8月6日 水曜日
【中国】 大理 ~ 麗江
中国滞在期間は香港も合わせて26日しかないというのに、最初の町の大理に1週間もいたという暴挙。
おお……マジでやべぇ……
本当に香港まで間に合うのか?
こりゃ観光地とか行ってる時間ないだろうなぁ。
九寨溝どうしよう。1万円くらいするし。
パンダはいいや、確か日本にもいるし。
まぁ全然後悔なんてしていない。
カンさんたちに出会えたことは中国最初にして最大のハイライトになると思う。
人の繋がりこそがこの旅の1番大事なこと。
今日も治る兆しゼロの下痢を朝から3回くらいして、荷物をまとめて中庭に降りる。
階段を降りるだけで息切れして、全身の筋肉が痙攣するようだ。
マジできつい。
こんなんで移動なんかできるのか……?
「フミさん、麗江に行くバスはお昼かお昼過ぎ、どちらがいいですか?」
次の目的地は大理から北に3時間走ったところにある麗江という町。
世界遺産に指定された歴史的な町並みが広がる京都のような町だという。
観光客も大理よりも多く、とにかく半端じゃない観光地とのこと。
カンさんが現地人プライスでチケットを手配してくれるとのことで、お昼過ぎの15時のバスにしてもらった。
そしてカンさんとご飯を食べに近所の食堂に出かけた。
中国人の一般的な朝ごはんは小籠包や麺料理とのことだが、カンさんが注文してくれたのは水餃子だった。
水餃子って日本ではあまり馴染みがないけれど、食べてみて驚いた。
マジで凄まじく美味い。
モチモチした生地とお肉の味のしっかりしたタネ。
やっぱり中華料理はめちゃくちゃ美味いわ。
カンさんが俺の体調を見かねてたくさんの様々な薬を用意してくれていた。
漢方の胃腸薬を飲み、温かいお茶を飲む。
食物繊維を摂るためフルーツを食べ、ヨーグルトを飲み、さらに胃の中の細菌を殺菌するために梅干しも食べる。
ここまでしているのに下痢は一向に治らない。
いくらご飯を食べてもキチンと消化されずにそのまま出てしまうので、栄養を摂ることができずにどんどん痩せていくし、体力も落ちきっている。
ご飯を食べて宿に戻る間に歩くのさえきつくなってきて、こいつはヤバイとカンさんにお願いしてバスまで部屋で横にならせてもらうことに。
体に力が入らない。
エネルギーが1ミリも体にない。
トイレに行って水を出し、ベッドに倒れるとそのまま眠りに落ちた。
ドアをノックする音で目を覚ました。
気づいたらもうすでに14時になっていた。
「フミさん、そろそろ行きましょう。送って行きますから。」
カンさん、そしてワンちゃんもチャンさんもみんなが俺の荷物を持ってバス停まで一緒に行ってくれる。
みんなと歩きながら、俺の手にはグアテマラで手に入れたケツァールが描かれた絵が握られている。
何も渡すものがない。
こんなにお世話になったのに何にもしていない。
中米のジャングルの中で手に入れた幻の鳥であるケツァールが描かれたこの皮は、あまり土産を買わない俺だけど不思議と気に入って買ったもの。
しかしこんなものを渡してカンさんが喜ぶだろうか。
いや、プレゼントで大事なのは気持ち。何かを渡したいという気持ちをカンさんはきっと理解してくれる。
中米からのこの絵をきっとカンさんは喜んでくれる。
いつ渡そう、いつ渡そうと思いながらバス停にやってきて、やってきたバンに乗り込む。
今、今窓から手を伸ばせば強引に渡すことができる。
しかし渡すことはできなかった。
バンは勢いよく走りだしカンさんたちの笑顔が遠くなって行く。
なんにもしてない。俺本当になんにもしてない。
でも俺に何ができた?お金もほとんど持ってない。
遠慮して彼らの行為を受け取らない方が失礼になる。
友情に応えて、一生懸命歌を歌わせてもらった。それしかできなかったけど、それじゃあとても足りなかった気がする。
いつか、必ず戻ってきます。
絶対にこのご恩は忘れません。
75元、1250円のバンは3時間であっという間に麗江のバスターミナルに到着した。
高速道路で快適な道、綺麗な車内、窓の景色も雄大な山々の緑が美しく、あっという間の3時間だった。
ターミナルに到着してすぐにチケットカウンターへ向かう。
カンさんが言うには麗江はあまりに観光地化されすぎていてそんなに面白い場所ではないとのこと。
スパッと見るもの見たらすぐに次の町へ移動しよう。
明日麗江の観光をするとして、明後日の午前に次のシャングリラという町へ向かうバスチケットを購入した。
72元、1200円くらい。
ていうか下痢の時はニーハオトイレとか気にする暇もないですね。
ドアないのにウンコしてます。
恥ずかしいです。
今まではインターネットで次の町の宿くらい調べることはできたが、中国ではGoogleやヤフーのサイトが使えない。
中国の検索サイトのみ。
なのでまったく調べ物ができない。
麗江ってどんなところだろう。
下痢が限界っていうか、いつものごとくすでに軽く漏れているので一刻も早く宿を見つけないと。
カンさんの話では麗江はかなり物価が高く、しかも今は観光のハイシーズンなのでどの宿も値段が3~4倍に跳ね上がっており、最低でもシングルが100元、ドミトリーも運良く空いていたとして50元くらいだそう。
ドミトリーで800円か……
しかもそんな値段なのに今のシーズンはどの宿もほとんど満室とのこと。
ドミトリーのある宿は中国ではかなり限られているので争奪戦だ。
早く宿に入らないと下痢がパワーゲイザーしてしまうので、もうどこでもいいのでとにかく聞いて回ることに。
麗江の歴史保存地区である古城内はハイパー観光地でおそらくめちゃくちゃ高いので、そこらへんの路地裏にあるローカルな酒店を攻めることに。
酒店ってのは中国では宿という意味だ。
早速いかにもローカルな古びた酒店に入り、ノートに、多少銭?いくらですか?と書いて受け付けのおじさんに見せる。
するとおじさん、ノートに70元と書いた。
お?結構安いやん。1100円くらい。
もうここに決めるか?とパスポートを見せると、おじさんはいきなり手を振って、ダメだというジェスチャーをした。
そしてノートにまた文字を書いてくれる。
外地人不可、というような文字。
これか。話には聞いていた。
中国の宿は外国人を宿泊させるためにはそれ用の免許を持ってないといけないと小耳に挟んでいたんだけど、こういうことみたいだ。
なるほど、つまりローカルな安い宿は中国人が泊まって、外国人は免許を取っているそれなりに高価な宿に泊まらないといけないってわけか。
こいつは苦戦しそうだな……とお尻に気合いを込めながら次の宿に飛び込んでみた。
そしてノートを見せる。
「日本人デスカ?日本語ワカリマス。50元デス。宿泊OKヨ。」
はい、俺の引き、奇跡的。
800円で個室と超安い上に、外国人宿泊OKで、しかもスタッフのお姉さんが日本語喋れるというマジ奇跡。
俺持ってる。そしてお尻も漏ってる。
ありがとうございます!!とお金を2日分払ってダッシュで部屋に飛び込んでトイレにヘッドスライディング!!
水のみがオシッコのように出てくる。
ああ………こんな爆弾抱えて外出とか怖すぎるよ………
どこにも行けねぇ………
ひとまず出すものを出して、お腹が空いていたので宿の隣の食堂で腹ごしらえ。
この町に来てからやたらと火鍋という文字を見ているので、本場の成都に行く前に火鍋を試してみることに。
えーっと、マジで美味え。
ていうか火鍋という名のただの水炊きでした。
鳥のダシがきいてる鍋に野菜を別で注文してぶち込む感じです。
辛くないやつだったのでまた成都に行ったらガンガン食べてやるぞ。
ていうかデカすぎるんだよな……
中国ってご飯の量が多すぎる………
今のお腹の状態は黄色信号がなくていきなり青から赤に変わるような危険すぎるものなんだけど、明日の下見のために麗江の古城を見に行くことに。
人のまばらな地方都市の町の中はそれなりにネオンが光っており、なんだか懐かしい雰囲気がして日本のことを思い出してしまう。
道路工事をしていたり、クレーンが夜空に伸びていたり、だだっ広い車道と無機質な古いビルがノスタルジーをかきたてる。
風がほんのり冷たくなり、澄んだ空気に赤や青のネオン管が鮮明に浮かび上がっている。
懐かしい感覚が蘇る。
と、そんな間もずっとお尻に集中してるんだけど。
お店に飛び込んでトイレを貸してもらい、お店がなかったら草むらに駆け込んだりしながらげっそりと歩いていく。
町の中を抜け、しばらくすると麗江の古城エリアに到達する。
そこはもう完全に時代劇のセットだった。
木造の古い建物が長屋のようにどこまでも連なり、裏路地が無数に伸びて迷路のように入り組んでいる。
石畳の道は人が歩きすぎてツルツルに磨かれており、どの辻にもくすんだ歴史の苔がこびりついている。
軒がライトアップされていたり、水路に石橋がかかっていたりと、とにかく京都の清水寺の参道あたりを彷彿とさせる佇まいだ。
まぁ人は恐ろしい数だけど。
どの道も小径と呼んでいい細い趣のある通りなんだけど、そこをうじゃうじゃにも程があるくらい人が歩いている。
半端じゃない。
マジで歩けない。
お祭りのピーク時間みたいな状態で、押し合いへし合いしながらちょっとずつしか進めない。
こりゃえらいこっちゃー。
通りに面しているのはひたすら土産物屋さん。
カフェ、レストラン、食堂などなど、全部観光客向けのお店。
向こうの方には照明がピカピカ光ってるクラブもある。
時代劇のセットの中なのに。
四方街というメインの広場はもうおそろしい人出。
麗江、大人気だなぁ。っていうか中国人旅行好きだなぁ。
ちなみにさっきから路上のあちこちでギターの弾き語りをやってるやつらがいた。
3~4人でたむろしてジャカジャカやりながら熱唱していたが、やはり全員下手。
なんか12年位前に日本で路上がめちゃくちゃ流行ったあの頃を思い出すなぁ。
あの頃はどこの町に行っても猫も杓子も路上で歌ってたもんだ。
日本の路上文化も捨てたもんじゃないか。
小雨が降りだし、下痢も限界なのでそろそろ宿に戻ろうと小道を急いだ。
寝静まった裏道の石畳みが雨に濡れて鈍く光る。
坂道を登り、ひと気のない生活路地を抜け、迷子になりながら暗がりを歩いた。