5月23日 金曜日
【シンガポール】 シンガポール
シンガポールで部屋を借りると最低でも月35万円はするそう。
ハイパー高いのでみんなルームシェアをするわけだけど、それでも6畳のワンルームが与えられて10万円は払わないといけない。
高いね。
車買ったら、なんか車を所有するライセンスみたいなやつを取らんといかんみたいで数年に1回数百万円払わないといけないみたいやし。
シンガポール怖い!!
そんなシンガポールのミニお国情報。
★首都………シンガポール
★人口………540万人
★言語………英語、マレー語、中国語、ヒンドゥー語
★独立………1965年。マレーシアから
★通貨………シンガポールドル
★レート………1シンガポールドル=82円
★世界遺産………なし
かつてこのあたりは現在のマレーシアのマラッカを中心としたマラッカ王国の領土だったが、ポルトガルの侵略により占領され、植民地支配となる。
その後にオランダやイギリスが入り込み、マレー半島の先端で海峡に面した重要な港として発展して急成長したそうだ。
植民地としての役割を最大限に活用していたみたい。
ここまでは今まで回ってきた世界各国の侵略の歴史と同じ道筋。
ずっと見てきた西欧諸国の貪欲で強力な軍事力の歩みだ。
しかしここからが違った。
イギリス領だったシンガポールを攻撃して新たな植民地としたのは、日本だ。
もうここはアジア。日本の暗い歴史から目をそらして旅することはできない。
お爺ちゃんやお婆ちゃんが話したがらなかった戦争の話にこれからきっと何度もぶち当たるはず。
日本はシンガポールを占領し、軍政を敷き、反日と疑わしき者は徹底的に虐殺し、過酷な労働を強い、今までに世界中で聞いてきた残酷な植民地の歴史と同じことをやったそう。
そんな日本による支配も長くは続かず、第二次世界大戦で日本が敗戦するとともにシンガポールから撤退。
しかしすぐにイギリスがまた植民地支配を回復。
その後独立運動の気運は高まり、マレーシア連邦としてイギリスから離脱。
この時期にマレーシア人と中国人が入り混じり独特な民族形成を作り、1965年についにマレーシアから独立してシンガポールとして歩み始めたという流れ。
まさにアジアの激動の渦中の後に出来上がった国。
ここには学校の歴史の授業でオブラートに包んで教えられたそのベールの向こう側が厳然と存在しているんだ。
これからのアジア、マジで覚悟していかないとな………
現在のシンガポールはそんな植民地として虐げられた歴史を払拭するかのごとく世界トップレベルの文明を保持している。
子供の頃から充実した教育を施しているらしく、小学校の時点で学力別にクラスが分けられているそう。
一流の教育を受けて、一流の企業に就職し、経済大国の歯車となり何不自由ない暮らしを得る、という物質的な意味でのこの世界の最上級の生活を手に入れるわけだ。
と、さらっと歴史を調べてみたけれど、アジアというものはまだまったく肌に染み込んではいない。
とにかく、今はこの国がどんなところかはまだよくわからない。
これから12日間、できる限り懐をのぞいてやるぞ。
さて喉が痛い。
あんなに極寒だったニュージーランドからいきなり真夏並みに暑いシンガポールにやってきて、エミさんのお宅はもちろんエアコンが効いている。
体は正直ってことかなぁ………
エミさんのお宅にはルームシェアメイトが2人いるんだけど、この2人がまぁ絵に描いたようなエリートで、シンガポールの経済の中枢にいるようなビジネスマンとビジネスウーマン。
品行方正、襟をピシッと整えた2人なので、イェーイブロー、ロックをロールしようぜー、みたいなノリではもちろんない。
こちらもかなり気を遣う。
最初、俺の宿泊は了解を得ていたんだけど、そこにアンナちゃんもお願いすることになり、それでギリギリなのにここでイクゾー君もってのは到底無理な話。
1泊だけはさせてもらったが、ゆうべはチャンギに戻って行ったイクゾー君。
こう暑くて毎日汗べっとべとになったら毎日シャワー浴びないときついんだが、チャンギ泊ならもちろんシャワーはない、
洗面所で頭を洗えるくらいだ。
イクゾー君だけチャンギってのは申し訳ないが、あいつもそこは分かってくれる男だ。
すまん。
てなわけで風邪で喉がかなりイガイガしているが今日も路上に行こう。
昨日のドビーゴートのオーチャード通り沿いも悪くはないが、まだまだシンガポールはたくさんの街がある。
今日は別の場所を攻めてみよう。
目標300シンガポールドル!!
声出るかな………
アンナちゃんと朝ごはんを作ってエミさんと3人で食卓を囲み、出発。
電車に乗って最初に向かったのはラッフルズプレイスという駅。
あのシンガポールの象徴みたいなオフィスビル群のど真ん中に位置する駅で、昨日乗り換えた時に良さそうな地下通路を発見していたのだ。
路上の前にひとまず腹ごしらえ。
テキトーにぶらついていればそこらじゅうにフードコートを見つけられる。
それがマクドナルドとかケンタッキーとかのフードコートではなく、いたって大衆的な中国料理のお店が入った食堂街ってんだから毎回の食事が楽しみで仕方ない。
うひょおおおおおお!!!!
暑いいいいいい美味えええええええええ!!!!!!
汗だくになって5.5シンガポドル、500円の麺を食べて、いざ目をつけていた地下道へ!!
路上開始!!
よし!!全然入らない!!
20分で撤退!!
この国はあれやね、地下道はあんまり稼げんね。
みんな忙しそうに歩いてて。
やっぱりショッピングエリアがいいのかな。
場所変えだけど、どこにしようかなーと歩いていたら、こいつがいた。
犬も歩けばマーライオンに当たる。
よし、話のネタにここでやってみるか。
観光客がうじゃうじゃとひしめくマーライオン公園の端の通路でギターを鳴らした。
シンガポールって道路の看板に英語、中国語、マレーシア語、ヒンドゥー語が書いててめちゃ散らかってるんだけど、たまにそこに日本語が加わってるとこもある。
街を歩けば和民とかぼてじゅうとか日本のレストランチェーン店だらけだし、オーチャードには高島屋まであるし、ここは日本か?と錯覚してしまう。
シンガポールには日本企業がたくさんあり、その駐在さんたちがわんさか暮らしているし、駐在さんのご家族のための日本語学校まであるそうだ。
俺のお父さんもそうだったようにシンガポールは慰安旅行のメッカだし、一般の観光客もビビるくらいいるし、とにかく歩いていたら至る所から日本語が聞こえてくる。
そしてこのマーライオン公園。
もう日本人だらけ。
すげー、オーストラリアもカナダもたくさん日本人いたけど、ここまで日本文化が浸透、というか根付いているとまったく外国って気がしないな。
もちろん日本人だけじゃなく、中国本土からの団体客、インド人、マレーシア人、欧米人もわんさかいるこのマーライオン公園。
しかし観光客はお金を入れてくれない。
ひたすら大撮影会。
みんな俺に向かってiPhoneやカメラを構えて撮るだけ撮って何も言わずに去っていく。
い、いいよ……別に写真撮るなら金入れろとは言わないよ………
でも一言あってもいいんじゃないかな………
まぁこんな背景で歌ってたら撮りたい気持ちも分かるけど。
すると向こうの方から何やらテレビカメラを抱えた撮影クルーらしき人たちがワラワラとこちらに歩いてきた。
そして俺の方を見てなにやら話している。
あー、今からここで撮影するから邪魔だからどっか行ってってパターンか。
ほらアシスタントみたいな女の人がこっちに歩いてきた。
「ユー、シング、ヒア、シング、OK。」
はい?
なにやらこのままここで歌っててくれとのこと。
音声さんに服の内側に小型マイクを装着される。
え?なにこれ?
とにかく何でもいいから歌ってくれと言われてわけもわからずギターを弾いて歌う。
カメラを向けられているので何かの撮影と思われ観光客たちの人垣が俺の周りを取り囲む。
どこの有名シンガーだ?みたいな雰囲気。
するといきなり横から陽気な兄ちゃんが踊り込んできた。
「イェーイ!!フッフウウウウウ!!!ペラペラペラペラペラペラペラペラーーー!!!!!」
俺の横に来て腰を振りながらコミカルに踊っている。
そしてひたすら謎の言語で俺にからんでくる。
謎すぎてポカーンとすることしかできない。
オノレは何者ぞ?
東南アジア的な甘い目尻のチャーミングな顔しやがって。
ていうかただのイチ風景としてじゃなくてこんなにガッツリ絡むんだったら少しは演出教えてくれ(´Д` )
俺にとっては謎の状況でしかないんだけど、どうやらこの横で踊っている甘い顔のお調子者がなかなかの有名人なのか、人だかりがすごいことになる。
しかもみんな頭にカバーをかけたムスリムの人たちばかり。
ムスリムに取り囲まれる日本人のギター弾きとハンサムボーイ。
撮影中なのに観衆の人たちが俺たちの横にやってきてピースして写真撮ったりしてるのでなかなかいいテイクが撮れず、何度も歌い、何度も兄ちゃんが俺に絡みまくるというシーンを繰り返し、5テイクくらいでようやく監督のOKが出た。
「名前なんていうの?」
「俺Billy syahputraっていうんだ。結構有名なんだぜ。じゃあ頑張ってな。」
どうやらインドネシアの有名人らしい。
撮影を終えたビリーはムスリムの人たちにワーワー写真をお願いされ、笑顔でそれに応えている。
俺の目の前で。
もちろん俺のことはゲロ無視ですけどね。
気を取り直して、そこから2時間くらい歌った。
マリーナベイサンズの巨大なビルが夕日に照らされ金色に輝き、次第に色を失うと今度は明かりが灯り、夜にそびえる光の塊になる。
そんな美しいトワイライトがシンガポールの街を包み込む中雰囲気よく歌うが、みんな写真を撮るだけでなかなかお金は入れてくれず、夜になって疲れてギターを置いた。
喉が痛いな。鼻水も出てくる。
今日はこの辺にしとくか。
あがりは、
50元
10香港ドル
20000インドネシア
20フィリピン
73シンガポールドル
もうわけわかんねぇ。
それから少し散歩してみようとビル群の足元を歩いて街の中へと入ってみた。
金曜の夜のオフィスビル街はたくさんの仕事帰りの人たちが忙しそうに行き交っている。
そんな無機質なコンクリートの中を歩いていくと、いきなりものすごい賑わいを見せる通りを見つけた。
細い道にどこまでもバーやレストランが並び、道路にテーブルが出されてうじゃうじゃと凄まじい数のビジネスマンたちがビールジョッキをあおっていた。
熱気が立ち昇るようなその通りはボートキーという場所で、シンガポールのビジネスマン、とりわけ白人たちが目立つ繁華街のようだ。
日本でいう新橋のような、親しみのある雑然さにとてもワクワクしてくる。
そこから綺麗に造成された川沿いのウォークウェイを歩いていく。
センスの良いバーやカフェが散らばり、たくさんの人がデッキや階段に腰かけて夕涼みをしている。
このあたりがシンガポールのネオン街なのかな。
と思ったら全然違った。
そうだよ、シンガポールはビルでもハーバーでも空港でも駅でも、なんでも超一流のやりすぎくらいのものを作ってしまう。
そんなシンガポールの飲み屋街がただ事で済むわけがないんだよ。
そこには狂気みたいなネオン街が広がっていた。
川沿いに広がる巨大な建物、全てがレストランやクラブ。
歩行者用の橋を渡ると、屋根のかかったアーケードの飲み屋街となり、ものすごい人で溢れかえっていた。
屋根も壁も、柱もライトも、全てが近未来的な奇抜なデザインで統一されており、とても不思議な空間を作り出している。
光がまたたき、爆音が轟き、誰もが笑いながらグラスを傾けている。
やっぱシンガポールはすげぇ。
なんでもとことんだな。
この辺りをクラークキーと言い、日本の六本木あたりのイメージかな。
人ごみはすごいことになっているが、あまりにうるさいし俺の雰囲気ではない。
ここで路上はやりたくないな。
と歩いていたら、そんなクラークキーのレストラン通りでなにやら人だかりを作ってるパフォーマーがいた。
覗いてみると、そこには水晶玉を宙に浮いているように見せるクリスタルのパフォーマーさんがいた。
このクリスタルボールは人気のジャグリングで、世界中どこでも見かけることができる。
しかしこの人は他の人がそうするようにただ突っ立ってやるのではなく、音楽をかけてダンスしながら見事に水晶玉を指先で転がしている。
落としたら水晶玉はもちろん割れる。
そのスリルが見事に演出されている。
魅せ方のクオリティの高さ。
きっと長い路上経験の中で技術を磨いてきたんだろうな。
驚いたのはこの人が日本人だったということだ。
みんな頑張ってるな。
シンガポールの夜の熱気に頭の中がまどろむ。
飛び交う光が混ざり合い、ねっとりとした夜の闇を切り裂き、誰もが夢を見ているようだ。
夜風の生ぬるさ、喧騒、光の渦、
まるでドラッグみたいに背徳的な魅力に満ちた街だ。
こりゃ虜になる理由も分かるな。
さ、帰ってイクゾー君とアンナちゃんに連絡して一緒に飲もうかな。