9月20日 土曜日
【日本】 福岡 ~ 宮崎
この旅最後のミニお国情報
★首都………東京
★人口………1億2千万人
★言語………日本語
★宗教………仏教、神道、など
★建国………紀元前660年。初代天皇即位
★通貨………円
★レート………1ドル=100円
★世界遺産………文化14件、自然4件
手の中には、
汚れた6千円。
世界一周達成。
旅の費用、0円。
あとは宮崎に帰るのみ。
お金がマジで無一文になってしまったのでヒッチハイクしか交通手段はなし。
飯もなし。
早漏。
死ぬ前に宮崎までたどり着けるか。
って大げさだけどね。
福岡から宮崎の日向までなんて、今の俺にとったら造作もない。
超ヨユー。女の子をちょちょっとイカせるくらいヨユー。もう風俗嬢でも2分あれば失神ですね。
宮崎の素朴なヘベズ娘なんて小指で充分です。足の。
嘘です。調子に乗りました。
だいたい女の子に気を使ってもらって、イッちゃったーって優しい嘘をついてもらってたサイドの男だと思います。
切ないですね。死んだ方がいいです。
でも世界一周で生きながらえたから、これからは少しでも女の子を本当に満足させられるように精進したいと思います。
彼女に隠れてこっそり………!!
博多から宮崎はだいたい車で6時間。
ヒッチハイクでも10時間あれば足りる。
今8時。
なら遅くても18時。今夜の晩飯までの我慢だ。
ヨユーヨユー!!!!
ゆうべ船の中で気が高ぶって一睡もしていないけれど、体はアドレナリンがほとばしってまったく疲れを感じていない。
バッグパックとギターを担ぎ上げ、雨が降り出しそうな暗い空の下、博多港の駐車場を歩き始めた。
そして気がついたら太宰府インターチェンジの近くまで来ていました。
今こいつ頭おかしいんじゃないか?と思った方がいますね。
僕もそう思います。
3時間以上歩きました。
だってヒッチハイク出来るようなスペースがなくて………
いつもヒッチハイクしようとすると歩きすぎてしまうんだよなぁ。
でもその3時間はとても楽しいものだった。
目に映るものが全て新鮮に思えた。
日本語の看板、通り過ぎる日本人、どこからか聞こえてくる日本語。
街の様子はいたって外国のそれと同じようなものだ。
人の暮らしというものはそれほど変わりはないし、街の作りや機能も同じだ。
しかしここが日本なんだという事実が見えるものを全て真新しくした。
自動販売機の広告も、居酒屋の暖簾も、パーキングののぼりも、全てが馴染みのあるもののはずなのに、まるで知らない国に来たような感覚だ。
あー、この国はこういう文字で、こういうお店があって、こういう風が吹いているのか。
自分の存在が今までのように外国にやってきた異邦人のように浮いているように思えた。
俺は世界を回ってきたんだ!!という誇らしさもあり、そんな疎外感を感じていることに怖さを感じもする。
歩きながら、バッグパックは肩に食い込み、ギターを持つ手が痺れてくる。
休もう、そろそろいったん休憩しようと思いながらもなかなか足が止められない。
バッグパックの重みが愛しくて、ギターを持つ手にもっと痛みを感じたかった。
旅の初めの頃、あれはスウェーデンだったか。
何もない夜の田舎町を外灯に照らされながらトボトボと1人歩きながら、この一歩一歩は地球からしたらミジンコみたいな小さなものだけど、一歩一歩確実に先に進んでいるんだと実感した。
今、あれから果てしなく遠い道の先をまた一歩一歩、歩いている。
進まなきゃ前には行けない。
荷物が体にのしかかる痛みは、そのことを良く教えてくれた。
ようやく車が止まれそうな場所を見つけ、荷物をアスファルトに放り投げた。
そしてギターケースの裏にガムテープで鳥栖と書いた。
思えばこのガムテープはヒッチハイクのためだけに持ってきたようなものになったな。
あれだけ世界中でヒッチハイクしてきたというのに、なぜか緊張している。
日本の人は俺を乗せてくれるかな。
ちょっと恥ずかしがりながら道路に向けて親指を立てた。
1台目はわずかに15分で止まった。
最終的には宮崎まで行きたいんですと言うと、ならばこの先に高速道路のサービスエリアがあって、そこは裏手から上がっていける場所なのでそこでヒッチハイクしたらいいんじゃないか?と教えもらい、車に乗り込んだ。
「今日はどちから来られたんですか?」
「あ、博多港からスタートしました。」
「え!!?博多港からあそこまで歩いてきたんですか!?いやー、大変だったでしょう。ところで港ってことはどこから来たんです?」
「あ、韓国からです。世界一周から帰ってきたところで。」
「あ、そうなんですねー。」
乗せてくれたのは20代半ばのお兄さんだった。
フランソワというパンメーカーで商品開発をしているという方で、九州中のセブンイレブンのパンを作ってらっしゃるんだそうだ。
いたってどこにでもいる真っ当な社会人というやつで、喋り方や身振りなどの端々に品性が感じられる。
休日でやることもないので実家に帰るところなんだそうだ。
少し肩すかしだった。
世界一周してきました、と言えばおそらく大きなリアクションがあるだろうと予想していた。
へー!!すごいですね!!っていう感嘆を待っていたのに、兄さんは特に食いつくこともなく、漠然としたイメージで捉えているんだろうという反応だった。
意外ではあったけど、実はそんなものなのかもしれないな。
興味のない人には世界一周なんてただの道楽であって、20代で会社に就職して一生懸命毎日の仕事に打ち込んでる人からしたらただの世捨て人のようにうつるものなのかな。
俺は俺なりに命をかけ、長年の夢だった途方もなくデカイ壁を乗り越えたという充足感がある。
頑張った、って胸を張って言える。
でもそんなこと、誰もが手放しで褒め称えてくれるようなことでは、やはりないんだよな。
「世界一周ですか。僕はまぁいわゆる人と同じ人生を歩んできましたし、人と同じでなければ不安っていう思いがあります。だから、単純にすごいなと思いますよ。」
お兄さんの言葉を聞いたその瞬間、ドバッと日常というものが現実味を持って覆いかぶさってきた。
旅をしていれば、社会に馴染めない奴や、社会に不満を持って飛び出してきた人たちにたくさん会う。
この退屈な毎日を変えるべきだ、そんな人生つまんないだろう?という考えが、安宿ではいつも飛び交う。
俺はなるべくそういった社会への不満は言わないようにしてきた。
旅の生活を一生するわけでないし、いずれ戻らないといけない場所だ。
懸命に働いている人たちが国を作っている。
みんなに人生があり、暮らしがあり、喜びがある。
自由に旅をしているからと言って社会を否定するなんて浅はかなことだと思う。
しかしやはり俺もずっと旅の中でそういった考えが染みついてきていたんだろう。
頭では理解していたが、兄さんの何気ない言葉が一気にフラッシュバックさせた。
人と同じでなければ不安。聞き飽きている言葉。
でもそれがとても実感を持って感じられた。
基山のサービスエリアでは1時間半と、結構ハマってしまったんだけど、ここで乗せてくれた人たちはまたさっきの兄さんとかけ離れた人たちだった。
車に乗り込むといきなり懐かしい臭いがした。南米や東南アジアで包まれていたあの煙の臭い。
「なになに~、世界一周?めちゃクールじゃんかよ~。」
ピースフルな車内にはゆったりとした音楽が気持ち良く流れており、いかにもパーティー好きといった3人。
さっきの兄さんとあまりに対象的でそれがおかしくて色んな旅の話をした。
「あっはっはっは!!!鳥取からロシアァ!!?シベリア鉄道でウォッカァ!?マジナイスだよー!!」
ゆるい空気で盛り上がりながら高速道路を走る。
品行方正な国、日本。
でもごく稀にこういう人たちもいるよな。
こういうパーティーを楽しみたいならば探せばどこかにあるってことだ。
レイブよりももっとコアなやつがね。
日田市のあたりにあるサービスエリアでおろしてもらい、気持ち良くなりながら駐車場の出口付近まで歩き、タバコに火をつける。
腹減ったな………
なんか食べたいけど金はない。
さっきの兄さんたちが昼飯おごるよ~って言ってくれたけど、お断りさせてもらった。
帰国最初のご飯は実家の飯と決めている。
コンビニオニギリもラーメンも今の俺には目に入らない。
必ず家でスキヤキを食べてやる!!!
と言いたいところだけど今日帰ることは親には伝えていない。
いつたどり着くかわからないし、こまめにWi-Fiも拾えない。
まぁ多分帰れば何かあるだろう。
お母さんのご飯ならなんでもいい。
「あ!!お兄さん!!乗ってきます!?」
「え?!は、は、はい!?はい!!」
タバコを吸っていたらいきなり後ろからお兄さんが元気に声をかけてきた。
日本でも出た、
奥義、親指立てる前にヒッチ成功。
バンに乗り込むと、車内ではおばさまがたの宴会が繰り広げられていた。
「あっらまー!!ホラ!!ここ座んなさい!!」
「あれー!!旅人ちやつね!?」
なにやらみなさんはソフトバレーのグループらしく、これから別府まで試合に行くところなんだそうだが、
大丈夫なの?っていうくらい元気にお酒を飲んでるおばさまたち。
「はい!!兄さんも飲みんさい!!ワインね!?」
「いやいや、最初はビールからがよかごたる!!」
「あれまぁ、世界一周ね、親御さんは知っとりなさっとねぇ!?」
とにかくおばさまたちの陽気なお喋りでぺちゃくちゃぺちゃくちゃと賑やかな車内。
男性陣はそんなおばさまたちにタジタジなっている。
こんな綺麗な女の人もいた!!
「いやー、サービスエリアかい出ようとしたら兄さんの姿の見えたけん、みなさんに相談したとですよ。そしたら全員が乗しちゃらんね!!って言うかいですねー。」
「そりゃそうよー!!危ない人じゃってん、こっちは7人もおるとやかい大丈夫やからね!!」
もう、大盛り上がりの車内。
おばさまパワー炸裂で俺も久しぶりのこの状況にどうしていいかわからなくなるけど、まぁとにかくみんな優しい。
道路脇で親指立ててる時もそう。
欧米みたいに中指立ててくるバカも、乗せるふりして目の前に止まってファックオフ!!って笑いながら叫んで走り去るようなやつなんてまずいない。
日本では逆にドライバーが俺に向かってペコンと頭を下げてくる。
乗せてあげられなくてゴメンなさい、みたいな感じで申し訳なさそうに。
マジでビビる。
なんて謙虚で丁寧な人たちなんだろう。
今朝の港の入国審査の時もそうだった。
荷物チェックカウンターの職員さんが鬼レベルの腰の低さだった。
「あ、大変申し訳ないんですがお荷物の方、確認させていただきます。え、では、失礼いたしまして、横向きにさせていただきまして、こちら開けてもよろしいでしょうか?あ、こちらユーモラスなお人形ですね。」
とかって、もう世界中のイミグレーションの奴らに見せたいよ。
荷物なんてガンガンぶん投げるし、何も言わずに中身ベロベロに引きずり出して散らかしまくって、はい、あと自分で戻せボケ、みたいな感じで超上からの態度。
トロールもどれだけいじくられまくったことか。
トロールを見せろと言われバッグからはずすと、それを持ってニコニコしながら周りの人たちに見せて回って写真を撮ったりしてる。
職権乱用しすぎ。
それがもう日本人ウルトラ丁寧。
バッグパックなんてエルメスのバーキンを扱うかのごとく慎重に動かしている。
ギター持ってるからって、よし、じゃあここで歌ってみろ、なんて強制的に入国オーディションを開催してきたりもしねぇ。
もう入国からたったここまでで、とにかく日本人の神経質なまでの丁寧さってやつに驚かされっぱなしだ。
おばちゃんたちのバンを降りて、別府のサービスエリアでタバコを吸っていると、外のベンチに座っていたお婆ちゃんがいた。
すると建物の中から職員のお姉さんが出てきて、中があったかいですよー、お茶もありますからーって言ってサービスエリアの建物にお婆さんを連れて入った。
なんでそこまで出来るんだよ。
婆ちゃん外のベンチに座ってただけだぞ?
婆ちゃんが中の売店でカモられてしまわないか心配になってしまう。
日本人てこんなに優しかったっけ……?
45分待ちで1台の車が目の前に止まった。
ブォオーンン!!ブオオオオンンン!!!
というエンジン音を轟かせたその車は、まぁ見るからに走り屋さん丸出しの感じで、イニシャルD的な雰囲気だった。
「延岡まで行くよー!!」
うおおお!!!
別府から大分市を越えて、さらに県境の山間部の先にある延岡まで行くとのこと!!!
延岡まで行けば日向までは30分の距離!!
もう走り屋さんだろうがなんだろうが関係ねぇ!!
お願いします!!と言って乗り込んだ。
「なんだいなんだい!!?世界一周してきて今その帰りだって!?今から日向の実家に帰って世界一周が終わる!?嘘だろ!?」
ドライバーさんは、車からしてもっと怖い人を想像していたのにこれがなんとも話しやすいほがらかな人だった。
俺の旅のことをたくさん質問してくれ、そのたびに大笑いして話を聞いてくれる。
「あっはっはっはっは!!なんだよそれ!!おっもしろいなぁ!!いやー、こんな面白いヒッチハイカー初めてだよ!!」
お名前は野々裏さんとおっしゃり、今日も夕方まで博多で仕事をしていたんだそう。
突然延岡の母方の実家から連絡が入り、お婆さんが体調が良くないということで今急いで向かっていたところなんだそう。
「まぁすぐにどうこうなるわけじゃないから大丈夫なんだけどね。それよりさ!!俺日向まで行くよ!!家まで送って行く!!俺で良ければ世界一周最後の車にさせてくれないかな!?」
「え!だ、ダメですよ!!お婆さんのとこに行かなきゃ!!」
「いや、本当大丈夫なんだよ。すぐすぐどうなるわけじゃないから。もー、俺は今はこの巡り合わせに感動してるんだよ。でも送ってくから親子のご対面ってやつ、見させてよ。遠くからこっそりでいいから。ハグとかするんでしょ?」
「いや、ハグなんかしないですよ母親と。こっぱずかしいです。」
「あっはっはっはっは!!それくらいやっちゃいなよー!!2年4ヶ月も心配かけたんだからさ!!あっはっはっは!!」
車は見かけの通りにすごいスピードでビュンビュンに山を駆け抜けた。
この大分~宮崎の県境の辺りは九州の中で唯一と言っていい高速道路の繋がっていない区間で、クネクネの山道しか通っていない。
そのせいで陸の孤島なんて呼ばれているんだけど、この2年4ヶ月の間で随分と大分側の高速が宮崎に伸びてきていた。
さすがにまだ宮崎まで直行、というわけにはいかないが、本当に県境のわずかな区間だけ道がまだできていないだけで、宮崎側に入ってからまたすぐに高速に乗ることができた。
おかげですごい時間の短縮となり、プラスしてこの走り屋仕様の車。
あっという間に山の向こうに延岡の街明かりが見えてきた。
ヤバイ、ドキドキが止まらない。
一気に緊張が高まってきた。
なにに緊張しているのかうまく説明できないが、とにかく鼓動が早くなり手に汗をかいている。
日向のインターチェンジを降りたころにはもう心臓が爆発しそうになっていた。
国道10号線に出ると、見慣れた光景が目に飛び込んできた。
信号の角のファミリーマート、ティッシュをくれるガソリンスタンド、昔からある潰れてるかやってるかわからない骨董品屋、
一瞬にして全てがフラッシュバックする。
ここにいた日々が蘇る。
あの2年前、ここを出た。
鼓動がどんどん早くなる。
やばい………やばい!!世界一周が、旅が終わる!!
スタート地点に戻り、世界一周の輪っかが繋がる!!
今自分がここにいることが信じられない!!
美々津の橋を越える!!
もう目の前だ!!
車は家の前に着いた。
少し離れたところに車を止めてくれた野々裏さん。
美々津は田舎だし俺の家は高台にあって外灯もほとんどないので周りはとても暗い。
そんな中で車から荷物を降ろし、連絡先を交換させていただいた。
家の前の砂利道、その向こうにある玄関の明かり。
家には電気がついており、中に誰かがいる。
荷物を担ぎ上げる。
もう、こっからはどうやってもトラブルなんか起きないよな。
人生ゲームみたいに、直前でふりだしに戻るなんてマスはないはずだ。
あと20歩でゴール…………
なんともいえない感情が胸の奥から湧き出してくる。
「おめでとう、よくやった!!本当にお疲れ様!!」
野々裏さんが俺のために拍手をしてくれた。
大喝采ではない。
でも俺には100人分の拍手だった。
その拍手があまりにも胸に染みて、ふと涙が出そうになった。
野々裏さん、この旅最後の出会いがあなたで本当に良かったです。
本当に、本当にありがとうございました。
何度も握手して、そして意を決して野々裏さんに背を向けた。
家に入った。
「おう、帰ったか。」
「ただいま。」
「荷物は2階に持って行けよ、散らかるから。」
家の中にはお父さんだけしかいなかった。
髪の毛が減っていたくらいで、他には変わりはなさそうだった。
懐かしの実家…………
着いた…………腹減った………
やっと飯食える………
「お母さんはどこ?」
「あー、山行ってるわ。」
「…………嘘やろ!?また山ぁ!?え?飯なんかある!?」
「ほら、そこにおはぎがあるぞ。」
「……………………」
「美味いぞー、隣からもらったとよ。」
大感動の再会とゴール!!
なんてものは無く、いつもの場所に座って、おはぎを食べて、お父さんと2人でテレビを見る。
「あー、あれか、ずっと歌っとったつか?」
「うん、いつも歌ってたよ。」
「…………泊まるのはどこに泊まっちょったっか?」
「ん、安宿とか……かな。」
短い会話をいくつか交わす。
テレビの音が部屋に流れる。
いつものようにNHKだ。
部屋の中は静かだ。
やつぎばやに喋るお母さんに比べて、口数の少ないお父さん。
多くは語らないけど、いつも俺のやることを黙って応援してくれた。いつも俺のことを信じてくれている。
でも間違ったことをした時はものすごく激しく怒られたもんだ。
何度も殴られた。
そんな怖かった父親が老けていくのを見なければいけないのはなかなか残酷なもの。
家の中の静けさがとても心地いい。
ゆうべ一睡もしていない体にビールが回って、もっと起きていられると思いながらも意識が薄れてきた。
2階に上がって、自分の部屋のベッドに布団をしき横になると、すごく気持ちよかった。
電気も付けっ放しで一瞬にして気絶した。