5月5日 月曜日
【ニュージーランド】 クライストチャーチ ~ オマルー
「おはようございますー、金丸さん朝ごはんに納豆とかお好きですか?」
リビングに行くと、今日も明るい清潔感に溢れたまる子さんが上品にパソコンを触っていた。
冷蔵庫からお蕎麦を取り出して茹でてくれるまる子さん。
トントンとまな板の上で納豆とネギを細かく刻む音が小気味良く昼前のリビングに聞こえる。
この綺麗で全てが揃った家にいるとクライストチャーチの惨状が別の世界のことに思える。
3年が経ち、人々はかつての暮らしを取り戻したかのような錯覚に陥ってしまうが、それはキチンとした仕事を持った裕福な方たちの話で、未だ不自由な生活をしいられている人はたくさんいる。
どこにでもある話だろうが、富裕層が住む人たちのエリアは行政に対する発言力があるために復興が早かったが、低所得層の人たちが住むエリアは手付かずのままインフラも放置された状態が続いているそう。
保険をかけていなかった人は全てを失ったし、かけていたとしても保険会社からいくらの補助をもらえるかでもめて裁判沙汰にまでなることが多々あるらしい。
そんな人たちが一生懸命生きているこの街の中、明るい家の中でこうしてもてなしてもらって悠々と朝を迎えられている自分に違和感を感じてないわけではなかった。
「これ、南島の天気予報です。………今から10日間はずっと曇りか雨ですね……今から南に下ったらもっともっと寒くなるし、きっと大変ですね。」
パソコンで天気予報を見てみるが、野宿とヒッチハイクで回って行くにはあまりにも過酷な条件がテーブルに出揃っていた。
雨の中、寂しい僻地の中を濡れながらヒッチハイクして野宿か………
こいつは地獄を見そうだな………
望むところだ。
そこにこそ何か面白いことが待ち受けているってことはもう充分わかっている。
ネギ納豆蕎麦という贅沢にもほどがある朝ごはんをズズズっとかきこみ、部屋の荷物をまとめた。
トミーさんに別れを告げ、まる子さんの車に乗って家を出発。
南に向けてヒッチハイクをするために街の郊外の一本道へ送ってもらう。
でもその前に少し寄ってもらいたい場所があった。
まる子さんにお願いしてそこに向かってもらった。
やってきたのは街の中心部の廃墟エリア。
その一角にポツンとたたずむ紙でできた簡易教会に着いた。
中に入ると人影はなく、無人の椅子が並び、静謐な空間にパルプの十字架が吊り下げられている。
奥の部屋でパソコンをいじっていた事務のおばさんに声をかけ、財布を取り出す。
そしてクライストチャーチの路上で稼いだ全てのドルを渡した。
出来ることなら大破した大聖堂の再建費用にしてくださいとお願いすると、専用の銀行口座があるらしくそこに振り込んでおくわねと言ってくれた。
いくらバスキングの旅をしてるからといっても、震災を経験した日本人としてこの街の光景を見てのほほんと出て行く気にはなれなかった。
この街のお金はこの街のために使われるべきだと思う。
ほんの100ドル足らずの金だけど、1日でも早く街のシンボルである大聖堂が再建され、人々の心の拠り所となることを祈るのみ。
それからショッピングモールに寄ってもらい、オーストラリアドルを50ドル分だけ換金して、その金で食パンと缶詰を買った。
これからの南下はかなり厳しいことになると思う。
わけの分からない一本道に降ろされて車がまったく通らずに夜を過ごす、という可能性はおおいにありうる。
とりあえず食べ物だけバッグに入れておけばなんとかなるはず。
最後に贅沢しとこうとフードコートでカレーをかきこみ、半分を残してパックに詰めてバッグに入れた。
お腹いっぱい、iPhoneもバッテリーの充電も満タン、
気合いは充分だ。
行くぞ。
「もう……こんなところに置いて行くなんて心配ですよ………もし何かあったらすぐに連絡してくださいね。」
南へと向かう郊外の一本道についたころにはすでに夕日が沈み、街灯に明かりがついていた。
一直線にのびる道のはるか遠くまでその街灯が等間隔に続いている。
まず最初に目指すのはテカポという小さな町。
南島のちょうど真ん中くらいにある町で、山と湖に囲まれた険しい場所に位置する。
そう、このテカポこそが世界で1番星が綺麗に見られるというスポット。
星が綺麗というだけで世界遺産に登録しようという動きがあるほどに、地域をあげて最も適した天体観測を推し進めている場所。
テカポに寄って星を見てそのまま南東部のフィヨルドが入り組むエリアに下れば、美しい渓谷と湖が織りなすクイーンズタウンという町がある。
ニュージーランド屈指の美しい自然を堪能できる場所として人気の観光地らしく、おそらくここで稼ぐことができるはずだ。
できるならば最南端のインバカーゴという町にも行きたいところだけど、その辺りにはこれといった見所もないそうなので、最果てに来たという達成感のみが行く理由となる。
しかしそれこそが俺の旅の喜びなのだが。
4日間本当にお世話になったまる子さんの車のテールライトが走り去るのを見送る。
暗い車道の脇にポツリと取り残された。
この数日の暖かい日々から一転し、目の前には真っ暗な道が伸びているのみ。
そんな街灯の下に立ち、タバコに火をつけ、道路に向かって親指を立てた。
何の反応もなく通り過ぎていく車やトラック。
こんな真っ暗な中、大きな荷物を抱えたアジア人を乗せてくれる人なんているのか?
怪しいにもほどがあるよな。
車が通りすぎるたびに風が巻き起こり、あまりの寒さにスキージャケットの中に鼻まで埋める。
立てている親指が冷えきって、うまく指が広がらない。
それでも根気強く待ち続けたが、1時間が経過しても誰も止まってくれる様子はなく、しだいに車の交通量も減ってきはじめた。
なんにもない一本道は押し黙ったまま街灯に照らされており、不気味にさえ見えてくる。
この道を進んでいくのか………
天気予報を見てしまってので雨が降り始めることがとても怖い。
そうなったら濡れながら屋根のある寝床を探さなければいけない。
マジか………
でもそんな旅こそが俺の望む果てしない道なんだよな。
「おー!!どこまで行くんだー?寒いだろ、早く乗りな!!」
目の前に止まった1台の乗用車に躊躇なく乗り込んだ。
南だったら行く先なんてどこでもいいんだ。
陽気で、よく喋ってよく笑う初老のおじさんだった。
暗い車内で話が弾み、車は快調に走ってヘッドライトがアスファルトを照らし続ける。
「君はなかなか英語が上手いね。」
「おじさんの話し方が聞き取りやすいんです。」
「そりゃそうさ、だって俺は歯がないからね!!ハッハッハッハ!!」
「ぶー!!マジウケる!!」
かなりボロい車で、シートの上にはたくさんのゴミが散らかっており、足元もごちゃごちゃと散らかっている。
サイドミラーは壊れて鏡が取れており、蜘蛛の巣がはっていた。
おじさんもそんなに裕福そうな身なりではなく、モジャモジャしたヒゲをはやして見方によっては変わった人に見える。
でもそんなこと、こんな夜に乗ることができた!!やったぜ!!という喜びでまったく気にはならなかった。
落ち着いたところでおじさんが行くというオマルーという町がどこにあるかマップで調べてみた。
海岸沿いに走る1号線を見ていくと…………
ぬ………かなり南まで行くじゃないか………
星が綺麗なテカポへ行こうと思ったらオマルーまでの半分の距離のところで車を降り、そこから内陸へと入っていかないといけない。
せっかく乗ることができた長距離移動の車。
星を取るか………
行けるところまでどこまでも行ってみるか………
答えは簡単だよな。
「おじさん!!オマルーまで一緒に行っていいですか?!」
「ノープロブレムにもほどがあるぜ。ところで俺はUFOを見たことがあるんだ。いくつもの光がすごい速さで夜空を行ったり来たりしてたんだぜ。ほらあの光を見てごらん。ちなみにあれは電車だけどね。ハッハッハッハー!!」
「あ、おじさんはラグビー好きですか?」
「ラグビーは最高のスポーツだ。」
おじさんとの楽しい会話はしばらく続き、いろいろとたくさんの話をした。
シケモクを吸っていたおじさんに巻きタバコを作ってあげるととても喜んで、フィルターを抜いてそのまま美味しそうに吸った。
俺も一緒に吸い、おじさんは俺に砂糖を固めたお菓子をくれた。
オマルーまでは2時間半くらいの距離。
さすがにその間ずっと会話が盛り上がるということもなく、しばらくすると言葉数も少なくなり、無言の時間が続くようになってきた。
いつもならちょっと気まずくなる時間帯。
でもこのおじさんはそんなことを感じさせない柔らかい空気があった。
また無言で巻きタバコを渡すと、おじさんは笑顔で火をつけた。
するとおじさんが突然運転席側の窓を開けた。
ビュオウという音と同時に凍てつくような風が車内に吹き荒れた。
どうしたんだ?
あまり会話がないから眠くなってしまったのかな?
と思ったらおじさんがボソッと言った。
「ビューティフルナイトだ。」
頭をかがめて運転席側の窓の外を眺めると、そこにはあまりにもくっきりと光り輝く三日月が夜空にあった。
薄く散らばる雲の淵が照らし出され、夜空に線を引く丘陵の稜線が、壮大に夜にそびえていた。
それはまるで、あのロードオブザリングの映画のシーンのように、ファンタジーの世界に迷い込んだような錯覚を覚えさせた。
思わず感嘆の声をもらし、しばらく見上げていた。
くっきりとしたその三日月は吊り下げられた釣り針みたいに魅惑的で、俺たちはそれに見とれる深海魚のようだった。
おじさんの言った通り、車は21時半にオマルーの町に到着した。
町の中心部はそれなりにお店が固まっておりまぁまぁ栄えてはいるようだけども、すでにこの時間には人通りはほとんどなく、車もまばらにしか走っていなかった。
どこにである寂れた港町といった感じ。
いいところを見せてあげるぜ、とおじさんは町の中の裏路地に入っていく。
なにか特別なものでもあるのかなと少しだけ期待していると、そこには古めかしいヨーロッパ調の建物が並ぶ歴史地区のような光景があった。
もちろん規模の小さいこぢんまりとした通りだけども、ヘッドライトに浮かび上がるかつてのイギリスからの移民たちが作ったその建物が田舎町に残されている姿は怪しげな美しさがあった。
それからさらに奥へと進み、夜のハーバーにも入っていってくれたおじさん。
無数の海鳥の鳴き声が闇の向こうから聞こえてくる。
明るい時に来たらきっと綺麗だろうな。
あれ?なんかいるぞ?
なんだ、ペンギンか。
なんだペンギンかあああああああああああああ!!!!!!!
ペンギンやべえええええええええええ!!!!!!!!
ええ!!!ペンギン見られるの!!??
マジで!!
「この南部の海岸沿いにはペンギンのコロニーがたくさんあるのさ。この海岸には2種類のペンギンが生息してるよ。」
ペンギンと超旅してぇ。
ペンギンをギターケースの上に立たせといたら20万くらい稼げそう。
ペンギン大好きいいいいいいいいい!!!!!!!
でも生息エリアに入るためには入場料が必要みたいなのでやめとこ。
この先も海沿いを下っていくのでまたチャンスはあるだろ。
おじさんは町の中をぐるぐる回ってくれ、一緒に俺の野宿ポイントを探してくれた。
俺の家の庭でもいいんだけど、と連れて行ってくれたけどあまりにも地盤がぐちゃぐちゃにぬかるんでいたのでパス。
今日は星が出ているので夜露がすごく、アスファルトさえも濡れてしまっているほど。できれば屋根の下がいい。
贅沢な俺の要求に嫌な顔ひとつせずにかなり走り回ってくれ、ようやく町外れの寂しい大きな公園の中に良さそうな場所を見つけた。
駐車場の奥に使われていない何かの建物があり、その軒下がちょうどいいスペースになっていた。
「おじさん、ここがいいです。」
「いい場所があってよかったぜ。」
最後におじさんと一緒に巻きタバコを吸った。
「おじさん、ありがとうございました。」
「ユーアーモストウェルカム。俺たちの国をエンジョイしてくれ。」
おじさんは最高の笑顔で親指を立てて車を走らせて行った。
1人、真っ暗闇の中、軒下のアスファルトの上にマットを敷いた。
その上に座り、寝袋を膝にかけてバッグの中から昼に食べたカレーの残りを取り出す。
辺りは完全なる静寂で、風の音も聞こえない。
寒くて震えてくるが、これくらいならまだなんとかなる。
iPhoneのライトで照らし、かじかむ手で冷えきったカレーを食べた。
意外なほど美味い。冷めてても美味しい。
ライトに白い息が浮かび上がる。
すぐに全部たいらげ、タバコを1本吸い、寝袋に潜り込んで横になった。
夜空にはビックリするほど綺麗な星空が広がっていた。
あー、テカポじゃなくてもきっと綺麗な星空は見られるだろうなぁ。
それよりもアテのない道をどこまで行けるか。
行けるところまで行ってやるぞ。
鼻が冷たくて頭まで寝袋をかぶって目を閉じた。