4月17日 木曜日
【オーストラリア】 ヌーサ
「ミゲル、ニュージーランドとシンガポールのチケットどないするん?」
「まだ買ってないです。もしよかったらジェニファーさんのクレジットカードで買ってもいいですか?お金今払えるんで。」
「ええでー。」
真っ青な空。かがやくパームツリー。鮮やかな花々。
今日もヌーサは穏やかな空気が流れている。
あまりにも気持ちのいい天気の下、アパートの庭にあるプールへ行き、プールサイドのカウチに横になる。
ゆうべ泊まったジュンペイ君も嬉しそうに裸になって太陽を浴びている。
まったりとした時間を過ごしながら、インターネットでニュージーランド行きとシンガポール行きのチケットを調べる。
今わかってる情報では、5月はじめにゴールドコーストからニュージーランドのクライストチャーチに飛ぶ便が1番安くて200ドルくらい。
そしてニュージーランドに入るためには出国のチケットがないといけないので、前もって次の目的地のシンガポール行きのチケットも買っておかないといけない。
ニュージーランドに2週間ほど滞在したとしてオークランドからシンガポール行きが400ドルくらい。
荷物代とかがあるから全部で700ドルくらいあればなんとかなるはず。
プールサイドでジェニファーさんが一生懸命安いチケットを探してくれている。
「ニュージーランド行き、これ買ってまうでー。預け荷物は何kgのやつ買っとけばええ?」
「多分15kg以下でいけると思う。」
「ホナ、えー、20ドルの追加料金やな。安い航空券は荷物代が高いからなぁ。」
スパパっとニュージーランド行きのチケットを購入してしまった。
ジェニファーさんは本当やると決めたら行動に迷いがない。
「よっしゃ、レセプションのピーターに予約表のコピーしてもうたからな。ふぅ、ほな次はニュージーランドからシンガポールやな。」
「うん、2週間くらい滞在しようかな。」
日差しが暑いと影に移動したジェニファーさん。
予約フォームの記入が面倒で悪戦苦闘している。
何回記入しても先のページに進むと最初に戻ってしまう。
それを横で見ていると、だんだんジェニファーさんがいらいらしてきてるのがわかる。
しばらくやっていたがついに怒った顔でバサっと立ち上がった。
「あー、もうアカン。疲れた。部屋で休むわ。とりあえずこれでニュージーランドには行けるやろ。」
そして部屋に戻って行った。
ちょっと怒ってるように見えた。
少ししてお昼ご飯食べようかとジュンペイ君と部屋に戻る。
すると何か玄関のドアノブに張り紙がしてあった。
「ノーミゲル」
と書いてあった。そして鍵がしめてある。
うわ、めちゃくちゃ怒ってる……
「大丈夫じゃないですか?そこまで怒ってないですよ。」
そう言うジュンペイ君。
違うんだよ………ジェニファーさんは怒らせると本当に本当に怖いんだよ………
ドアをノックすることも出来ずにプールサイドに戻り、この数日のことを考える。
ジェニファーさんは体調を崩している中、わざわざ預かり物を届けるためにオーストラリアまで来てくれた。
そしてレンタカーを借り、ホテルに泊まり、料理を作ってくれ、俺が脱いだシャツとかをいつの間にか綺麗に畳んでくれていたりする。
全てやってくれてるというのに、俺は何をした?
何かジェニファーさんをケアしたか?
ええでええで、と言ってくれるジェニファーさんに甘えてばかりで何もせず自分のことしか考えていない。
笑顔で俺の話を聞きいてくれるジェニファーさんに気持ち良く自分のことばかり話して、彼女のことに全然触れないバカな男になっている。
プールの水をみつめながら愕然とした。
俺なにやってんだ………
なんてバカなんだ。
頭をぐしゃぐしゃとかき乱す。
ジェニファーさんの優しさを空気みたいに思い、完全に甘え切ってしまっていた。
こんなに怒らせるまでわからなかったなんて、俺はこんな歳にもなって何をやってんだ………
頭が痺れながらずっとプールの水を見つめていた。
ジュンペイ君からしたらいきなりこんな気まずい状況に巻き込まれてどうしたらいいかわからないはず。
ずっと黙って横に座っている。
今はジェニファーさんはそっとしておいて夜にキチンと謝ろうと部屋に行くとドアが開いていた。
しかし張り紙はそのまま。
ジュンペイOK、ミゲルNO
と書いてある。
部屋の中からギターとバッグだけとって町に向かった。
こんなことになって心は嵐のようにざわついているけど、歌は歌わないといけない。
明日からイースターホリデーが始まるヌーサの町は人で溢れていた。
たくさんの人々が歩き、路上にはバッチリと機材を組んだミュージシャンがめちゃくちゃ上手い演奏を披露している。
歌わなきゃいけない。
でもなかなか気持ちを奮い立たせられない。
すっかり萎縮してしまっている。
目の前の人とこうしてモメてしまうことって最近本当になかった。
出会う人たちほとんど全員とうまくやれてきた。
俺もようやく少しは周りの人のことを考えられる人間になったかなと思っていた自分が情けなくて仕方なかった。
知らず知らずのうちに人に不快感を与えていたかもしれない。
相手の気持ちを考慮していなかったかもしれない。
なんてダサいんだ。
「あー、おったおったー、ミゲルー。」
その時、向こうの方から人ごみに混じってジェニファーさんが見えた。
ニコニコと笑顔のままこちらに歩いてくる。
う………とたじろいでしまう。
笑顔だけど、その笑顔がとういうものかすぐ分かった。
俺の目の前に来た。
そして表情が変わった。
「なんで怒っとるか分かるか?ゆーてみぃ。」
射抜くような目に、身動きがとれない。
怒るというか、悲しんでいるような目。
きっとジェニファーさんもこんなこと言いたくないんだと思う。
いつも俺のためを思っていろんなことをしてくれるジェニファーさん。
「ありがとうの反対わかるか?ありがとうの反対はなぁ、当たり前や。してもらうことが当たり前になるんや。ウチは別にケアしてもらいたいなんて思てへんで。ただ感謝の気持ちをキチンと相手に伝えることがミゲルはできてへん。ウチにだけじゃなくて会う人みんなにや。」
胸に突き刺さる。
メキシコで聞いたジェニファーさんの話。
湧き水は誰かのために湧いているわけではない。
勝手にそこにちょろちょろと湧いている。
でも様々な人が美味しいその湧き水を汲みにきて恩恵に預かっている。
みんなが自然とその湧き水を飲む。
全ての人に平等なもの。
そんな愛情を持っていたいとジェニファーさんは話していた。
湧き水のありがたみを当たり前と思うかどうか。
頭では感謝の気持ちを持ったとしても、心から本当の意味でありがとうと思えているか?
旅中に出会う人たちから無償の優しさをもらったときに、本当の意味で感謝をしているか?
そしてそれを伝えられているか?
上辺だけの感謝になっていないか?
ギターを鳴らす。
たくさんの人々が立ち止まってくれ、通り過ぎた人が引き返してくれ、お金を入れてくれる。
「ヘイブロー!!お前はアメイジングだぜ!!」
向こうで店舗の改修工事をしていた兄さんが仕事中の埃まみれの体でやってきて70ドルを置いてくれる。
紳士のおじさんがわざわざコーヒーを買ってきてくれ50ドルを置いてくれる。
誰もが笑顔を向けてくれ、俺も笑顔を返す。
力ない笑顔になってたかもしれない。
感謝を伝えるってどうやるんだっけ。
最後にベサメムーチョを歌った。
あの日メキシコでジェニファーさんに教えてもらったスペイン語の曲。
メキシコ初日にレストランでマリアッチにジェニファーさんがリクエストし、鼻ヒゲのおじさんが浪々と歌ってくれた。
スペイン語なんてこんにちはもわからなかったあの頃。
あれから南米でずっと歌ってきた。
俺なりに歌えるようになっていると思う。
「ホンマ、ずっと歌っとったんやなぁ………もうミゲルの歌になっとるで。」
泣きながら喜んでくれた。
明日ジェニファーさんはゴールドコーストの空港へと行く。
今夜が一緒に過ごす最後の夜。
「よし、みんなに1杯ご馳走するよ。」
22時になり演奏を終えると、ずっと歌を聴いてくれていたいかにもお金持ちなおじさんが俺たちを誘ってくれた。
4人でヘイスティングストリートの中の高級なバーに行き、ビールを飲む。
あまりにもラグジュアリーなお店の中、お喋り上手なジェニファーさんにメロメロになってるおじさん。
「おじさん、テンガって知っとる?」
「ん?なんだいテンガって。」
「男性が1人でする時に使う道具です。」
「あー、なるほどね。」
「僕、カップヌードルならやったことありますよ。」
「ちょ、ジュンペイ君、マジで言ってるの!?」
「ヌードル?ヌードルをどうするんだい?」
「カップヌードルにお湯を入れてあれをこうしてあれするんです。」
「ほほぅ、じゃあ君はヌードルボーイだね。」
「ちょ、なんすかそれ!なんかちょっとカッコイイし!!」
「ヌードルボーイ、イートドッグフードやでー。」
気分が良くなってきたおじさん、ブルースがジェニファーさんにうちに来ないかい?と本性を現し始めたのでこの辺で帰ることに。
たった5杯で120ドルくらいという恐ろしいお会計をサラッと済ませるブルース。
なんとかジェニファーさんを家に連れていきたいみたいだけど、ジェニファーさんもこんなお誘いをかわすのはプロ。
「私明日ヌーサを離れるからゴメンね。それよりこの2人がまだヌーサに滞在するからこれからブルースの家に泊めてあげて?」
ホントどこまで周りの人たちのことを考える人なんだよ。
ブルースと別れ、アパートに帰ってきた。
階段を上がって玄関に着くと、ドアの前にコアラの人形が置いてある。
ごめんなさいというメッセージとともに。
さっき俺が町のお土産物屋さんでジェニファーさんに謝るために買ってきたもの。
入れ違いだったみたいでまだこのメッセージを見てなかったようだ。
「なんやねんこれー、ほんまー。」
嬉しそうにコアラを手に取るジェニファーさん。
さっき俺にキツイ言葉を投げたジェニファーさんだけど、それからはいつものジェニファーさんに戻っている。
伝えるべきことを伝えたらいつまでも後に引きずらないでこんな笑顔を見せてくれるなんて、ホッとすると同時にまた自分が情けなかった。
「俺探偵ナイトスクープに出たことあるんですよ。仕事もなんもしてなかった時期があるんですけど、そんな自分に喝を入れたいですって送ったら採用されたんです。そして同年代くらいの人たちにビンタされまくって終わりっていうめちゃムカついたけど石田靖はいい人でした。」
3人で大笑いしながらビールとワインを飲み、ギターを弾いてジュンペイ君と交代でたくさん歌った。
「ところでジュンペイ君って大阪の植松さんとFacebookで繋がってたけどどんな知り合いなの?」
「俺金丸さんのブログで植松さんのこと知って、Facebookで植松さんのことフォローしたんですよ。もともとお店にはよく行ってたし。そしたらすぐにメッセージが来て、俺が腰が悪いって書いてたのを見て知り合いの整体師さん紹介してくれたりして、実際お会いしたりしました。ホンマええ人ですよね。」
「あああ、なんやねんもう~植松さんー、ウチ植松さんの愛人にしてもらわれへんやろか?」
カーペットの上を転げ回りながらみんなで笑った。
ジェニファーさんが先にベッドルームに行き、それからジュンペイ君と2人で飲んだ。
今日のあがりは236ドル。
ジェニファーさん、植松さん、なんでみんなこんなに優しいんだろう。
何かをしてくれるからではなく、いつも俺を支えてくれる人たちもたくさんいる。
お返しなんていいのよ。ありがとうと言う言葉だけでいいわ。
シベリア鉄道の中でご飯をもらった時、何かお返しできないかと慌てているとロシア人のおばちゃんにそう言われた。
ありがとうと言うことは簡単。
でも心がなかったらただのゴミ。
ジュンペイ君にワンベッドの部屋で寝てもらい、俺はジェニファーさんのいるツーベッドの部屋へ。
隣のベッドで寝ているジェニファーさんを起こさないようにベッドに入る。
そして飲みすぎて酔っ払ってすぐに目を閉じた。
暗い部屋の中、しばらくして隣のベッドがきしんだ。
ジェニファーさんが起き上がり、俺のベッドに腰かけた。
ドキドキしていると、手が俺の髪の毛をなでた。
「ミゲル、今日はジュンペイ君の前であんなこと言うてごめんな。大好きなミゲルやからこそ言いたくなかったけど言わなあかん思うたんや。これからのミゲルの旅のためにも。」
優しい声だった。
今日はきっとこの旅にとって、俺にとって、とてもとても大きな1日。