お久しぶりです。
チベットはWi-Fiが不安定でした。
下痢はいまだに続いており、そんなボロボロの体調でチベットを回ってきましたが、チベットはとてつもなく素晴らしいところでした。
あまりに充実した日々だったのでブログ更新に心を割くのがもったいなくてほったらかしていました。
読んでくださってる方には申し訳ありませんが、本当に久しぶりに旅してる気持ちになれました。
チベットを抜け、成都までやってきたのでこれから旅の最後までキチンとブログを更新していきます。
といっても明日また長距離移動なので次の更新は明後日になりますが。
チンチンが小さすぎるとかそんなタイトルのまま止まっていて今さら少し恥ずかしいです。
え?極小とか誰も言ってない?
はい、日記いきます。
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8月8日 金曜日
【中国】 麗江 ~ シャングリラ
72元、1150円のバスは午前の10時半に麗江のバスターミナルを出発した。
目的地はシャングリラという町。ちゃんと漢字4文字で表記できるんだけど、いちいち変換しながら書くのが面倒くさいのでカタカナで書きます。
このシャングリラという、中国に似つかわしくない名前の町は一体どんなところなのだろう。
名前からしていかにも美しい桃源郷といったイメージが浮かぶ。
麗江から北部に向かうとそこは山岳地帯となり、一気に標高が上がり、3000m、4000m級の地域になる。
そしてすぐ西にチベットが広がっているため、このあたりは中国の中でもチベット文化が色濃く根づいた、いわばほぼチベットといってもいいエリア。
高地の寂しげな山脈地の中に小さな町がポツポツと点在しており、気温もぐんと下がり、空が青くなるという。
日本人がチベットに行こうと思ったら高額のツアーを組んで5~6人のチームにならないと入ることはできない。
10万円以上というのが相場。
俺は別にチベットにはそんなに興味ないし、旅人でございなやつがチベット最高!フリーチベット!なんて言ってるのを見ると余計冷めてしまう。
チベットについて何も知らないけども、先入観で食わず嫌いなイメージだ。
シャングリラは住んでる人もチベット人が多く、山岳仏教も盛んな場所だという。
シャングリラから先にもこのような文化の町はいくつもあるらしいのだが、そんなに時間はかけるつもりはない。
ただビザの延長だけここでしなければいけないので、数日は滞在しないといけない。
最近ビザ延長の申請が厳しくなり、これまでみんながやっていた大理や麗江の公安が受け付けてくれなくなったのだ。
おそらくシャングリラなら出来るということなので、ここでしっかり延長しないとな。
パッと回ったら一気に成都まで抜けるぞ。
麗江の町を抜け、バスはどんどん大自然の中へと入っていく。
ぐんぐん標高が上がっていき、窓の外に雄大な山々の連なりが広がり始めた。
道が山々の尾根を這うように伸び、その向こうに絵画のような雲がもくもくと立ち昇っている。
空気が澄んでいるのか、空があまりに青く、ハッとするような草原の緑とあいまって目を洗う鮮明な色彩が広がっていた。
南米のアンデス山脈を思い出した。
あの時もこうしてバスに乗って山々の連なりを眺めていた。
太陽が近く、全てを鮮やかに輝かせていた。
ふと、何か風に揺れているものが目に入った。
よく見てみると、それは何かの旗のようだった。
あ、あれがタルチョってやつか。
チベットについてほとんど知らない俺だけど、このタルチョだけはチベット文化圏の象徴ともいえるものとして写真くらいは見たことがあった。
赤や黄色や青の色とりどりの小さな旗をとりつけた紐が、山の中腹や丘の上にある祠に無数に縛りつけられ、それがこの雄大で寂しげな大自然の中で風にはためいていた。
その光景がなんともいえない寂寞をたたえていた。
バスの中、日記を書く手を止めて窓の外をぼんやりと眺めていた。
バスは15時にシャングリラに到着した。
バスを降りるとヒンヤリとした空気が頬をなでる。
おお、こりゃかなり標高が上がったな。
タクシーかなにかわからないけど、何かの客引きを中国語オンリーでまくしたててくるおじさんたちを振り切って、まずは宿探し。
シャングリラの見所がなんなのかまったくわからないので、とにかくバスターミナルから町に向かう道沿いにある宿に手当たり次第に尋ねてまわる。
だいたい値段は50元とかそんなもんだ。
850円ほど。
しかし例によって外国人を宿泊させてもいい登録をしている宿があまりなく、かなり苦戦してしまう。
外国人宿泊登録をやっている宿はある程度の高級ホテルのみなので、そうなると値段は一気に200元近くまで跳ね上がる。3千円を超えてくる。
本当なら野宿で全然OK。
もう中国って国の治安はわかった。
野宿には何の問題もないレベルだ。もちろんあくまで俺の感想だけど。
ただ、俺はこのシャングリラでビザの延長をしないといけない。
そのためにはキチンとした外国人宿泊登録をしている宿に泊まって、その宿の領収書を持って公安に行かないといけない。
これは最低条件。
それに今の体力が消耗しきってる体で、下痢を外でし続けてしかもシャワー無しなんて拷問でしかない。
多少高くても宿には泊まらないといけない。
シャングリラの町は高地らしい乾燥した空気で道路も砂っぽく、建物も一時代前の昭和のような造りのものが並んでおり、ひなびた雰囲気に懐かしさがわいてくる。
宿や食堂がたくさんあり、それらを1軒1軒回っていく。
バッグパッカー向けの安宿なんてものは見当たらず、どこも普通の田舎のビジネスホテルって雰囲気だ。
家族経営が多いようで、受け付けの前のソファーで家族が食事をしていたりする。
もちろん誰も英語は喋れない。
外国人なんてほとんど相手にしたことのないような地元のホテルばかりだ。
筆談でなんとか泊まれるかを聞いて回った。
180元、150元という絶望的な値段しかしない宿ばかりの中、1軒80元というホテルを見つけた。
しかも外国人宿泊OK。
もうここにするか……
1300円ってのはかなり痛いが、他にいいところも見つけられなさそうだ。
経営している家族の方たちも俺が外国人だからといって嫌な顔もしないし、みんな優しい笑顔を見せてなんとかコミュニケーションをしてくれる。
まぁシャングリラもあまり有名ではないが一応観光地。
きっと歌って稼げるはず。
白いシーツのベッド、歯ブラシやタオルが置いてあるシャワー室といった、安宿ではないキチンとしたホテルの部屋に荷物を置き、散歩に出かけた。
閑散とした町の中を歩いていく。
人の姿もあまりなく、通りのお店は夕方前でどこも閉まっていて活気がなかった。
たまに見かける町の人はカラフルな民族衣装を着ていて、これまでの中国エリアとガラッと雰囲気が変わったことを感じた。
人の顔も少し違う。
肌がよく日焼けしており、子供たちは頬が赤く染まってとても素朴な印象だ。
なんだか落ち着く町だなと歩いて行くと、いきなり向こうのほうに何か巨大な宮殿みたいなものが見えた。
な、なんだあれ?
丘の上にそびえ立つ豪壮な建物はおそらく寺院で、きらびやかな金色の装飾がこの寂しげな町の空に不自然なほど異彩を放っていた。
興奮して足を早めると、だんだんと古めかしい町並みの中に入ってきた。
どうやらこのシャングリラにも大理や麗江みたいな古城エリアがあるみたいだ。
しかしシャングリラの古城はなんとも静かなものだった。
観光客の姿は本当にまばらで、気持ち程度の土産物屋さんがポツポツと並んでいる。
ガタガタの石畳と木造の壊れそうな家屋の隙間を冷たい風が吹き抜けて、傾いた太陽が軒下に影を落とす。
どこからか木を燃やす煙が流れてきて、その臭いが冬の記憶を呼びさます。
なんだか寂しくて見上げると、そこには真っ青な空に城郭のように浮かぶチベット寺院の勇壮な姿。
チベットの伝統衣装を着たおばちゃんが道端で何か手作りのヨーグルトみたいな物を売っていたので買ってみた。
サッパリしたヨーグルトにたっぷりと砂糖をかけたものが5元。80円くらい。
その優しい気取らない味がこの何気ない町並みによく合った。
周りの暇そうな土産物屋さんには皮製品が多く見られるし、乳製品の食べ物屋さんもある。
高地に暮らすチベット民族は牛と深い関わりを持ちながら生きているんだろうな。
本当に静かで、野良犬がたったったと走っていく音が聞こえるほどだ。
観光地化があまりされていない路地には今も当たり前の生活が営まれている。
歩いていくと、荒れた空き地があった。
かなり広い空き地で、石がゴロゴロと転がり、割れた木材が積み上げられ、廃墟の壁が向こうに見える。
子供の頃にかくれんぼした空き地みたい。
石を踏みながらちょっと小高い場所まで登ってみた。
そこからシャングリラの町を見渡すことができた。
ささやかな小さな町の向こうには山々が連なり、幻想的な雲がかかっている。
山の中腹にはチベット寺院の巨大な筒のようなものがあり、人々がその足元に群がってそれを回していた。
青空と金色のコントラストが目を疑うほど鮮烈で、群がる人々はただ一心にその巨大な筒を回していた。
風が心を通り抜けていく。
子供たちが空き地の中を走っている声が遠くに聞こえる。
吹き飛ばされてしまいそうな寂しさが胸をおおって、それが心地よく感じられる。
旅をしてる気がした。
またこんな場所に来れたな。
旅は心の中の埋れた記憶を呼び起こす行為なのかもな。
何か遠くからお祭りみたいな音が聞こえていたので、そちらに歩いて行ってみると、寺院の前の大きな広場で人々が輪になって踊っていた。
割れたスピーカーから大音量の音楽が流され、それに合わせてかなりの人数が踊っている。
老若男女、チベット衣装のおばちゃんたちも、みんなが一緒に手を振りながら動いていた。
まるで盆踊りだ。
しかし別にお祭りといった雰囲気ではなく、毎日こうして広場に集まってみんなで踊っているという日常の1ページのようだった。
夕日が建物を赤く染め、その中で人々は踊り、寺院の境内でタルチョが風にはためいていた。
寒かった冬
あの閉ざされた町の風景はまるでちぎり絵のように悲しく
どこからか焼き芋のラッパが聞こえた
電信柱の角を曲がれば
まだやり直せるのか
みんな元気でいるのか
胸が震えた。
一瞬で恋に落ちた。
もっと東チベットを見てみたくなった。
またこんな場所に来られた。
よかった。