってなんだったの?あれ食物?
いやー、もうあまりに感動してしまって、入り口のところに遠慮がちに貼ってあったポスターを見て、10枚くらい買おうかなと思ったわ。
うん、金ないけど。
驚くべき貧乏。
今度買おう。うどんTシャツ。
買い物を済まして美々津に戻り、小雨が降る中、傘を差して歩いた。
隣家のおじちゃんおばちゃんに挨拶に行くと、おー!無事帰ってきたか!と喜んでくれた。
ちょっと1杯飲んで行くか?と誘ってくれたけど、今夜は家でゆっくり食べるのでと断った。
石垣、藪、古い墓場、鉄橋、ガタガタのアスファルト、川の向こうの中学校、海沿いの道、いつも吠えてくる犬。
何も変わらない美々津の風景。
美々津は歴史的な町並みの保存地区に指定されており、木造家屋、漆喰作りと連子格子の町並みが港の周りに広がっており、それなりに風情のある景観だ。
かつて神武天皇が高千穂峰から降りてこられ、この美々津の港から大和へ向けて出航をされた、お船出の地として知られる由緒正しい港町ではあるけども、今ではただの寂れた過疎地だ。歴史すら風化しそうなほどに。
何軒か新しい家ができたりしていたけど、町という生き物が持つ体臭は、見た目が変わっても通りやブロック塀からそこはかとなく漂ってくる。
いつ見てもずっとそこにある植木鉢や、割れたままで修理されない看板。
神社の苔むした鳥居の先にのびる階段がなんだか前よりも不気味に見える。
海沿いには何台かの車が止まっていて、サーファーたちが体を拭いていた。
美々津はサーファーたちの中で有名はポイントのひとつとなっている。
砂浜はどんよりとした空の下に広がっていた。
台風が近づいているようで、テトラポッドに砕けた波しぶきが高く舞っている。
いつも台風前に海に来るのが好きだった。
うねる高波が迫ってきて、テトラポッドに当たって轟音とともに砕ける。その迫力は見ていてとても興奮した。
宮崎は台風がよく来る。
暇な田舎の子供たちには台風でさえ遊び相手だった。
浜にはたくさんの木々が打ち上げられていた。
これらの流木はどこから流れ着いたんだろう。
あの水平線の向こう、遠い遠いはるかな異国の地から流れてきたんじゃないか。
子供のころ、いつもそう思いながら海をただよう漂流に憧れを抱いていた。
この海の先に知らない陸地があり、知らない人たちが知らない言葉を喋って、知らない神様を崇めていて、知らない歌を歌っている。
今の時代、地図を見ればその事実はわかる。テレビでその具体的な内容もわかる。
でも、なまじ知ってるからこそ、余計にイマジネーションが掻き立てられるということもある。
あれはロマンだったのか。
水平線を眺めて、波にもまれてへし折れ、凪に漂い、太陽に焼かれ、誰からも忘れられた果てに流れ着いたこの砂浜。
月は輝き、潮騒が鳴る。
夜空に続く道が姿を現す。
今ならどこにでも行ける
この流木が生えてたところも
まるで知らない場所のように、目に映った。
墓場に行き、金丸家のお墓に手を合わせた。
横の石板には婆ちゃんの名前が加えられていた。
俺が、世界一周するんだと話した時、あんたは爺ちゃんみたいやわ、と半ば諦めたような顔で婆ちゃんは言った。
爺ちゃんはかつて戦争で中国にいた時、敗戦とともに日本軍が撤退していく中、仲間を集めて中国で馬賊を作ろうとしていたらしい。
日本に帰ってきてからも、いつも途方もないような話ばかりしちょったとよ、と教えてくれた。
少なくとも俺の記憶の中にある爺ちゃんは、厳しくて、頭が固くて、絵に描いたような古風な日本人だった。
そんな爺ちゃんも中学生の時に死んだし、婆ちゃんもついこの間、病院でみんなに看取られたそう。
別に特別な感情は浮かばない。
老人は俺たちより早く死ぬ。
俺は、俺の一生懸命な姿を婆ちゃんに見せられていたことを、誇らしく思う。
婆ちゃんは短歌をやっていて、いつも遊びに行くたびに読ませてもらっていた。詩を書くものとして、短歌はとても勉強になる。
いつだったか、婆ちゃんは俺のことを詠んでくれていた。
詳しくは忘れたけど、長い髪して孫がやってくる、っていうやつだった。
俺がいつも途方もないことを語りにやってくるのを、婆ちゃんが楽しみにしてくれていたと勝手に思いたい。
(婆ちゃん、俺やったよ。)
手を合わせながら呟いた。
また途方もないことを語りに来るからね。
晩ご飯はすき焼きを食べた。
念願だったすき焼き。ちょっといいお肉を買ってくれたお母さん。
お父さんさんも今日はゴルフがあったので、いつものように反省会という名の飲み方で遅くまで帰らないはずだったんだけど、早めに切り上げて帰ってきてくれた。
「中国でしばらくブログの更新がなかった時があったがね。あんときゃもう、あー、もう死体の腐敗が進んで指紋がとれんなるから身元確認ができんなるわー、でもDNAで確認できるから2階に髪の毛落ちちょったっけ?って思ったりしちょったとよ。歯医者で歯型を探したほうがいいっちゃろかとか………」
大笑いながらお肉を食べる。味の染みたお麩も美味しい。
お父さんが最近お気に入りだという綾ワインも開けてくれた。
別に盛大ではないけれど、それがいい。
お父さんもお母さんも今までみたいに、これからどうするとね!!っていう詰問もしてこない。
さすがに今回は何も言わずに休ませてあげようと思ってくれている。
お腹いっぱいになり、ほろ酔いでワインを飲む。
つい先日まで外国の駅前で缶ビールを飲んでいたのに。
ハゲワシが人の死体を食べるような大陸の奥地にいたのに。
ここは日本。
故郷の実家。
無条件で俺を愛してくれる親と、仲のいい友達たちがいる。
何の心配事もなく満たされているというのに、どこか、なにか、しっくりこない。
でもきっと、最初はそんなものなのかもな……
誰にも会わずに、少しくらいゆっくりする時間があってもいいのかもしれないな。
すき焼き鍋から立ち昇る湯気の向こうにテレビが見え、そのニュースで、アメリカのイスラム過激派への空爆の話をやっていた。
立ち上がっておやすみと言って階段を上がった。