9月15日 月曜日
【韓国】 ウルジン ~ プサン
潮騒で目を覚ました。
ざーんざーん……という音が遠くで聞こえる。
ポカポカと心地よい暖かさが身体中に降り注いでいる。
目を開けたが強い光が目を刺して何も見えない。
薄目のまま次第に明るさに慣れてくると、真っ白な砂浜と水平線が姿を現した。
空と海と砂浜以外何もない。
遮るものが何もなく、周りにはひと気はまったくない。
潮騒が静寂を濃くする。
ふとまだ夢の中にいるのかという錯覚を覚えて、薄目のままずっとその波の動きを見ていた。
ゆうべ、というか朝方にこの浜辺にたどり着き、ビニールを敷いてそのまま寝転がった。
例によって雨が降ったら一巻の終わりという見渡す限り建物のない砂浜だったけど、薄雲は太陽の光を和らげてくれただけで雨を降らすことはなかった。
時計を見ると10時。
こんな時間なのに砂浜にも後ろのほうの道路にも、まるで人影がない。
ここは望んだ通りの田舎の忘れ去られたビーチだった。
寂しさはない。
こんな寂寞とした光景にひとり座り込んで水平の彼方を眺めていると風の囁きが聞こえてくる。
朧げな記憶の向こうから呼びかけるように。
それらは心を通りすぎて風紋をつけ、全てを忘れさせようとする。
白い空をいくつも描こう。
鮮やかな白い空を。
ほらトロール、海が綺麗だね。
楽しいなぁ。
旅っていいなぁ。
旅っていいなぁ。
荷物をまとめて道路際に立つ。
ここからひたすら海沿いを南に下って行けばプサンに着く。
おそらく3時間くらいの距離かな。
楽勝だな。
言葉は通じないだろうけど、これまでもそんなことはたくさんあった。
ジェスチャーと笑顔でなんとかなる。
さー、久しぶりのヒッチハイク!!
海沿いを駆け抜けるぞ!!
車まったく通らない。
30分待った。そして通ったの2台。
1台は釣りに行く漁師のトラック。
もう1台は市バス。
静寂。
ざーんざーん……っていう波の音だけが聞こえる。
うん、こりゃ無理だ(´Д` )
1日いても乗れる気がしねぇ。
近くにあった売店で辛ラーメンのカップ麺を買って食べていると、売店のおじちゃんがターミナル?と声をかけてきた。
中国や韓国ではターミナルという英語ですらほとんど通じないので、こんな僻地の売店のおじちゃんが英語で話しかけてきてくれたことが嬉しくて、ついハイと返事をしてしまった。
おじちゃんは道路の反対車線まで荷物を運ぶのを手伝ってくれ、知ってる英単語でここでバスに手を上げなさいと教えてくれた。
うーん、ヒッチハイクで行きたかったんだけどなぁと思いながらもおじちゃんがニコニコしながら見守ってくれているし、そもそも車が通らないのでどうしようもない。
そんなことを考えていると、向こうのカーブの先からバスがのんびりと走ってきた。
バスに乗り込むと売店のおじちゃんは満足げに手を上げ、俺も手を降った。
昼前のローカル線バスには爺ちゃんと婆ちゃんだけが乗っていた。
料金がわからなくて財布からコインを全部出して手のひらに乗せて婆ちゃんに見せると、婆ちゃんはその中から500ウォンコインを2枚つまみ上げてニコリと笑った。
「ニホンジン?ニホンジン?」
すると隣に座っていたおじちゃんがいきなり日本語で話しかけてきた。
作業着らしき着古したみなりのおじちゃん。
台湾でも韓国でも、人々は英語よりも日本語を話せることが多いので特に驚くことではないのだが、この外国人など皆無であろう田舎のローカルバスの中で、地元の人が日本語で話しかけてくれるというシチュエーションはとても不思議な感覚だ。
「カシュダネ!スゴイですよー、ソウルはコウエンするマスか?」
めちゃくちゃな日本語だけど、もちろん意味はわかるので会話になる。
こうしてこちらの言葉で話しかけてくれると、俺が韓国に来ているのにと申し訳なくなる。
しかし人々はここは韓国なんだから韓国語を喋りやがれみたいな態度はおくびにも出さない。
いや、俺が理解してないだけかもしれないが、少なくとも嫌な気分にさせられたことはない。
日本語でコミュニケーションを取ろうとし、俺に困ったことはないかい?と世話を焼いてくれるおじちゃんのどこにでもある柔らかい笑顔を見ていたら、さっきまでのヒッチハイクで行ってやろうなんてささやかなこだわりはいつの間にか霧散していた。
この笑顔で、ヒッチハイクして得られたであろうコミュニケーションは充分もらえたと思った。
バスターミナルに着き、おじちゃんにお礼を言ってバスを降りた。
韓国の長距離バスはとても充実している。
いつもターミナルに着いて、どこどこまで行きたいですとチケットを買うと、買って30分以内にはバスに乗り込めている。
この時もプサン行きのチケットを買ってから、ベルトコンベアーのように流れるようにスムーズにバスに乗り込む。
値段は22000ウォン、2200円。
今までどれだけの町に行っただろう。
地球には200くらいの国があり、その中に無数の町や村が存在した。
道は全ての町を繋いでおり、鉄道や船や飛行機が縦横に行き交っていた。
たくさんの人たちが暮らしていて、俺が宮崎の日向で育ったような何気ない人生のドラマがそこにはあった。
それはまるでお祭りみたい。
お祭りってやつは人の心をかきたてる。
隣町でお祭りをやっていたら、そこではきっとみんな自分抜きで楽しい時間を過ごしている。
自分の知らない場所でいろんな人生が繰り広げられていることが悔しい。
俺もその中に参加しなくちゃと焦った。
山奥で、海の向こうで、風が生まれる丘で、人々は俺と同じ時代に生まれて、それぞれの世界のことを夢に描きながら死んでいく。
テレビの中の出来事。でもそれは国境の向こうで今も起きていること。
こんなに広い世界をほとんど知らないままに死んでいくなんてもったいない。
会ってみたかった。
もっともっとたくさんの人に。
その悲しみや喜びに触れてみたかった。
人の人生に触れることは自分の生を確認する作業なのかな。
バスは3時間走って、大きなバスターミナルに到着した。
世界一周、最後の町、プサンに着いた。
ターミナルに併設してある電車の駅でソーミュンとかいう場所までのチケットを買った。
隣にいた兄ちゃんに人で賑わう場所を聞いたら、どうやらこのソーミュン、そしてプサン駅周辺、ナンポーなどの場所がこの街の繁華なエリアだと教えてくれた。
たまたま隣にいた兄ちゃんに話しかけたら英語が喋れたというところが、この街の都会っぷりを表してるようだった。
電車の窓から見る街の景色はとても風情のあるものだった。
周りを山々に囲まれており、坂の多い狭い場所にグジャッと建物が密集している様子はまるで神戸みたいだ。
どうやら予想以上に大きな街みたいで、いたるところに巨大な高層ビルがそびえたっている。
韓国で2番目の都市だもんな。
大阪みたいなもんか。
電車は高架になっているので、街の様子を見下ろしながら滑っていく。
傾いてきた太陽がそんなプサンの街を色付けている。
たくさんの建物がひしめいている中に面白いものを見つけた。
どこかの駅前の家々の中から、にょきっと長い煙突が飛び出していた。
驚いたことにその煙突には、温泉のマークが描かれていた。
そうだ、まさに日本の田舎にまだ残っている昔ながらの銭湯の煙突だ。
日本を回っている時に、いつも初めて訪れた町ではあの煙突を探して銭湯で汗を流していた。
スーパー銭湯が増えて、番台があるような昔ながらの銭湯は随分減ったけど、今でも田舎の下町にはあの煙突が立っていて地元のおっさんたちが湯おけを持って風呂に来ていた。
あの懐かしい光景がこの最果ての町にあった。
旅の最果てではあるけど、ここは日本に1番近い外国なんだもんな。
モダンで綺麗な電車は音もなくレールを滑って行き、車内には都会的な洗練された人々がスマートフォンをいじったり、お喋りをしたりしている。
ここはまだ外国。
でももう国の違いなんてどんどんあやふやになっていく。
車内アナウンスが日本語で流れていた。
ソーミュンの駅の周りは一大歓楽街になっていた。
細い路地が網の目のように入り組み、ものすごい数の飲み屋さんがひしめいていた。
プサンは食の街と聞いていただけあってどのお店も美味しそうな匂いを漂わせており、メニュー看板の写真もどれも個性のある料理ばかりでつい足を止めてしまう。
大きなオシャレレストランがあったり、細い路地には一杯飲み屋みたいな大衆酒場も多い。
港町なので海鮮の居酒屋もたくさんある。
アスファルトはお店の水で濡れ、電信柱にはビールのポスターが貼られ、仕事帰りのサラリーマンやおめかししたOLさんたちが歩き、古き良き昭和の飲み屋街の活気に満ち溢れていた。
プサンは大阪や神戸のような場所なので、ここソーミュンは宗右衛門町もしくは東門といったところか。
迷路のように小道が枝分かれしており、あっちもこっちも飲み屋の看板で埋め尽くされている。
どこからともなく韓国語の演歌が聞こえてくる。
そんな盛り場のど真ん中でギターを鳴らした。
喧騒とお店の音楽でかき消されてしまうので思いっきり声を上げるが、最近喉がイガイガしてきているのであまりいい声が出ない。
やっとの思いで人だかりを作るが、オシボリ配送というなんとも日本的なトラックがやってきてすぐ横で仕事を始めるもんだから集中できない。
オシボリ配送なんて懐かしいなぁ。
お金はポツポツ入るし、みんなお酒を飲んでいるので単価も高いが、喉がきつくなってきたので場所を移動。
静かな路地を探してもう少し歌ったが、喉の調子が悪くて今日は早めに切り上げた。
こんだけ大きな街だ。もっとキチンと歌える場所を見つけ出してやるぞ。
あがりは34000ウォン、3400円。
駅のツーリストインフォメーションでプサンの地図をもらうついでに話を聞いた。
日本へ向かうフェリーポートはどこにあるんだろうと思ったら意外にも街のど真ん中にあった。
もっと街外れの遠いところにあるんだろうと思っていたのに、プサン駅のすぐ隣にインターナショナルフェリーターミナルの文字が書いてある。
ここから歩いても行ける。
値段は福岡までだいたい1万円。
下関にも鳥取にも出ているそうだ。
しかも驚くのはその便数。
聞き間違いでなければ1時間半おきに日本へ向けて出ているという。
日本を回っていた時、対馬や稚内などの外国に近い場所に行くと、急に看板などに外国の文字が増えて不思議な感覚を覚えたものだけど、あの頃はまだ海の外の国なんてはるか遠い世界だと思っていた。
本当は1時間半おきに連絡船が出ており、パスポートさえあればいつだって遊びに行ってプルコギを食べて帰って来られるような身近な場所だったのに。
プサンは日本にとっての世界の玄関。
大陸の入り口。
でも感覚はまるで青森から函館に行くような気軽なものだ。
日本は島国だから閉鎖的だとは言うけれど、実は日本と外国はこんなにも近いものだったんだよなぁ。
というわけで、たった今からでもフェリー乗り場に歩いて行ってチケットを買って船に乗り込めば日本に帰れる。
今食堂で食べているこのトンカツを世界一周最後のご飯にすることもできる。
日本はもうすぐそこ。
何も待つものもない。
帰るための準備も何も必要ない。
日本を出国するためのアウトチケットも、多分必要ない。
ビザも取らなくていいし、滞在日数を何日もらえるかも気にしなくていい。
いつ帰ってもいい。
でも船に乗った瞬間、俺の世界一周は終わる。
こ、怖え………
乗りたくねぇ…………
誰かに、乗らねぇと殺すぞって言われたら仕方なく乗るけど、自分からこの果てしなかった旅に終止符を打たなければいけないなんて、なかなか決断力がいる。
マジか…………
まだ終わりたくねぇ。想像はしてたけど、まさか自分から旅を終わらせるのがこんなに勇気のいる行為とは。
きっと、俺はやり切った、と思うことができれば船に乗れるはず。
船に乗ることを躊躇してる時点では、まだ乗るべきではない。
この最後の街で、俺なりの終わり方を見つけだす。
何が締めくくりにふさわしいかなんてわからない。
でもそれが豪華な飯食ってのほほんと酒飲んで、あー満足、なんてクソつまらないことではないことはわかる。
そのためにも明日、旅の最後に行こうと思っていた場所に向かおう。
街を明かりを背に歩き、暗い山の中へと入った。