8月15日 金曜日
【中国】 リタン ~ ガンズ ~ セルタ
増田君、リタンの町は昨日からずっと雨が降りしきっているよ。
標高が高くて雨が冷たくて、サンダルばきの足の指が感覚をなくしてしまうくらい。
なんでこんな小さな町で増田君のことを思い出したのか、その理由はとても簡単。
リタンのミニバン乗り場に行くと、客引きのドライバーがわらわらと群がってきて、みんなで口々にガンズ!!ガンズガンズー!!と叫んでくるんだよ。
みんな必死で何か言ってるんだけど中国語だからまったくわからないし、ここまでくるとチベット語を話す人も増えてくるのでもはや筆談すらできない。
そんな彼らが謎の言葉に混じってガンズガンズと言ってくるんだ。
ガンズってのはまぁ次の町の名前なんだけどさ、
もうわかるよね。
増田君の家でいつもガンズ&ローゼスのCDを爆音で聞いていたのをすぐに連想したよ。
あの十字架にバラと銃がからみついてる有名なジャケットのやつ。
あれを聴きながら毎日一生懸命ウェルカムトゥザジャングルを練習して、米の山公園の野外ステージでライブしたのをはっきり覚えているよ。
まだ高1だったよなぁ。
増田君は中学生のころからギターが上手くて、俺といつも一緒にギターを弾いてたよね。
同級生が40人くらいしかいないめちゃくちゃ田舎の中学校だったけど、俺と増田君は田んぼの中の空き小屋とか浜辺とかでいつもギターを弾いていたね。
中学生のころはまだ俺の方が上手かったけど、高校に入ってからはドンドン増田君が腕を上げていき、あっという間に抜かされてしまったのを覚えているよ。
学校で誰よりも上手くて、町でも有名なギター弾きになって行くのを見て多少悔しかったけど、その分俺は違う方向に軌道が変わって行ったんだ。
こんなに上手いやつがそばにいるんだからギターの早弾きとか難しいカッティングとかは増田君に任せて、俺はボーカルに集中しようって思ったよ。
学校の先輩たちのバンドを見ていると俺の方が歌うまいじゃんと自信を持って、そこから増田君がギター、俺がボーカルになって色んな曲を演奏したね。
あの当時、勝手にこの町で俺たちにかなう奴らはいないって思っていたよ。
雨の中、リタンを出発したミニバンは深いチベットの山の中を走っていく。
走るといっても道があまりにボコボコに荒れまくっているので自転車のほうがまだ早いようなスピードだよ。
おまけに道路工事かなにかでいきなり道が封鎖されていて、平気で2時間くらい待たされるというようなハプニングもある。
見渡す限りのゴツゴツとした岩場が広がるカルスト大地の中で2時間も身動きを止められてしまったらやることはひとつだよね。
そう、この荒涼とした寂しげな風が吹き渡る中、1人で岩場にのぼってギターを弾くわけないです下痢ですよ。
ズボンを下ろしてヴァンヘイレンの暗闇の爆撃を投下だよ。
ああ………もう嫌だ………
ミニバンの中でも常にお腹はイングヴェイのスイープのような音を発してるよ。キモいよね。あの音。
なんとか悪魔を憐れむ歌のキースのソロみたいな下痢の波を耐え続けて、ミニバンは6時間かけてガンズの町に到着したよ。
ミニバン乗り場にはいつものように客引きのドライバーがわらわらとたむろしており、一瞬にして取り囲まれてしまうんだけど、もはやここまでくると完全にチベット地域。
ただでさえ中国語もわからないのに、言葉がチベット語に変わってしまった。
筆談しようにも漢字を読める人も少ない。
それなのに彼らはキョトンとした顔の俺を取り囲んで大声でわめき立てている。
ノーもイエスも理解してくれない。
まったく意思の疎通ができないのに構わずひたすら謎の言語を発し続ける彼ら。俺が理解していないのを分かってるのに、他の伝える方法を探そうという工夫は一切してくれない。
マジで困るよ。
とはいえ、こんなおぼつかない毎日でも着実に前に進んで、今回の東チベット旅の最大の目的地であるラルンガルゴンパまであと町ひとつということまできた。
ここガンズからさらに北上した僻地にセルタという町があり、そこからラルンガルゴンパまでは目と鼻の先だ。
今日はこのままここのガンズで泊まって、明日の朝イチのミニバンでセルタ、そしてラルンガルゴンパにたどり着ける。
やっとここまで来た。
ラルンガルゴンパがどんなとこかはほとんど知らないが、ラオスで会ったコータ君ってツワモノの旅人が東チベットのハイライト的な場所だと教えてくれたんだ。
これまでシャングリラから始まって美しく険しい、そして寂しい景色を見せてくれたチベットの集大成のような場所だ。
きっと心を鷲掴みにしてくれるような何かがあるはずだよ。
明日の分のミニバンの手配をしておこうと客引きたちになんとかセルタセルタと言っていると、意外にも今から走るミニバンがあるみたいだった。
値段は70元。1150円てとこ。
ちょっと高い。
ていうか毎移動が全て高い。
江戸時代みたいなガタガタの未舗装道路をミニバンでくぐり抜けるわけだからある程度の値段がしてしまうのは仕方ないんだけど、やっぱり痛い。
ヒッチハイクはとても出来そうな場所じゃないし。
困っていた時に中国人のバッグパッカーの若者たちがいたから声をかけたら彼らも同じくセルタに行くようだったから、良かったら一緒に行っていい?とお願いすると、最高にフレンドリーな笑顔でOKしてくれたよ。
男女4人組で、俺の大きな荷物を何も言わずに持って運んでくれるという優しいやつらで、おかげで人数集めもあっという間に終わりすぐにミニバンに乗り込むことができたよ。
彼らは女の子が1人かろうじて英語を喋ることができたけど他の3人は全然喋れない。でもそんなこと関係なく中国人の若者たちはみんなフレンドリーで外国人に対してもオープンな心を持ってるよ。
ミニバンはとことんオフロードのデコボコ道をゆっくりゆっくり進んでいく。
標高がぐんぐん上がっていき、周りの山には背の高い木はなくなり、すべてが緑の高地のうねりとなり、ところどころ剥き出しになった岩がものすごいスケールで空にそそり立っている。
道は蛇行しながら山を越え、はるか遠くまで一本道だけがのびている。
そんな緑の山のあちこちにタルチョの旗と布が蜘蛛の巣のように絡みつき、まるでこの空の下の大自然全体が祈りの場であるかのように清浄な空気に満ちている。
ヤックという立派な角があり、体の毛のとても長い牛が草原の中を自由に歩き回っており、彼らのミルクでチベット人の乳製品は作られているんだと思う。
何もない草原にポツポツとテントが張られており、おそらく遊牧の民の住まいなんだろうね。
白い馬に乗った少年がヤックを追って駆け回っている光景はあまりにも孤高な美しさがあるよ。
そして見晴らしのいい景色があるたびにドライバーに車を止めてもらい、中国人のみんなと風に向かってトイレをしたよ。
まるで増田君の好きなジェフベックのボリュームコントロールみたいな寂しい風が吹いていたよ。
ミニバンは相変わらず飛び跳ねながら泥の道を走る。
すでに日が暮れてしまい、あたりは真っ暗になってしまった。
中国人のみんなは疲れて眠っており、静かな車の中には会話はない。
窓の外はひたすら暗闇の高原。
そんな車内、オーディオから流れているのが、驚くことに読経の声なんだよ。
聞きなれないリズムと抑揚だけど、仏教のお経だということはわかる。
車の中でかける音楽が読経だなんて、やはりチベットはこの大地そのものが祈りの場なんだろうね。
ドライバーがふと読経に合わせて囁いてるのを見たとき、なんだか少し怖くなったよ。
高校を卒業して俺たちは離れて、増田君は東京、俺は九州に残った。
本気でギターをやりに行くって言って東京に出た増田君と帰省中に会ってギターを聞かせてもらった時は本当に驚いたよ。
メキメキ上達して、もはや俺の手の届かない遠く離れたところまで行っていたね。
やっぱり東京でもまれるとすげぇんだなって思ったよ。
俺は俺で、歌に重点を置いたアコースティックギターの弾き語りに傾倒して、技術より曲作りに没頭するようになっていた。
ここでお互い進む道は随分変わったよな。
増田君は本気でプロの業界を目指し、俺はメジャーの世界に背を向けて旅を始めた。
でもお互い本気で音楽をやっていたことには変わらない。
メジャーを目指すだけが音楽ではない。そんなの当たり前のこと。
でも増田君は東京に焦っていたのかどんどんストイックになっていき、旅の中で自由に音楽をやる俺を認めなくなっていった。
売れなければやる意味がない。
日本の多くの人々がそう思うような厳しい、そして狭い考えに追い詰められていたように見えた。
メジャーを目指す者とそうでない者。
なんでこんなに隔たりがあるんだと寂しくなったよ。
ミニバンは夜の21時にセルタの町に着き、中国人のみんなと雨の中で宿を探した。
中国人と一緒にいると会話が楽で仕方ないよ。筆談も必要ないし。
と言ってもこのディープなチベットエリアでは中国語が通じない人も多いようだけど。
同じ国なのに不思議な話だね。
そしてこの夜は安めの宿を見つけてみんなで転がり込み、それからご飯を食べに行って遅くまでみんなで話していたよ。
このウェイウェイちゃん、シュワン君たち、みんなそれぞれひとり旅でこの旅行の中で出会った4人だったんだよ。
中国各地からやってきた若者たちが旅先で出会い、こんなに仲良くやってるのがなんだか羨ましかった。
みんな純粋に旅を楽しんでいる。
増田君は結構前にギターを手放したね。
俺はまだ歌ってるよ。
いくら月日が経っても、ガンズ&ローゼスを聞いたらいつも増田君の部屋を思い出すよ。
あの機材だらけの汚い部屋。
ギターキッズだったころ、まだ覚えてるやろ。
楽しかったよな。
もう少しで帰るから、また遊ぼう。