5月29日 木曜日
【シンガポール】 シンガポール
「金丸さん、あの人たち、なんだと思います?」
朝、寝起きでぼんやりとベンチに座って2人で空港内を見る。
地下のフロアーなのであんまり旅行者はおらず、空港の職員さんがキャリーバッグを転がして歩いている。
その中にピタッとしたアジアンチックなユニフォームを着た美しい女の人たちの姿がある。
綺麗に髪を結い上げ、バッチリメイクで凛とした彼女たち。
スチュワーデスさんにしては変わったユニフォームで、全身のラインがくっきりと見えるようになっているんだが、全員が全員驚くほどスタイルがいい。
「……んー……まぁスチュワーデスさんじゃないの?」
「俺あれ絶対デリヘルだと思うんですよね。」
「……空港にデリヘルはいないんじゃないかな……」
「だって全員美人だし、なんかお金持ちっぽい人が来たら近づいて行って荷物持ったりしてるんですよ。ヤバいっすよ。」
朝から思いっきり笑わせてくれるんだけど、
笑きれない。
顔が痛い。
正確に言うと顔の中が痛い。
目の奥、こめかみの奥、顎のつけね、
顔の中が万力でギリギリ締めつけられているような痛み。
なんだよこれ………
風邪はだいぶ良くなってきている。体のだるさはほとんどなくなったし、喉の調子も悪くない。
今日から歌おうと思っていたのに、顔の痛みが激しくてとてもそんな気になれない。
こりゃ無理だ………
今日も路上はやめておこう…………
「よし、じゃあ荷物置いて遊び行きましょう。こっちです。」
そういって空港の奥に行き、ひと気のない場所のドアを開けて外に出るイクゾー君。
この隅々まで綺麗なチャンギ空港において、この裏庭みたいな建物の影はコンクリートに苔がはって人がほとんど来ていないのがわかった。
そんな建物の影の階段の下、小さなスペースに荷物を入れ込んだイクゾー君。
どうやら歌わない日はここに荷物を隠して街を動いているみたい。
さすがチャンギのヌシ。
俺も貴重品だけ抜き取ってバッグを階段の下に入れた。
電車に乗り込んで街へと向かう。
「金丸さん体調どうですか?」
「んー、体は大丈夫なんだけど、顔が痛いんだよなぁ。圧迫感があって、なんだろこれ。蓄膿とかこんななのかな。」
「でも蓄膿とかすぐなるもんじゃないですよねー。まぁ今日はゆっくりしててください。さ、着きましたよ。行きましょう。」
行きましょうて(´Д` )
何を当たり前のようにカジノに来てんだ(´Д` )
この前の大勝ちで完全にカジノにハマってしまっているイクゾー君。
昨日もブラックジャックで150ドルの勝ちをあげている。
シンガポールにはふたつのカジノがあって、今日やってきたのはマリーナベイサンズのカジノ。
セントーサ島のカジノはもう余裕っす、新しいとこ潰しちゃいましょ?というイクゾー君。
「今日もスパッといっちゃいましょうか。シンガポールをぶっ潰せ、ですよ。」
「……でもあの映画で主人公ボコボコにされるよね。」
「それは彼がトーシローだったからです。富士の狼にぬかりはないです。」
その2秒後にルーレットで80ドルが消える。
「ははは、まぁこんなもんですよ。焦っちゃいけません。賭けってのは熱くなったら負けなんです。軍資金は780ドルです。1500ドルくらいで今日は勘弁してあげようかな。さ、ブラックジャック行きましょう。」
喧騒の間を縫って颯爽とブラックジャックのコーナーへと向かうイクゾー君。
すげーな。俺がラスベガスに行った時、ルールがよく分からなくて対人のギャンブルにはビビって近づけなかったのに、この全財産780ドルの男は躊躇することなくひとつのテーブルにつき、ディーラーに200ドルを放った。
いかにもやり手そうなおばさんディーラーがチラリとイクゾーを見る。
余裕で笑みでもってその一瞥をかわすイクゾー。
無駄にギャンブラーっぽい。
テーブルには他に3人の客。
中国人の男性、中国人のおばさん、インド人の兄ちゃん。
このカジノのブラックジャックは25ドルがミニマムベットで、みんな25ドルチップを張りながら増えたり減ったりの勝負をしている。
ブラックジャックってのは攻めと守りの駆け引きだ。
配られたカードの合計が21に近ければ近いほど強く、21ピタリならブラックジャックで最強。
しかし21を越えてしまったらドボンでその時点でチップはディーラーに回収される。
自分がこれで勝負に行くと宣言すると、ディーラーが自分のカードを引いていく。そしてディーラーと勝負して勝てば単純に賭けたチップが倍になる。
もちろん、ディーラーだってなんのカードが出てくるかはわからない。ディーラーだってドボンをする。
そうなったらこちらの手が10でも勝ちだ。
でもディーラーにもギリギリの勝負をさせるためにもこちらは強い手を作らなければいけない。
この駆け引き。
例えばテーブルのカードが15として、もう1枚もらうかどうか。6以下ならばかなり強くなる。でも7以上ならドボンで終わりだ。
弱気な人は15のままで勝負に行く。でもこれが正解の時だってもちろんある。
攻めるか引くか。
イクゾー君の言うとおり、熱くなったら負けだ。
よく分かってるなイクゾー君。
そしてソッコーで残りの100ドルを全額テーブルにベットする愚か者がここに1人。
「お、おい!!バカ!!やめとけって!!100ドルだぞ!!」
「金丸さん、攻めるとこで攻める。これがギャンブル……です。」
あああ!!
配られたカードはクイーンと3!!絵柄のカードは10扱いになるのでイクゾー君の数字は13!!
一瞬顔をしかめたイクゾー君。テーブルを指でトントンと叩いた。これはもう1枚、の合図。
配られたカード!!
5!!
これで合計18!!
すげぇ!!いい数字!!
そして無表情で自分のカードを配るおばさんディーラー。
あ、ドボンした。
イクゾー勝った。
イクゾー君の前に200ドルのチップが置かれた。
「よし逃げるぞ!!よくやった!!」
「金丸さん、これか小林イクゾー………です。」
手に入った200ドルを全てベットする博徒、小林イクゾー。
「お前なに考えてるんだ!!あああ!!」
「金丸さん、勝負というのは流れです。ツキの流れを読むことがギャンブルの1番大切なことなのですよ。フ………見てください。」
テーブルに配られたイクゾー君のカードはジャックと9。
つまり19。
19!!すげぇ!!
手をサッと横に振るイクゾー君。これはこのカードで勝負に行く、という意味。
19を超えるには20か21しかない!!
こいつは勝った!!
親、ブラックジャック。
負ける。
さーっとチップを回収される。
端っこの席の中国人の女の人が下を向いて爆笑している。
「い、いやー、まさかここでブラックジャックが出てくるとはなぁ。でも金丸さん、これがギャンブルってやつなんですよね。あれ不思議だな、髪の毛がすごく抜ける。」
「な、なぁ、もうやめた方がいいよ。まだ500ドルあるんだからおとなしく帰ろうぜ………」
「金丸さん、男は勝つか負けるか、です。ホラ、あそこにインド人のディーラーがいます。あのジャワカレーを殺してきます。お前のカレーをマイルドにしてやる、っつって。」
20秒後。
100ドル消える。
「ジャ、ジャワ強えぇぇ………手も足も出ない出なかった………」
とりあえずここでコーヒーを飲んで頭を落ち着かせることに。
スロットコーナーに行き、タバコを吸いながら無料のホワイトコーヒーを飲む。
ふぅと一気に脱力した。
俺も見てるだけなんだけど、イクゾー君の状況をよく分かってるだけに他人事に思えなくてすごく緊張してしまう。
しかもイクゾーの賭け方は心臓に悪いよ。
「よし、決めました。残り400ドルです。これ全部で一発勝負してきます。」
「もう……マジでやめた方がいいって………知ってる?このカジノで王子製紙の社長負けたんだよ。大負けして大変なことになったニュースあったやん。」
「俺静岡ですけど王子製紙にはなりません。」
「……んー………もう行くとこまで行ったほうがいいのかな………俺ここで待ってるよ。怖くて見てられない。」
「金丸さん、小林二等兵、行ってまいります。」
そしてまたイクゾー君はブラックジャックのコーナーに歩いて行った。
何もしていないのに疲れたな。
顔の痛みが少し増して、頭痛になってきてるのがわかる。
体がだるい。
風邪だよなこれ………
長引きすぎだよな………
今夜はこの後すぐに帰りたいところだけど、シンガポールの残り滞在日数も迫ってきている。
やらないといけないことは色々ある。
お会いしましょうと約束していた人たちをほっとくわけにはいかん。
今日も今からご連絡をもらっていた男性の方と待ち合わせをしている。
もう少ししてからこのカジノまで来てくださるようなので、それからご飯を食べに行こう。
うう……頭痛え。
「金丸さん!!!」
「うおう!!ビックリした!!ああ!!聞きたくない怖い!!結果が怖い!!」
「とりあえず倍っす。」
イクゾー君の手には100ドルチップが8枚。
マジで400ドルで一発勝負したんだ。
「いやー、楽勝っすよ。勝った800ドルをそのまま賭けようとしたら上限があるって言って賭けられないんですもん。ショボって言っちゃいましたよ。あー、今僕の心拍数ハムスター並みです。」
もう何を言っても無駄なので後はやりたいようにやらせることに。
別に俺が口を挟むことではないし、全てイクゾー君のお金なんだから彼がどう使おうが彼の自由だ。
俺はスロットコーナーの椅子に座って待ってることにした。
この後すぐに200負けて戻ってきたイクゾー君。
残り600。
「金丸さん、このチップ400ドル分預かっててください。あったら全部いってしまうんで。まぁ負けませんけどね。カジノとかマジ楽勝っす。あー、なんでだろ。さっきからゲップが止まらないんですけど俺の体どうなっちゃったんすかね?」
「まぁこの400はとっとくからその200ドルだけ頑張ってね。」
「よし!!行ってきます!!あれ?遺書渡しましたっけ?」
イクゾー君を見送って1人でコーヒーを飲みながら日記を書く。
あいつのことだから3分くらいで帰ってくるだろうと思いながらiPhoneをいじり続けるが、30分経っても戻ってこない。
25ドルずつ賭けながら進退を繰り返してるんだろうな。
いつもなら、もう面倒くさい!!と痺れを切らして大勝負に出て大勝ちするか大負けするかっていう賭け方をするんだけど、ここに来て慎重な勝負をしてるのかな。
なんにしても頭がボンヤリする。
でもまだ大丈夫。
1時間を過ぎたところで誰かが俺のところに近づいてきた。
お、やっと終わったか。
さあ勝ったのかな?それとも全部綺麗になくしたのかな?
と顔を上げると、そこには見知らぬ男性。
あ、待ち合わせしていたMさんだ。
「うわー!始めまして!!金丸さんだー!!すごい!!」
シンガポール在住のMさん。
悪い意味ではなくいかにも真面目そうな方で、カジノに来るのも初めてなんだそう。
なんか俺のことを芸能人かのように褒め称えてくれることがむず痒くてしょうがない。
向こうでブラックジャックをやってるのがイクゾー君だということがわかるとさらに興奮している。
俺たちチャンギに泊まってるんですけどね(´Д` )
Mさんも来られたことだしイクゾー君の様子を見に行ってみた。
どこにいるかなーとキョロキョロしていると、5人フルで座っている白熱したテーブルの一角にジャパニーズ博徒の姿。
俺たちが後ろに近づいたことにも気づかないくらい集中してテーブル上のカードを睨んでいる。
イクゾー君の手元を見るとチップが300ドルになっていた。
順調に増やしてはいるみたいだ。
勝負は一進一退だった。
50ドルチップで勝負して、勝ったり負けたりを繰り返す。
ディーラーは若い男なんだけど、どこか間が抜けたような顔をしており、カードの配り方にも他のベテランたちがやるようなキレがない。
テーブルには欧米人のおじさん、東南アジア系の兄さん、中国人のおばさん、イクゾー君、そして中国人のイケメン兄さんというメンツ。
全員がテーブルを離れる気配なく、ここで勝負する静かな気迫が漂っている。
確かにこのテーブルは白熱していた。
イクゾー君はいったん賭けるのを止め、タバコに火をつけて見に入った。
しばらくしてから様子が変わってきた。
さっきから子にいいカードが回り始め、親が負け始めた。
普通ディーラーはあまりドボンを出さないんだけど、この若い間の抜けた兄ちゃんは何回もドボンして子全員にチップを放出している。
隣の中国人のイケメン兄さんはさっきから5回連続で勝っている。
………おい、イクゾー?ここが攻めるところなんじゃないのか?と言おうとしたところでイクゾー君がタバコを消して100ドルチップを賭けた。
イクゾー、勝負か。
イクゾーのカード、20。
もちろん、ノーモアカード。
そしてディーラーは18。
勝った。
これでイクゾー君の手持ちは400ドルになった。
そしてこの博徒はすかさず100ドルチップを自分の前と、そして隣のイケメン中国人の兄さんの前に置いた。
ブラックジャックはこうして他のプレイヤーのカードに便乗することもできるのだ。
このイケメン中国人はすでに6回連続で勝っている。彼はおそらく次も勝つ。
そう見ている。
カードが配られた。
イケメン中国人の兄さん、20。
イクゾー君は12から1枚もらって18に持っていくことに成功した。
隣の欧米人や東南アジアの兄さんは15とか16でカードを止めた。
親のドボンを狙っているのか。
イクゾー勝負の時………
ディーラーが自分のカードを配った。
…………17
イケメン中国人とイクゾーの2人勝ち。つまりイクゾー君は両方勝った。
チップをもらった瞬間立ち上がるイクゾー君。
「さ、行きましょう。」
換金所で1000ドルをゲットしたこの男。
今日もまた心臓ひっくり返るような勝負の連続でプラス220ドル。
一体なにもんだよお前………
とにかく勝ちでカジノを出ることが出来た俺たち。
どこかでご飯でも食べましょうとやってきたのは安くて美味しいホーカーや日本料理屋さんがたくさんあるブギスという街。
駅からすぐのところにあるブギスストリートはたくさんのお店がひしめく迷路のような一大マーケットで、ものすごい人で大混雑していた。
そんな押し合いへし合いのマーケットを抜けるとホコ天の商店街があり、どこか下町っぽい雰囲気に親しみが湧く。
何かのお祭り期間中なのか、提灯やイルミネーションが飾りつけられ、中央に広場には中国風の大きな像が立てられていた。
そしてやってきたのはMさんオススメのラーメン屋さん。
そう、マジの日本のラーメン屋さん。
ケイスケというお店だ。
このシンガポールに3店舗を持つ人気店で、話ではどこのお店も行列が出来るほどなんだそう。
店員さんはもちろん日本人。
お客さんももちろんほとんど日本人。
気の利いた接客がとても心地がいい。
ラーメン美味い。
ビールも美味い。
そしてMさんのシンガポールでのお話やお仕事のお話もとても興味深い。
のだが………いきなり体のダルさが急激に増してきた。
頭が痛い。
目の奥が痛くて視界がぼんやりする。
こいつはヤバイかも………
Mさんがわざわざお土産にとワインを持ってきてくださっており、どこかで飲みましょうとラーメン屋を出た。
外は雨が降っていた。
濡れながら近くのホーカーへ行き、テーブルに座ってワインを開ける。
美味い。美味いけど…………
ちょっと意識が朦朧としてきた。
「Mさん、本当にすみません………すごく美味しいんですけど、ちょっと飲めそうにないです………」
「いやー、じゃあ今日はこの辺にして帰りましょうか。あ、このボトルまで開けましょう。本当Mさんありがとうございます。」
せっかくお忙しい中お時間をとってくれたMさんには本当に申し訳ないがこのままだと倒れそうだ。
そんな俺の様子を見たイクゾー君が上手に場をシメようとしてくれる。
なるべく早く切り上げようとし、それでいてMさんに対して失礼にならないように空気を読みながら。
それがすごく上手だった。
普段バカなことばっかり言ってるやつだけど、そこらへん奴よりよほどしっかりしているのは会った時からわかっていた。そんなイクゾー君がとても頼もしかった。
「イクゾー君ごめん、電車無理だ。タクシーで帰ろう………」
「わかりました。ちょっとここで待っててください。」
勢いの増した雨の中、道路に飛び出してタクシーを止めようとするイクゾー君。
しかしこんな雨の夜にタクシーはなかなかつかまらない。
反対車線まで走って行ったりしながら必死にタクシーに駆け寄るがどれも乗せてもらえず、雨に濡れながら走り回っている。
イクゾー君、本当にありがとう。
お前と一緒で良かった。
ありがとう。
やっとこさ捕まったタクシーに乗り込み、Mさんにお礼を言ってシートにもたれた。
Mさん、申し訳なかったです……ラーメンご馳走様でした………
いつの間にかこの前買ったばかりの帽子がなくなっていたがそれどころではなく、深い吐息をついた。
久しぶりに体がおかしくなってしまっていた。