9月6日 土曜日
【台湾】 淡水
目が覚めるといつものように俺たちが地面に寝転がってるのを完璧に無視しながらたくさんのおばちゃんたちが俺たちの体を踏まないように体操をしている。
おばちゃんたちの朝の日課。
緩やかな体操なんだけど、一部手を打ち合わせてリズムを刻むパートがあり、そこになるとどうしても目が覚めてしまう。
薄く目を開けると、俺の顔の1メーメル横でおばちゃんたちが真面目な顔をして体を揺らしながら手をパンパンパンパン………
おばちゃんゴメンね、邪魔で………
でもおやすみ………
おばちゃんたちが帰って8時半くらいになると太陽が力強く輝きはじめ、強制的に起こされる。
太陽の角度でうまく木陰になる場所を選んで寝ているので直射日光に炙られることはないんだが、もうこの時間になると蚊帳の中がサウナになるのでとてもじゃないが寝ていられない。
ノソノソと蚊帳から出ると汗だくの体を爽やかな川風が乾かしてくれる。
今日も快晴。
真っ青な空に南国の風が吹き渡る。
向こうの広場に見慣れない特設のバザール会場が出来上がっていた。
音楽が流され、派手なバルーン看板が設置されている。
いつもは静かな朝の駅前なのに、すでにチラチラと観光客の姿がある。
淡水は台北から30分で来られる手近でのんびりとした親しみやすい行楽地。
家族連れからカップル、学生たち、それに外国人観光客もやってくるし、日本人もたまにいる。
平日でさえお祭りみたいな人出なんだから、これが土曜日ならばおそらく昼過ぎあたりから夜にかけてものすごい人でごった返すはずだ。
いつもは日が沈む夕方あたりからしか人が出てこないのに、すでに朝の駅前はにわかに活気づきはじめている。
となると稼ぎどき。
そんなにたくさんの人たちがやってくるならすごいことになるぞ!!
と言いたいところなんだけど、先週ここで路上をやったアツシ君の話では、土曜日は警察に止められたんだという。
普段は自由にやらせてもらえるし、ともすると警備のオッちゃんもお金を入れてくれる。
それが週末だけ止められるんだそうだ。
もしかしたら混雑を避けるために週末だけ警備が強化されるのかもしれないな。
この稼ぎどきに痛いなぁ……
他に歌う場所を探しにいかないとなぁ………
と、いつもなら焦りながらコンビニで缶コーヒーを飲みほすところだけど、
今日は余裕のカフェタイム。
なんせ今夜俺たちには余興の仕事が入っている。
バーベキューパーティーでの演奏で、誘ってくれた人たちは上品で教養がありそうで、やらしい話、裕福そうな雰囲気だった。
ギャラはいくら払えばいいの!?ってゆうべ聞かれたときに、お気持ちのチップで結構ですと伝えてある。
ゼロってことはないはずだ。
楽しんでもらえたらチップも上がる。
やり甲斐がある。
それにお金を抜きにしても、この台湾最後の日にこうして地元の人と触れ合える機会に恵まれただけでもありがたい。
てなわけでこのめちゃくちゃ暑い炎天下で警備員に怯えながら歌わなくてもいいってわけだ。
ミルクティーを飲みながら余裕の一服。
なのだが、俺とは対照的にアツシ君はゆうべからずっと深刻な顔をしている。
しかめっ面で、ずっと考え事をしている。
「ヤバイっすよ………金丸さんに演奏を聞かれるだけでも毎日めちゃめちゃ緊張してるんすよ……なのに一緒にライブとか………あーマジでどうしようー………」
アツシ君はこれまで2年かけて世界を回ってきた旅人で、旅先でギターを弾いて路上演奏もしてきている。
人前で歌ってきた経験はなかなかのもんだと思う。
それでもやっぱり人前で歌うってのは慣れるもんではない。
俺だってもちろん緊張している。
でもアツシ君に比べたら今までずっと歌でやってきた自信ってのもあるし、こういう状況はたくさん経験してきた。
罵声を浴びたり、誰にも聞いてもらえなかったり、辛い場面がたくさんあった。
笑顔で誘ってくれた人が歌を聞いた途端冷たくなるような時もあった。
泣きそうになりながら打ちひしがれて帰る夜、自分の力不足を悔やんで、もっと頑張らないとってずっとやってきた。
今でももちろんまっだまだ下手くそだけど、昔よりかはマシな歌が歌えていると思うし、喜んでもらえる割合も増えた。
だから少しは自信もある。
アツシ君はまだ実際そこまで上手くはない。
味のある演奏はするけど、万人を喜ばせるにはキツイ。
アツシ君もそれは自覚している。だからこそこうして追い詰められて焦っている。
「ヤベェよぉー………金丸さん、曲なにやればいいですかね?あー本当にどうしたらいいかわかんねー………」
「そうやねー、どういう状況かわからんもんね。とりあえずバーベキューパーティーだから明るい感じの曲を多めにしたほうがいいよ。日本の曲ももちろん入れて。まぁまぁソフトクリームでも食べようよ。ホラ、いつもみんな食べてる長いソフトクリームあるやん。あれ食べよう。」
しかめ面すぎ(´Д` )
イメージトレーニングのために、今夜のシチュエーションがどんなものか予想してみることに。
「大丈夫だよ。多分プールがあるような高級ホテルだよ。音響もばっちりマイク2本用意してくれてて50人くらいの程よい人数で盛り上がってさ。黄金のタレでバーベキュー食べて、アサヒスーパードライを飲んで、可愛い女の子だらけで、ギャラもめちゃもらえて、そのまま酔っ払って部屋で寝させてもらえるって流れだな。」
「ま、マジっすか!!乱交ですか!?やべぇ!!」
「いや、これマジであり得るよ。あのおばちゃんたち只者じゃなさそうだったもん。」
「じゃあ最悪の場合はどんなのですか?」
「そうやなー、公民館みたいなとこで30人くらいのパーティーで、音響もなし、みんな酔っ払って騒いでるから誰も聞いてくれない、バーベキューがハッカクまみれで美味しくなくてビールもなし。ギャラは1人500円くらいで、え?まだいたの?もう帰っていいよ?って言われて駅まで帰る途中でウンコを踏んで………」
「金丸さん、もう大丈夫っす………それ以上聞いたら怖くて行けないっす………」
というわけで練習がてら路上したいとアツシ君が言うので、いつもの川沿いの静かなスターバックス横へ。
駅の周りはすでにたくさんの人で賑わっていたが、さすがにこの日中のうだるような暑さでは外を出歩いてる人はほとんどおらず、向こうのカフェの静かなボサノバがゆるやかに聞こえてくる。
たまにクルーズ船が通り、ザザーンと波が音を立てる中、木陰でギターを鳴らすアツシ君。
1人で集中したほうがいいだろうから、俺は荷物を置かせてもらって散歩に出かけた。
淡水は台湾の1番北部にある河口の小さな港町だ。
交通の要衝ということもあってか、ヨーロッパからの宣教師がたどり着き、アジアへのキリスト教布教を始めた地としても知られているらしく、裏路地の奥まったところに小さな教会がたっていた。
そういえば向こうの方に異人さんの顔の銅像があったのを思い出した。
かつて異国の文化が混入したほのかな情緒が残る田舎の静かな路地はまるで長崎の平戸のようだ。
1人で坂道を登り、のんびりと歩いた。
眼下に見える淡水の川が名前の通りに淡く光っている。
歴史ある小道は生活の風が吹いて、郷愁が木漏れ日とともに揺れている。
その飾らない姿がとても気持ち良かった。
淡水、いい町だな。
川沿いに戻ってポロンポロンとギターを弾きながら控えめに練習していたアツシ君を捕まえ、いざバーベキューパーティーへと向かう。
待ち合わせ場所である駅前のセブンイレブンに行くと、16時の駅前広場にはすでに溢れんばかりの人ゴミが出来上がっていた。
照りつける太陽の下では銅像パフォーマーが軽快に動きながら客を集めている。
今日はとことん稼ぎ時。屋台の人たちも客引きのみんなも気合いが入っている。
「ハーイ、よく来てくれたねー!!それじゃあ行こうか。」
待ち合わせ場所にやってきてのは昨日声をかけてくれたおばちゃんたちの中にいたお兄さんだった。
流暢な英語を喋る彼はフェルナンド。
ん?南米っぽい名前だな。
「僕はずっとアルゼンチンで生活してたんだ。メキシコにも住んでたしね。僕らの住んでる場所は外国人が多いからみんな英語が喋れるから安心してね!!」
フェルナンドの運転する高級な車に乗って町を走る。
さぁ、一体どんなところに連れて行かれるのだろう。
予想していた最悪のパターンになるか。それとも最高を超えてくるか。
「さ、ここだよ。」
淡水から少し離れたところにある閑静な住宅エリアにその巨大なマンションはたっていた。
地下駐車場に乗り入れ、綺麗なエレベーターでエントランスに上ると、まぁ驚いた。
彫刻やら絵画やらがそこらじゅうに配置され、ゴージャスなソファーが並び、ビリヤード台が置かれたスペースの周りはすべて大理石でピカピカに輝いている。
巨大なシャンデリアがこれ見よがしに吊り下げられ、中庭には噴水があり、まるで宮殿のよう。
そこはどっからどうみてもお金持ちたちが住まう贅の限りを尽くしたコンドミニアムだった。
「え、え、えーっと……フェルナンド、今夜は何人くらい人が集まるの……?」
「んー、200人くらいかな。このアパートメントのネイバーフッドたちが集まるんだ。みんないい人たちだから楽しんでね。」
200人て(´Д` )
30人くらいのホームパーティーじゃねぇのか(´Д` )
それを聞いて顔色がどんどん悪くなっていくアツシ君。
「か、金丸さん、は、話が違うじゃないですか……なんすかこの金持ちたちの宮殿は?俺もうまじでヤバイっす……」
「よし、じゃあまずはシャワーでも浴びようか。キャンプしてたから体洗いたいよね。さ、こっちだよ。」
フェルナンドの後をついて宮殿の中を歩いていく。
あまりに広くて1人では絶対歩けないし、そこらじゅうに自動ロックのドアがあるのでソッコーで締め出されてしまう。
ふぅ、落ち着こう。
今までもこんなわけのわからない展開はたくさんあった。
たかがお金持ちたちのバーベキューパーティーじゃないか。
スパッとシャワーを浴びて綺麗になって、スパッと歌って拍手をいただいて台湾の箱入りお嬢様のオーヤンをフィーフィー言わせて、
スパっと………
ていうかスパ。
「台湾は温泉がたくさん出るからね。この近くにも温泉街があるんだよ。」
「う、う、うわ!!うわぁ!!本物の温泉だ!!スベスベする!!肌が信じられないくらいスベスベする!!」
「金丸さんヤバイっす!!2年ぶりの湯船っす!!あああ!!気持ちいい!!!」
「洗っとけ!!血管見えるまで洗っとけ!!よ、よし!!ビニール袋に入れてこのお湯を持って帰ろう!!イヤッホウ!!温泉最高ー!!!」
汗と汚れでドロドロになっていた体を隅々まで洗いまくって、アルカリ性のお湯で角質を全部溶かしてツルツルの卵肌になりました。
温泉マジでアンチエイジング。
汗をかきすぎて塩が浮いていた服を洗いたてのジーパンとシャツに着替えると生まれ変わった気分。
久しぶりに人間らしさを取り戻したところで次に向かったのはここ。
屋上のカフェテラス。
夕日に染められた台北のビル群を眺めながら濃いめの美味しいコーヒーを堪能いたします。
ホームレスから一瞬で天上人へと登りつめました。
人生何が起こるかわかりません。
でもアツシ君の顔は緊張と温泉の気持ちよさとコーヒーと夕日と髪の毛のパーマ具合で、なんかもう子羊みたいになってました。
「気楽にやってもらえればいいからね。大丈夫。」
フェルナンドはそう言うが、俺たちはこれでもパフォーマー。
やるからにはみんなに楽しんでもらいたいし、喝采ももらいたい。
テキトーなことはできない。
その責任感がプレッシャーとなってのしかかってくる。
こんなに至れり尽くせりのもてなしをしてくれたんだ、否が応でも気合いが入る。
コーヒーを飲み干したら、いざ覚悟を決めて中庭のパーティー会場へと向かった。
なにこれ?
夜市?
中庭はちょっとした夜市くらいの人出になっていた。
子供が駆け回り、おばちゃんたちが大笑いして、オッさんたちが肉を焼きまくっている。
ピザが山のように配られ、飲み物がバケツの中に溢れ、音楽がスピーカーから流れてもう祭りの盛り上がり。
その中で所在なく呆然と立つ俺とアツシ君。
昨日声をかけてくれたおばちゃんたちは実行委員のメンバーなので慌ただしく走り回っていてとても相手をしてもらえない。
「えーっと……アツシ君タバコある?」
「ないっす……さっき切れました……シケモクならありますけど吸います……?」
……………さー、面白くなってきたぞ。
ここで拍手をもらえてこそのパフォーマンスだ。
「レディース&ジェントルマン!!今日は日本から2人のシンガーを呼んでいます!!なんとこの2人、ギターを持って世界一周をしてきた素晴らしいミュージシャンなのです!!どうぞお楽しみください!!」
おばちゃんの流暢な英語で紹介され、ステージに簡単な照明がつけられる。
マイクも用意してもらえたし、ちゃんと段ボール箱に乗せて音の調整もした。
金丸さん行ってきます、と死地に赴く戦士のような顔でステージへと向かうアツシ君。
その覚悟を決めた背中を拍手が包んだ。
「今日はありがとう。とっても良かったよ。また台湾に来たらかなら連絡するんだよ。アスタルエゴ!!チャオ!!」
淡水の駅でフェルナンドの車を見送った。
土曜日の夜の駅前は23時前になってもものすごい数の人でごった返していた。
それぞれに渡されたご祝儀袋を開けると2000台湾ドルが入っていた。6千円ずつ。
アツシ君とたった5曲ずつしか歌っていないのにこのご祝儀は多すぎるくらいだ。
ライブは悪くなかった。
アツシ君は緊張がえらいことになっていて、声もギターもいつものハリがなかったが、さすがに世界中でやってきただけあってステージ運びやMCが上手く、最後までやりきった。
拍手は起こっているが、まばら。
そして俺の番で、思いっきり歌った。
ノリノリで盛り上げまくると歓声が上がり、最後にアンコールももらってひとまずライブとしての形にはすることができた。
たくさんの人に素晴らしかったわ!と言ってもらい、Facebookの友達もたくさんできた。
お泊りすることは出来なかったけど、それなりにキチンと盛り上げられた満足感で淡水のいつもの野宿場所に戻って来た。
ビールでアツシ君と乾杯。
温泉も入れたしこんなにギャラもいただけて最高だったね、と言いたいところなんだけど、アツシ君は口数少なくうなだれている。
「はぁ……いつもこうなんだよなぁ……いつも終わった後でもっと思いっきりできたって後悔するんですよ………ダメだー………」
気持ちは痛いほどわかる。
同じパフォーマーだもん。
俺もずっとそうだったし、今でもそうやって落ち込むことは多い。
会場を飲み込まないといけないはずなのに、逆に萎縮して飲み込まれてしまう。
そうなると芸はドンドン小さくしぼんでしまう。
ステージに立つ人間なら誰もが経験したことのある悔しさだと思う。
これはもう、経験を積んで、苦い思いをして、少しずつ上達していくしかない。
横で、ああぁ……チクショー……と頭を抱えているアツシ君がまるで自分を見ているようだ。
悔しがるってことは上を目指してるということ。
悔しがれるってことは上達出来るということ。
俺ももっともっとやれる。
まだまだ下手くそもいいとこだ。
明日韓国へと向かう。
ついにこの旅最後の地。
やり残すことのないよう、全力で駆け抜けるぞ。