7月24日 木曜日
【インド】 バラナシ ~ ブッダガヤ
「元気でね。」
「またいつか戻ってきます。」
久美子さんに挨拶して宿を出た。
もうこの路地裏も通らない。
宿の前のミニ商店のおじちゃん、いつものチャイ屋さんの兄ちゃん、
路地を行き交う人々、牛と野良犬、
大通りに出ると相変わらずの巡礼者の洪水。そして日本語で馴れ馴れしく声をかけてくる客引きたち。
今までもずっとそうだったように、これからもずっと同じように続いていく。
誰もなんの疑問も持たずに、祈り、そして死んでいく。人生は祈るための時間として。
バラナシ、すごいところだったな。
ここはまたいつか戻ってくるかもしれない。
ここほど生と死について考えさせられる場所はない。
きっと10年後に来たら、また全然違う感情を持つことができるんだろう。
大通りからリキシャーを拾って駅へ向かう。
来た時は何もわからなかったから100ルピー、140円でリキシャーに乗った。
でも帰りはもう相場もわかってるから50ルピーで乗れる。
なのでリキシャーマンもしつこく言ってこない。
ただ駅に着いて50ルピーを渡すと態度が急変して、なんだ?これは、これじゃ足りない!!と怒ってくる。
そしてそれを無視してバイバイする。
リキシャーマンは後ろから何か吠えるが追いかけてはこない。
これ毎回。
お金払って素直に終わったこと一度もない。
必ず足りないと文句を言う。
最初にいいよと言ったのに、必ず後で足りないと言う。
もしかしたらもらえると思ってるんだろうな。
毎回すぎてアホにしか見えない。
今日の目的地はブッダガヤという町。
まずはチケット売り場でガヤという町までのチケットを購入。
ブッダガヤまでの直行はなく、ガヤからまたトゥクトゥクを乗り継がないといけないみたいだ。
インドの電車には車両によっていくつものランクがある。
エアコン付き寝台、エアコンなし寝台、ただの指定座席など、それぞれで値段も大きく変わる。
そんな中、旅人にもっとも恐れられているのがジェネラルシート。
自由席車両だ。
この我慢と譲り合いという言葉を1ミリも知らないインド人たちの中で自由席なんて、だいたいどんなことになるのか想像がつく。
話では座席はもちろんパンパンになり、床にも座りだし、しまいには荷物を置くラックにも人が登って寝ているという地獄絵図が繰り広げられるという。
座る場所もなく、熱気で汗だくになり、臭いわ狭いわで立ちっぱなし数時間というただの拷問。
それのチケットを買った。
なんでそんなマゾみたいなことをするのかと言うと、もちろん値段が安いから。
ここからガヤまで4時間の移動で、驚異の80ルピー。130円。
市バスじゃねぇんだから(´Д` )
まぁそんな安い等級なので乗ってるインド人たちも必然的に貧しい人々。
ということは盗難の確率も上がる。
そんなぐちゃぐちゃの罰ゲームの最中にも盗難に気を張っていないといけない。
よし、楽しくなってきたぜ。
うん、全然快適。
なにこれ、この前のニューデリーからの寝台とほとんど変わらんやん。
みんなちゃんと座席に座ってるし、譲り合って荷物置いてるし、ファンが回ってるからそんなに暑くもない。
俺が大きな荷物を持ってどうしようかキョロキョロしていると、周りの人たちが荷物はここに起きなとスペースを作ってくれたり、こっちに座りなと座席をつめてくれたり。
譲り合いの心ゼロとか言ってゴメン(´Д` )
なんかいきなりオカマが車両に殴り込んできて乗客たちのアゴを掴んだりチンチンにパンチを食らわしたりして、食らわされた男たちがお金を払うという謎すぎる儀式を終えて列車出発。
さすがインド。謎すぎる。
売り子のチャイを5ルピー、8円で買って、車両の入り口のスペースでタバコをふかす。
全開で走ってるのに入り口のドアは開けっ放し。
外に広がるのはどこまでもインド。
夢の島みたいな信じられない量のゴミの中で人が寝ており、廃墟みたいな町をバイクが行き交っている。
少し田舎に行くと茅葺の草でできた家がポツポツと見え、水田の中で田植えをしてる人がいる。
全ての光景が今までの人生で見てきた中でも最貧の姿。
いくら信仰したって宗教じゃ貧しさは救えないか。
まぁ彼らにとっては信仰とお金は別物だろうけど。
日本の信仰とは大違いだ。
インドでは60%の人しかキチンとした教育を受けていないそう。
40%が学校も行けない貧困層だなんて恐ろしい話だ。
教育を受けた人間がいい仕事を得てお金持ちになり、教育を受けていない人間は地面を這いつくばって客引きになったり物乞いになったり路上でサモサを売ったりするしかない。
金のない人間はどうしたって這い上がることはできない。
それは世界共通のシステム。
生まれた時からついている鎖みたいなもんだ。
カーストは廃止されたとは言っても未だ存在しているし、人間は世界のどこでも身分の階級がなければ社会を形成できないんだろうな。
英語の喋れる若い兄ちゃんと仲良くなっていろいろ喋っていたら4時間なんてあっという間だった。
電車はガヤという町に到着。
しかし今日の移動はまだ終わらない。
ブッダガヤはここからさらにトゥクトゥクに乗って40分のところ。
駅前にたくさんトゥクトゥクが止まっているから、そこらへんの人とトゥクトゥクをシェアすれば20ルピー、30円で行けるという情報だ。
「うっひょおおお!!!観光客だああああああ!!!!ブッダガヤブッダガヤ!!トゥクトゥク300ルピー!!300ルピー!!!」
電車を降りた瞬間、プラットホームに客引きが待ち構えている。
おい、ここはプラットホームだぞ。
勇み足すぎるだろ。
「200ルピー!!たったの200ルピー!!」
荷物を抱えてプラットホームを歩き、連絡通路の階段をのぼっていく間も客引きはずっと横でわめいている。
駅舎の出口に近づくにつれ、何も言ってないのにどんどん値段が下がっていく。
そして他の客引きもやってくる。
「150!!もうー仕方ねぇ!!てやんでい!!150で手を打とうじゃねぇかぃ!!」
「よーし!!もうわかった!!OK!!100ルピーだコンチクショウ!!」
「あ!!てめー!!勝手に値段下げんじゃねぇよ!!」
「うるせぇ!!てめぇこそこのジェントルマンに嘘をつくんじゃねぇ!!なぁ!!ジェントルマン!!」
「この兄ちゃんは俺が先に目ぇつけたんだ!!あっち行けこの野郎!!なぁあんちゃん!!お、おい!!あんちゃん!!待てよー!!」
俺を巡って喧嘩しているのを超無視しながら駅舎を出ると、そこは客引き地獄。
ブッダガヤアアアア!!!
イヤッフオオオオ!!!ブッダガヤアアアア!!
と鼻ヒゲたちが10人くらい群がってきて耳元で怒鳴り散らしてくる。
「100ルピー!!100ルピーで行くぞー!!俺は早ぇぞー!!」
「馬鹿野郎!!俺は80ルピーでいいぞコンチクショウ!!」
はいはいって言いながら歩き、トゥクトゥクの群れの中ですでに人がたくさん乗ってるやつを探す。
「あ!!ブッダガヤか!!乗れ!!早く乗れ!!」
「いくらですか?」
「いいから!!そんなのいいから早く乗れ!!」
「だからいくらですか?」
「いーって!!気にするな!!安いから!!めちゃ安いから!!たったの100ルピーだから。」
「20ルピーね。」
「………フンっ、ここ乗りな。」
というわけで後ろのクソ狭いスペースにサリーを着た若い姉ちゃんとギュウギュウで座る。
やっと乗ったと思っても、ここのバーモントたちは乗ってる人にすらまだしつこく客引きしてくる。
「ブッダガヤ?よし、こっち来な!!」
よし!じゃねぇよ。もう乗ってるだろ。
そしてやっぱりここもアホ丸出しのクラクション地獄で、車線関係なしのレーシング会場。
クラクション鳴らし放題。うるさすぎてストレスがもう爆発しそうだ。
デコボコ道で跳ねるたびに天井に頭がぶつかって痛い。
叫び声と牛と牛とクラクションとデコボコと牛と牛。
もうなんでもいいから早くブッダガヤまで行ってくれ……と頭狂いそうになっていたら、いきなりトゥクトゥクが止まってドライバーが客のオッさんと本気の喧嘩を始めた。
てんめぇ降りろコラ!!とトゥクトゥクから出て、目の前でヒンドゥー語でものすごいエキサイトして怒鳴りあってる。
あの………もうお願いだから喧嘩とかやめてくれませんか………
あいつイカれてんだよ!!みたいにマジギレしながら運転を再開したドライバー。
はぁ、もう頼むよ……と思っていたら、膝の間に挟んでいた俺のバッグの上のポケットのチャックが開いている。
中に手を突っ込むと財布がない。
悲しそうな顔で俺のことを見ている目の前のサリーちゃん。
インド人でも顔みればだいたい生い立ちがわかる。
悲壮感のあるサリーちゃんの顔は完全に物乞い。
おい、財布をどこにやった、と顔を見ると知らない知らない、みたいなジェスチャー。
もう一度言う、財布をどこにやった、と言うと、足元から俺の財布を拾い上げた。
そして口に手を持っていってご飯を食べる仕草をする物乞いのいつもの動作をしてきた。
これは世界共通の金くれのジェスチャーだ。
金盗もうとしたやつがなにをぼざいてんだ?とバッグに財布を戻すと、
ん?iPhoneのバッテリーや外貨を入れてたビニール袋もない。
サリーちゃんの顔を見ると、悲しそうな顔で口に手を運ぶジェスチャーをしている。
ガバッと体を乗り出してサリーちゃんの体を押すと、股にビニール袋を隠していた。
それまで走っていたトゥクトゥクもさすがに騒動に気づいて止まった。
全員英語はまったくダメなのでジェスチャーで伝えるとすぐに理解してくれ、サリーちゃんはそこで無理やりトゥクトゥクを降ろされた。
降りながらもまだ俺に何かくれと言ってくるサリーちゃん。
すると勝手にバッグの横に入れていた水を抜き取って飲みやがった。
まぁいいよ水くらい。置き去りにされたサリーちゃんはこっちをずっと悲しそうに見ていた。
トゥクトゥクは長い一本道を進んでいく。
するとしばらくして検問所みたいなところがあって、そこで止まった。
警察と何か話しているドライバー。
そして戻ってきてこう言う。
この道は通れないみたいだから遠回りして中心部まで行く、だから代金を多く支払え、とのこと。
うるせぇそんなこと知ったことかボケ、と言いたいところだけど、もともと20ルピーとかゲロ安なんだから30ルピーくらい払ってやるかと思ったら財布の中に100ルピー札しかないという凡ミス。
やっちまった。
案の定、町の中心部までやってきて降りる際に、30ルピー払うよと言いながら100ルピー札を渡すがお釣りは40ルピーしか返してこない。
おい、と睨んだらもう10ルピー渡してきた。
ダメだ、100ルピー札なんて渡した時点で諦めないといけない。
ちゃんと小銭である程度持っとかないといけないという基本的なルールを守らなかったほうが悪い。
駅からトゥクトゥクに乗ってくるだけで、喧嘩、盗難、ボッタクリの3大イベントをまとめてインクルーディングしてくれるサービス精神。
さすがインド。
ブッダガヤはほんの小さな村。
しかし中心部にはたくさんのトゥクトゥクやリキシャーがひしめいており、安宿も多い。
なぜこんな小さな村にこんなに観光客がやってくるのか。
それはここが全人類にとってとても重要な場所だから。
今から約2600年前、インドの王子として産まれたシッダールタという男が人生に悩み、その地位を捨てて放浪の旅を始める。
どうして人間は生きるのか。
そのシンプルで、そして途方もない疑問の答えを探して男は様々な苦行を行いながらさまよった。
そしてたどり着いた小さな村で一本の木の下に座り瞑想に入る。
そして男は悟った。
真実を発見し、宇宙の真理と一体となった。
男は人間がどう生きるべきかを迷える人々に説いて周り、その教えは男の死後も広がり、山を越え、海を越え、数千年経った現在も人類の心の拠り所になっている。
このブッダガヤは仏様が悟りを開いた地であり、仏教発祥の聖地なのだ。
というわけで観光客相手の客引きがわんさか寄ってくる。
もちろん日本語ペラペラのやつもいる。
「あ、こんにちはー、元気?ナマハゲー、なんちゃって。笑いすぎー。」
「うるせぇ、消えろ。」
ナマステじゃなくてナマハゲだとこの野郎めちゃくちゃ面白ぇじゃねぇかと心の中で思いながら悟られないようにポーカーフェイスで歩く。
5~6人の客引きに群がられ、そいつらの足をキャリーバッグで轢きながら歩きさっさとやってきたのは、中心部にある安宿、ウェルカムゲストハウス。
ネットで調べたら1番最初に出てきたので目星をつけていた。
値段はドミトリーで100ルピー、170円。
ドミトリーといってもベッドがふたつ置いてあるだけで、客も他にいないのでただのツインルーム。
今の時期のインドは閑散期なのでどの宿もお客さんはほとんどいないようだ。
時間は16時。荷物を置いてすぐに出かけた。
歩いて1分で村の真ん中にある大きな寺院に入る。
ドキドキする。ついに来たんだ。
ここのためにインドに来たと言ってもいい。
こここそが仏教徒にとって聖地中の聖地。
仏陀が長い瞑想の果てに真理を悟ったというその地に建てられた寺院、マハーボディー寺院だ。
たくさんの人々が行き交うエントランス。
まずは荷物預け場所で携帯電話を預けないといけない。
モバイルフォンの持ち込みは厳禁となっているみたい。
カメラの持ち込みはOKだけど、写真撮影許可証を100ルピー、170円で買わないといけない。
しかし俺は写真は全てiPhoneで撮っているので持ち込むことはできない。
てなわけで遠景のこれが限界。
iPhoneを預けて通路を進んでいく。
ボディーチェックのゲートが2重に設置されており、かなり厳重に体を調べられる。
エルサレムでもそうだったもんな。
宗教の聖地ってのは争いの総本山だ。
そしてついに境内へと踏み入った。
そこには巨大な塔がそそり立っていた。
塔というかパレスというか、中米の遺跡を思い出すような厳然とした佇まいは不気味にすら見える。
幾何学的な模様が彫り込まれた石の尖塔。
その中に人が引き寄せられるように吸い込まれていく。
まさしくファイナルファンタジーの光景。
ここで聖なる僧侶になんかの伝説のソードでも授けてもらえそうだ。
ゆっくりと近づいた。
中に入るととても狭い空間で、中心に仏陀の座像が祀られていた。
そのわずか6畳くらいの広さの礼拝堂の中、数人の尼さんが隅に座って一心不乱にお経を唱えている。
参拝客はみな台座に頭をこすりつけて最大の礼をもって仏陀を讃えていた。
あまりの神聖な空気に身が震える。
嘆きの壁も、岩のモスクも、キリストの生誕教会も、どれもその存在の重大さに震えたけど、日本人にとってやはりここはあまりにも特別。
目の前には見慣れた仏陀の像。
「いいことをしたらいいことが返ってくるんだよ。」
「悪いことしたら地獄に堕ちるよ!」
婆ちゃんや爺ちゃんから教わった言葉。それってこの人が最初に言ったんだよな………
「愛が買えるならその涙のわけを教えて。」
ってのもあったな。あ、これはハマショーか。
まだ人間の歴史が浅かった当時は、こうした今で言う道徳という観念すらまだあまり発達していなかったのかな。
そこにこうした指導者が現れ、教えを説いた。
いやいや、現代では物や文明に毒されているので、逆に生や死に対する捉え方が退化しており、当時の方が鋭い思考力が発達していたのかもしれない。
もっともっと複雑で、霊的で、現代人の及びもつかない世界を見ていたのかな。
日本を回っている時に比叡山に行って、名前忘れたけど本堂の中でものすごくたくさんの僧侶たちが読経をしていたのを見てうすら怖い感覚を覚えた記憶がある。
ロケットで宇宙に行ったり、インターネットで地球の裏側の友達とビデオ電話するような現代社会で、未だこんな世界があるのかと思った。
あの時はまだ何も知らんかった。
でも今こうして世界中を回って、人間と宗教の関わり合いを見ていると、それもごく自然な人間の生き方のひとつなんだと思う。
宗教がないと生きていけないとまでは言わないし、別に無宗教って胸を張っていいと思う。
でも日本人である以上、土着レベルで仏教の教えは俺たちの中に根付いている。
徳を積むこと、つまり道徳。
みんな学校で習ってる。
俺たちは仏教徒。
そのボスがここにいたんだよな。
すげぇ。
般若心経を唱えて外に出て、塔の裏手に回ってみると、そこにはたくさんのお坊さんたちが地面に座ってお祈りをしていた。
みんなひとつの大きな木を囲んで、お経を唱えたり、座禅を組んだり、リラックスして目を閉じてる人などがいる。
誰もがその大きな木に向かって祈っている。
葉っぱが青々と茂っており、太い幹が伸びて広く木陰を作っていた。
もう目の前のことがにわかに信じられない。
この菩提樹の木の下に仏陀が座っていたなんて。
祈り続ける熱心な信者もいれば、ただ木陰でのんびりくつろいでるだけの人もいる。
野良犬があくびをしており、枝の上でリスがかけまわっている。
人間も動物も、みなが仏陀に寄り添っていた。
俺もその木陰に座り、ぼんやりといろんなことを考えていた。
ずーっと、時間を忘れてそこにいた。
ここなら何か達観した考えにたどり着けるんじゃないんだろうか。
ここならいい歌詞が浮かんでくるんじゃないだろうか。
まぁ、そんなことないんだけどね。
これからもやっぱり俺は小さなことにチマチマ悩んで、誰かの陰口を叩いて、殺生をして、生きていく。
でも少しは人に優しくならないとな。
1人でのんびりと町の中を歩いてチャイを飲んで宿に戻った。