5月20日 火曜日
【ニュージーランド】 オークランド
~ 【シンガポール】 シンガポール
お母さんへ
拝啓お母さん。お元気ですか?僕は元気です。お父さんも兄貴も元気ですか?犬のしんごは脱走はしていないですか?
いつもしんごが逃げるたびに心配して夕焼けの中でみんなで探しに行きました。しんごはいつも浜の岩場に鎖が絡まって動けなくなっていましたね。
今僕はニュージーランドの北部にあるオークランドという街の空港にいます。
ゆうべはこの空港の片隅で床にマットを敷き寝袋で寝ました。
お母さんやお父さんからしたら、空港の中で床で眠るなんてそんなみすぼらしい……と思うかもしれませんがこうしてバッグパックを背負った旅をしていると、快適な気温や警備員のいる治安の良さ、虫や雨風を防げる空港の中というのはそんじょそこらの安宿よりもはるかに安眠を得ることができるものです。
お母さんも山登りをしているので、過酷な状況で山小屋に泊まったりしていますよね。
それに比べれば空港なんてホテルみたいなものです。
毎日を堅実に真面目に生きるお母さんが週末に山に出かける時、寂しさもありましたが嬉しさももちろんあります。
お母さんの活発さとささやかな冒険心は今僕の中でしっかりと息づいています。
いつもお父さんに起こされるまで絶対に起きなかった僕が朝の5時半に起きたのは飛行機のためです。
オークランドからオーストラリアのメルボルンを経由してシンガポールに行きます。
昔お父さんが会社の慰安旅行かなにかでシンガポールに行きましたね。
海外なんて遠い海の向こうのことでそんなところに行けてしまうお父さんはすごいなぁと思ったおぼろげな記憶があります。
玄関の下駄箱の上に置いてあるマーライオンの置物は今も花瓶の横にありますか?
今からあのシンガポールに行くのかと思うと、時間の経過が自分の存在の確かさを示してくれるようです。
僕の今回の飛行機はLCC、ローコストキャリアーと言ってとても安い飛行機です。
普通なら7~8万円くらいするニュージーランドからシンガポールを、たったの2万7千円足らずで飛んでしまいます。
もっとも、その格安さにつられて購入してしまうのですが、別途でとても高い荷物代がかかってしまうというのが彼らのやり口ではあります。
ただそれを差し引いてもやはり格安の航空券ではありますが。
なのでまずは荷物の重量をきっちりと制限内に収めるために、朝からバッグと格闘しました。
制限重量は15kgです。それを超過するとさらに多額の追加料金が発生します。
なかなか厳しいもので1kgのオーバーでも1万円近く取られる、なんて話も聞いたりします。
あーでもないこーでもないと、バッグの中身をひっくり返して上手くまとまるように出し入れします。
まるで温泉旅館のテーブルの上に置いている木でできたパズルゲームみたいに、綺麗に容れ物に収めないといけないです。
でも僕がこういうパズルものはそれなりに得意ということはお母さんも知ってると思います。
急須の横に置いてある茶菓子を食べながらいつも1番にパズルを完成させてお母さんたちに自慢するのが好きでした。
こんなことを思い出しながら荷物を詰め込みました。
そして勇んでチェックインカウンターへ向かいました。
予約の紙を見せて荷物を重量計の上に乗せます。
17.8kg
ブフォオオ!!!!
おっといけません、受け付けのお姉さんに飲んでた水をぶちまけてしまいました。これはいけません。
子供のころにお兄ちゃんと牛乳を飲みながら笑わせあった頃を思い出しました。
お母さん、いつもカーペットを汚してすみませんでした。
「いいわ!時間がないから早く行って!!」
なんということでしょう。2.8kgもオーバーしているというのに搭乗時間が迫っているので見逃してもらえました。
お母さん、これもお母さんの躾の良さの賜物です。
言われたとおりに急いで走り、イミグレーションで2秒で出国手続きを終わらせて搭乗ゲートへとたどり着きました。
そしてチケットを見せてゲートを抜けたところでした。
お母さん、やはり美々津の駅の改札のようにキセルし放題とはいきませんね。
呼び止められました。
「おい、そのギターはなんだこのクソ野郎?」
外国というのは怖いものです。威圧的に僕の大事なギターを指差しました。
見ればわかんだろああん?!!このたくましいラガーマンめ!!
と心の中で言いながらギターでございます……と答えたところ、ギターを取り上げられました。
ひょっ!!!
「ちょ、あの、ちょ、ギターは、ちょ、さすがに勘弁していただけないでしょうか。俺ラグビーとかマジでブリリアントなスポーツだと思、」
「機内にギターなんてデケーもんが持ち込めるわけねぇだろ?メルボルンまで別荷物で送るから向こうで受け取れよ。ハバナイストリップ。」
慌てて書類を書いてくれ、ギターを壊れもので預かってくれました。
ラガーマンは優しいです。
ちなみにこれらは没収されましたが。
飛行機は20日間過ごしたニュージーランドを飛び立ち、海上へと出ました。
オセアニア地域ともこれでお別れです。
シマンチュというやつは優しい素敵な人と相場が決まっていますが、ポリネシアの島の民たちもやはり例外なく、というか今まででもトップレベルに素敵な人種でした。
あのマオリの人々の屈託のない笑顔にこそ、マオリが白人世界で共存できている理由があるのではないかと思えます。
愛すべき人々です。
飛行機はあっという間にオーストラリアのメルボルンに着きました。
ここはただの経由地なので飛行機を乗り換えるだけです。なので荷物を受け取る必要もありません。
しかしさっき預けたギターは別です。メルボルンでピックアップしろよと言われていますので、またここでギターを預けなおさなくてはいけません。
そして荷物を受け取るためには一度入国イミグレーションを通過しなければいけないのです。
面倒くさがりな僕ですが、ギターのためならばやらないわけにはいきません。
入国カードを記入して急いでイミグレーションに向かうと、そこには恐ろしいほどの長蛇の列が出来ており、入国カウンターが人ごみのはるか向こうに見えました。
おとなしく列の最後尾に並んではみたものの、次の飛行機まであと50分しかありません。
早くしろこのカンガルー!!と思いながらソワソワソワソワ並んでいましたが、一向に、一向に前に進まず、フライトの時間まで30分となってしまいました。
こりゃダメだ!!と猛ダッシュです。
空港の中を猛ダッシュ。
そしてトランスファーカウンターに行き、ジェットスターの職員さんをふんづかまえてこの次第を説明しました。
例外的なことだったのでなかなか理解してもらえなかったのですが、ようやくわかってもらえたようで、トランシーバーで色んなところに確認を取ってくれました。
時間はまったくありません。
しかしオークランドの職員さんはメルボルンで受け取れと言っていました。
段取りは出来ているはずです。世界を飛び回る航空会社なのですから、これくらい当たり前でしょう。
でもおばさんの口から出たのは、驚きの言葉でした。
「今、どこにあるかわからない。」
なんということでしょう。ウンコが漏れたみたいです。
小学校の帰り道を思い出しました。
ウンコを漏らしながらどういうことか問いただしても、今はわからない、とにかくやれるだけやってみる、今日は無理だとしても明日の飛行機でシンガポールに送るから心配するなと言うんです。ていうか早く飛行機乗れこのウンコマンめ、と言ってきます。
僕にとってギターがどれほどのものか、お母さんならよくわかると思います。
晩ご飯の時にいつもジャカジャカ弾いていて早く食べなさい!!と怒られていましたよね。
そんな大事なギターなのに、どうとりあっても答えは変わりません。
明日、明日送る、それだけです。
仕方なく飛行機に乗りました。
飛行機がガタガタとよく揺れて不安の影はいっそう心に影を落としていました。
シンガポールでもギターは見つかりませんでした。
そして荷物受け取り場で預けていたキャリーバッグをピックアップしたのですが、乱暴に扱われたのでしょう、土台のキャリーがぶち壊れて金具がぶら下がった状態になっており、1人では立つことが出来なくなっていました。
お母さん、ギターがなくなり、キャリーバッグが壊され、おまけにナイフもシャンプーも没収されて、なんですかこれは?
シンガポールに着いたはいいもののズタボロです。アジア初っ端から無駄にトラブルまみれです。
とにかく黙ってるわけにはいかないのでインフォメーションに訴えました。
驚きました、スタッフが全員中国人なのです。いや、周りを歩いている人すべてが中国人と東南アジア人なのです。
そうここはもうアジアの一角だったのです。
僕と同じアジア人の顔をした人たちが暮らすエリアに突入したのです。
2年近く欧米人やラテンアメリカなどの人種の中で暮らしていたので、アジア人しかしないという状況がとても違和感がありました。
でも戦わないといけないことには変わりないです。
「ちゅー、ちょっちー、ちょーちゅー、」
何を言っているのでしょう、このシンガポール人は。
そんなに焼酎が好きなのですか?
と思って僕もだよと答えかけたのですが、どうやら彼は英語を喋っているようです。
しかし中国語と英語が混ざりまくっており、人生初の言語に聞こえてしまうのです。
それがとても東洋的で、この時に初めてアジアに来たことを実感したんです。
シンガポールとは一体どんな国なのだろう!!僕はついにアジアに着いた!!
バゲッジフロントでは簡単な書類を書いただけで終わりました。
なかなか状況を飲み込んでもらえず、キャリーバッグが壊れた、壊れたんでしょ?ギターがない?だからバッグが壊れたんでしょ?いやギターもないんです!!ギターどこですか!!というもどかしいやり取りを謎の英語でなんとかやり取りし、2枚の書類を作ってもらいました。
バッグに関しては2~3日中に業者が金丸さんの元にバッグを受け取りに行き、修理の段取りをさせてもらいます、とのこと。
ギターに関してはどこにあるかわからないのでまた連絡しますとのこと。
そんなあやふやな対応のまま空港ロビーに放り出されました。
床には立ち上がらなくて横たわったままの壊れたキャリーバッグ。そしていつも右手に持っているはずのギターは影も形もなく、手持ち無沙汰ですごい不安に襲われます。
シンガポールという未知の国の空港で、中国人、マレーシア人、インド人が入り混じった人ごみの中にポツリと立ち尽くしました。
どうすればいいのか混乱しました。
ギターがない。今頃まだメルボルンの空港に放置されているのか、それとも誰かが持って行ってしまってもはや行方は風のみぞ知る状況なのか………
犬のしんごの迷子なら鳴き声でどこにいるかわかりますが、こんな海を越えた迷子なんて絶望という文字しか頭に浮かんで来なかったです。
とにかく、今はシンガポールです。
やるべきことをやらないといけません。
Wi-Fiに繋いでメールのチェックをしました。
そうです、先日オーストラリアで会った世界一周中のカメラガール、アンナちゃんと今日このシンガポールで待ち合わせをする予定なのです。
アンナちゃんも着いたばかりのシンガポールで1人で不安でいることでしょう。
高校生のころに僕が家に女の子を連れて来るたびにお母さんに小言を言われていましたね。
頼むから子供は作らないでね、と言われていたことを思い出します。
ひどい高校生時代でした。
今ではあの頃よりもう少しジェントルマンになれていると思います。
なので早く落ち合って僕のマーをライオンにしなきゃ!
ジェントルにマーをライオンにしなきゃ!
マーをライオンにするために待ち合わせ場所を指定するメールを前もってアンナちゃんに送っていたのですが、ちゃんと確認してもらえたかな。
ブルジュハイファという大きなランドマークのホテルがシンガポールにあるので、そこで会おうと伝えていました。
あそこなら誰でもわかるはずなので迷うことはないでしょう。
ギター紛失の手続きで遅くなってしまったので、心配でした。
心配…………でした……
あれ?
ブルジュハイファ………?
まさかのドバイ指定。
なんということでしょう。
ブルジュハイファはシンガポールではなくてドバイにあるホテルの名前でした。
ドバイで会おうね?何をほざいてるんだこのホーケイは?
と困惑してるアンナちゃんが目に浮かびました。
僕のおっちょこちょいはまだ治っていないみたいです。
マジやっべェと思って急いでメールを確認しました。
その1時間後。
お母さん、僕はブルジュハイファ、じゃなくてマリーナベイサンズの屋上で空中プールからシンガポールの街を見渡しました。
とてつもない近未来の街が広がっていました。
想像を絶する人工物です。人間はここまでのものを作り上げてしまうのですね。
ボンベルタと山形屋を超えてきました。
屋上庭園にはとある方の紹介で入らせていただきました。
シンガポールにはたくさんの日本人が住んでおり、各方面の様々な方からご連絡をもらっていたんです。
こちらにいらした際には是非お会いしましょうと言っていただいておりました。
そしてシンガポールに着いてわずか2時間後に、僕はシンガポールの頂点にいました。
お母さん、この街はなんでしょう。
こんな場所がこの世界に存在するのかと目を疑うほどの光景です。
バビロンの塔は人間の傲慢さと神への冒涜の象徴ですが、この街もまたそのような匂いを感じずにはいられない人智を超えたスケールなのです。
もちろん、作り上げたのは紛れもなく人間の手ですが。
宮崎の、美々津の、あの穏やかな空と潮騒、菜の花畑、線路と汽笛、
これが同じ地球上に存在するのですね。
お母さんに見てもらいたい。いや、見ないほうがいいのかもしれません。
この街には、きっと何かを壊してしまうほどの力があるように思いました。
アンナちゃんとは無事会うことができました。
そして一緒に全てが計算され尽くしたマリーナの桟橋を歩きました。
光があらゆるところで瞬き、影はより強い影になりますが、その影さえも計算して作られたもののように見えます。
人々はその異様なまでに作り上げられた美しさというか圧倒的な存在に酔いしれ、誰もが夢とうつつの狭間を漂うように光を眺めていました。
アジアとはどういうところなのでしょう。
人間の本能と欲が渦巻き、その熱による蒸気が夜空へと立ち昇っていくようです。
仏教の哲学や、貧しさへの恐れや、臭ってきそうなほどの人間の業が充満しているような……アジアとはそんな場所だと想像していました。
ひとつ言えるのは、この凄まじい近未来都市の中にいても、ここは白人世界とは完全にかけ離れた独特の空気に満ちているということです。
生暖かい夜風がねっとりと肌に絡みつき、これからのアジア旅を濃厚なものにすることを予感させてくれました。
その先に待ち受けているのが、あの線路と汽笛、空と潮騒、故郷の宮崎です。
あともう少しです。
心配かけてごめん。
いつも応援してくれてありがとう。
きっと無事に帰るから、帰った夜にはすき焼きと、いつも日曜日のお昼に作ってくれたあの玉ねぎと豚バラのヤキメシを作ってください。
お母さん、定年退職おめでとう。長い間お疲れ様。
そして誕生日も、母の日も、ろくにお祝いしないでごめんね。
帰ったら一緒に山に登りましょう。
子供の頃から下駄箱の上にあったマーライオンの置物。
たくさんの観光客に囲まれていました。
いつかお父さんもここに立ったんですよね。
僕は元気です。