12月28日 土曜日
【コロンビア】 メデジン
「いやー、昨日のプラネタリウムまじでやばかったです。職員さんにお話を聞けたのがめちゃくちゃよかったですよ。やっぱり北半球と南半球では見える星が違うしうんたらかんたら…………」
ものすごくキラキラした目で話すユータ君。
うーん、わかる、気持ちは非常によく分かる。
でも星でそこまで夢中にはなれないなぁ………
薄汚れた人間でごめんユータ君!!
俺は星よりも人間の営みが見えるものが好き。
同じ光りの粒でも、夜の暗闇に広がる夜景はたまらなく胸を締め付けられる。
今夜はメデジン最後の夜。
この街に到着した日に見た、盆地の山に広がる美しい光りの絨毯。
最後になったけど、今夜は歌った後にあの夜景を見に行こう。
遅めのお昼ご飯を食べ、日記を書いているとケータ君が帰ってきた。
ニコニコした顔。
そう、ついにバイクをゲットしてきたのだ。
これ!!
「カオリさん、お願いがあるんですが………あとひとつだけ書類を作らないといけないっちゃけど、それを作る役所が1月7日まで休みらしくて………それまでいさせてください!!」
「うん、いいよー。でも毎日プリン作ってね。」
「は、はい!頑張ります!!」
やっぱり南米でも新年休みってのはあるんだなぁ。
しかも7日までって結構長い足止めだ。
俺は明日エクアドルに向けて出発する。
エクアドルは1週間くらいで抜けてしまって、ダッシュでペルー。
マチュピチュを見たらまたダッシュでボリビア、チリ、アルゼンチンに進んでいく。
無駄な時間は一切ない。
1週間のタイムラグが出来てしまったらここから先、もうケータ君と会うことはまずないだろう。
今夜が最後になりそうだ。
セントロにやってきた。
今日もたくさんの人波。
最初はあんなに絶望的だったのに、今ではどこでも稼げそうな気さえする。
32歳になってみんなに祝ってもらい、気合いを入れ直したとたん好転したもんな。
多少強引でも、諦めない心で踏み出せば必ず道は拓ける。
やる前に諦めたらいけない、ってよく言うけど、やってみて5回くらいダメでもそれでもまだ諦めちゃいけないんだ。
1時間だけやって今日のあがりは32000ペソ。17ドル。
中華料理店に挨拶に行った。
いつものみんなが笑顔で迎えてくれる。
「ママ、明日出発します。エクアドルに行きます。毎日本当にありがとうございました。」
「明日出るの。そう………いつでも戻ってきなさいね。私たちはいつもここにいるからね。」
「ママ、お体にお気をつけて。」
ニコリと笑ってフェリスアニョヌエボ、と言ってくれた。
な、なんだろう、もう呪文でしかない(´Д` )
フェリスアニョヌエボとは、ハッピーニューイヤーという意味だった。
ベリベママ、みんなにも良い1年が訪れますように。
本当に本当にありがとう。
路上を終え、みんなと合流して電車に乗り込んだ。
メデジンには街の中を縦に走る電車が通っており、どこまで乗っても1800ペソ、1ドル。
まだ完成して間もないのか、電車もプラットホームもとても綺麗だ。
この電車で北に走っていき、アセベドという駅で降りる。
ここで改札を出ずに乗り換えをするわけだけど、乗り換えるのは電車ではなくケーブルカーだ。
このケーブルカーで山の斜面を登って行き、そこから見渡す夜景がとてつもなく綺麗なんだそう。
どう見ても観光客向けのアトラクションみたいだけど、このケーブルカーは観光客のためのものではなく、急な山の斜面に広がる住宅地に住む人々のれっきとした交通手段。
毎日ケーブルカーに乗って出勤とか、不思議な感覚だな。
それほどメデジンの山には無数の住宅地が広がっている。
ケーブルカーに乗り込む。乗り換えなので料金はなし。
動いているゴンドラにササッと乗り込む感覚、そしてそのゴンドラがぐいーんと宙に浮く瞬間の感覚がスキー場のリフトを思い出させる。
ゴンドラはかなりの角度で斜面を登って行く。
眼下に広がるのは坂道と迷路のような階段だらけの住宅地。
こんなキツイ斜面なのに、隙間なく家で埋め尽くされており、それぞれの家がベランダや窓にクリスマスのイルミネーションを取り付けている。
それが申し合わせたように青い電球で、外灯のオレンジ色と青色の組み合わせがとても綺麗。
ゴンドラはそんな住宅地の中を建物すれすれに登って行く。
ゴミだらけの路地を走り回る子供の姿が見える。
トタン屋根や、潰れた廃墟だらけ。
聞くところによると、このエリアは貧しい人たちが住むスラム街となっているらしく、あまり足を踏み入れてはいけない地域なんだそう。
キツイ斜面に暮らすのは何をするにもきっと大変だろう。
でもその分、光熱費などの公共料金が安く、家賃もかなり安いだろう。
そうなると自然にそこは貧困層が住むエリアとなる。
そして貧しさは犯罪の温床だ。
ゴンドラはそんなスラム街の上をゆうゆうと登って行く。
まるでライオンのいる檻の上を飛ぶように。
ふと、振り返った。
そこにはものすごい光りの絨毯が広がっていた。
どこまでも続くオレンジ色の夜景。
盆地になっているので、向こう側の山の斜面にもびっしりと住宅の明かりが敷きつまっている。
儚い光りのまたたきはまるで夜の闇に抗うように、夜の底に寄り添っている。
夜景を見るたびに思い出す。
遠い昔の日。
昔の彼女と行った地元の夜景スポット。
この光りのひとつひとつに人の生活があり、ひとつひとつに人生のドラマがあり、悲しみや喜びや苦しみがあるからこそ、こんなにも美しく見える。
色んな人がいる。
たくさんの人生を見てみたい。
そして俺は日本一周の旅に出た。
あの時と何も変わらない。
人の暮らしを見るたびに、そこにある人生模様や感情のひだに、胸を締め付けられる。
その人生をもっと深く見てみたくなるし、できることなら入れ替わって体験してみたいとさえ思える。
小さな城下町の造り酒屋、
山深い集落の農家、
何年も何年も墓守をするお坊さん、
世界に出ても、この想いは強くなる一方。
海外という異国の地でも、人間は同じ感情を持っているし、生きるためにやるべきことは何も変わらない。
みんな弱いし、だから寄り添わないと生きていけない。
その事実がたまらなく胸を締めつける。
俺たちは同じ人間。へりくだることはないし、見下すこともない。
ここラテンアメリカでは、アジア人というのは東洋の不思議な生き物という目で見られる。
変な顔をした珍しい生き物といった感じ。
でもそう思われることで、この地球に生きる人々の生活を垣間見ることができる。
光りの粒はキラキラとまたたく。
そこに住む人たちのことを窓をのぞき込むようにイメージできる。
とてもささやかな、当たり前の日常。
明日この街を出る。