やっぱりあの時、バスを乗り換えた時、荷台の荷物を移し替えていなかったんだ。
は、はは、どうすればいいんだ………
紙のような顔をしていたであろう俺。
ドライバーと助手が慌てて電話をかけている。
そして助手のオッさんが俺に小さな紙切れを渡してきた。
そこには電話番号が書きなぐってあった。
スペイン語だけど、オッさんがここに電話をかけろと言ってるのはわかった。
混乱しながらも、荷物はどこだ!!と声を上げる俺をなだめるように、オッさんは荷物はグアテマラシティーのターミナルに残っている。
ちゃんと確保してるから心配いらないと言う。
明日のバスでここに持ってくるので、明日まで待っててくれと。
そしてこの番号が会社だから何時に着くか確認してくれと。
落ち着け、
落ち着け俺。
今やるべきことはなんだ。
グアテマラシティーに取り残されてるという俺の荷物を確実に取り戻すためにやるべき全てのことを頭をフル回転させて考えろ。
とりあえずこの助手のオッさんの電話番号、そして名前、それから渡してきた番号の主の名前などを、iPhoneのメモに保存した。
大丈夫、大丈夫だから、明日の11時には持ってこれるからと言うオッさん。
バスにはまだ乗客が乗っていて、早く次の場所に行かないといけないと言って走り始めたバスに飛び乗って消えていった。
わけのわからない状況の中、この不気味な山村にポツンと立ち尽くす俺。
なんなんだよ………
中米南下初日からこんなトラブルいらねぇよ………
あああああ!!!もう!!!
グアテマラシティーにあるというバスは本当に俺の荷物なのか?
もしかしたら違うバッグのことを言っていて、実は本当のバッグはあの時ちゃんと積まれていて、道中で誰かが盗んだんじゃないのか?
混乱して地団駄を踏む。
ちらほらと歩いてる人が俺を見てくる。
その時、ピーと口笛が聞こえた。
「ヘイ!!どうした!?何か助けがいるかい!?」
声のした方を見ると、向かいの建物にある質素なバーの前で1人の兄ちゃんが手を振っていた。
サッカーチームのバルセロナのユニフォームを着ていた。
俺とバスドライバーのやり取りを一部始終見ていた様子。
よかった、力になってくれるのか。
とりあえずこのメモ紙の番号に電話をかけたい。
バルセロナ兄ちゃんのところに行き、事情を説明した。
どうやらめちゃくちゃだけど少しは英語が喋れるみたい。
こんな山里じゃ英語を喋れる人なんてまずいない。
「そうかい、それはヒドイな。でも今夜は宿がないんだろ?50ケツァールで泊まれる場所を知ってるぜ。」
この困ってる状況でいきなり金の話をしてきたこの兄ちゃん。
猜疑の芽が起きてもいい時だったのに、混乱していた俺には何も見えていなかった。
「いや、お金は全部グアテマラシティーにあるバッグの中に入ってるんだ。だからないんだよ。」
一応そんな防御の嘘をついておいた。
でも実は20万円以上のお金は1番安全であろうポケットの中に入れてある。
「そうか、じゃあそのギターをくれたらウチに泊めてあげるし電話も貸してあげるよ。」
もうこの時点で切り捨てるべきだったのに。
iPhoneにメモってる電話番号とバス会社の担当の名前を見せる。
するとそいつは、うーん、と言いながらちょっと貸してとiPhoneを受け取り、バーの中に入っていき、5秒くらいで店員の兄ちゃんと一緒に出てきた。
店の中を覗く。
6畳くらいでとても小さく、殺風景で、他に人の姿はないボロい小屋。
出てきた兄ちゃんが時代遅れのボタン式の携帯電話でバス会社にかけてくれた。
電話の結果、荷物は確保しているので、明日の朝のバスに載せるから昼までにはここに着くとのこと。
一応胸をなでおろす。安心なんてとてもできないが。
「はぁ、ありがとう。あ、俺のiPhone返して。」
「は?知らないよ?」
「いやいや、何言ってんだよ。今渡しただろ?」
「はぁ?知らないって。他の誰かに渡したんじゃないのか?」
何言ってんだこいつは?
この20歳そこそこくらいの眉毛を細く剃ったワルを気取ったバルセロナのユニフォームを着た小僧は何を言ってるんだ?
今渡して3分も経っていない。
この村に着いてから、俺が接触したのはこのバルセロナの小僧。
そしてバーの店員だけだ。
まだこの2人としか話していない。
「おい、冗談はこのへんにしとけよ。返してくれ。」
「いや、だから知らねぇよ。何言ってんだこいつ?」
キョトンとした顔をしてるバルセロナ。これからこいつをメッシと呼ぼう。
するとそこに、どこから出てきたのかガラの悪そうな連中が集まってきた。
全員もちろん英語は喋れない。
ニヤニヤしながら俺を取り囲んだ。
「返せよ!!」
「知らねぇよ!!ハハハー!!」
「おい、グロス、このチーノがわけの分からないこと言ってんだ。お前英語喋れるだろ?通訳してくれよ。」
「………どうしたんだい?チーノ?」
そこに通りかかった地元の兄ちゃん。
英語が話せた。
「俺はハポネスだ!!こいつらが俺のiPhoneをとったんだ!!」
「そうか………チッ、こいつらは知らないって言ってるよ。でもきっとこいつらさ。クソヤローどもさ、こいつらは。もう戻ってこないよ。」
「ふざけんな!!今!!こいつが俺の手からとったんだ!!」
「ああ、そうかもしれない。でもきっともうその辺の誰かに渡していて何時間か後にどっかで受け取るとかそんなところさ。」
んなバカなことがあってたまるか!!
ガバッとバーの中に飛び込む。
誰もいない店の中、ゴミだらけのカウンターの上をひっくり返した。
テーブルの引き出しの中も全部開けてチェックする。
見えないところはイスの上にあがってのぞきこむ。
店員の兄ちゃんがクイと肩を上げて、口をへの字にしている。
そうやって無駄だと言いたいんだろう!!ふざけんな!!
お構いなしに、トイレに行き、ゴミ箱の中、壊れた貯水タンクの中、汚い水に手を濡らしながら探す。ない。
「おいおい、早く出てってくれよー!!あるわけねぇだろー!!」
「はぁ、チーノ、もうiPhoneは戻ってこない。こいつは盗みのプロさ。それにグアテマラではこんなのよくあることなんだよ。」
ふっっっざけんなーーー!!!!
お前に渡したのに知らないってどういうことだ!!
そいつの仲間たちがセロテセロテと言っている。セロテとはクソとかバカとかいう意味のスペイン語だ。それくらい知ってる。
ボケどもがニヤニヤしながら、どうしたんだよ?何そんなに慌ててるんだよ?いやー、残念だよとか言ってくる。
「チッ、クソヤローどもなんだよ、こいつらは。」
苦々しい顔をしている英語の喋れる兄ちゃん。この兄ちゃんの名前をグロスと言った。
すると腐れメッシが、ニヤニヤしながら通訳ありがとさん、とグロスに小銭を渡そうとした。
いらねぇよ!!とその手をはじくグロス。
おそらくこんな小さな山里なので、全員が顔見知りだろうけど、派閥みたいなものもあるんだろう。
「どうしたんだよ?俺たちはチーノを助けたいんだよ。ホラ、お金が必要なんだろ?いくらいるんだい?」
ポケットからはした金を出してくる腐れメッシ。盗んでないならなんで金を出す?というかもうそんな次元じゃない。
グロスが俺の顔に近づいて言ってくる。
「チーノ、もうここを離れたほうがいい。こいつら君をリンチしようとしている。電話はもう戻ってこない。」
ハハハー!!と笑いながらメッシが飲んでいた缶ビールを投げつけてきた。
もうダメだ。
ふざけんなコラー!!と飛びかかった。
店員の兄ちゃんが俺の体を羽交い締めにする。
瞬間、周りの7~8人の男たちが殺気だった。
メッシの肩を突き飛ばし、メッシも俺の手を弾き、一触即発に。
こんな大騒ぎをしてるんだから誰かが間に入ってきてもいいものなのに、この時、村の人々は遠巻きに騒動を眺めているだけだった。
揉め事には関わらないといった雰囲気で、遠くから怪訝そうな視線を向けていた。
グロスが俺の手を引っ張った。
「殺されたいのか?!お前は1人だろう!?ここの奴らはナイフもガンも持ってるんだぞ!!iPhoneだけで済んだと思わないと!!」
騒ぎを聞きつけたパトカーがようやくやってきた。
すぐにパトカーに走り寄り、片言のスペイン語で事情を説明する。
メッシがその横にやってきて割って入ってくる。
警察だってわけの分からないスペイン語よりも、メッシのネイティブな言葉を聞く。こいつが濡れ衣きせてくるんだよー、ってなとこか。
酔っ払った地元のガラの悪い若者と、日本人旅行者の俺。
どっちの言い分が正しいかなんて火を見るよりも明らか。
しかし警察は、こいつが知らないと言ってるならわからない、調べようがないな、とブーンと走り去っていった。
面倒はゴメンだといった感じで。
もはやここに俺を助けてくれる人はいなかった。
もし俺がとても強かったら。
7~8人のガタイのいいラテンアメリカンをものともしないほど強かったら、力にものをいわせることが出来たかもしれない。
他に何人かの男と一緒に旅していたら、もっと強気に出られていたかもしれない。
1人で殴りかかって何ができただろう。
リンチにあって、ギターを壊され、所持金を全て奪われていたはず。
バッグの中に小さなナイフがある。
それを取り出して脅すことができただろうか。
もっと大きなナイフが出てきて刺されていたかもしれない。
もし女の子が一緒にいたら、その子の安全を第一に考え、とか言い訳もできた。
でも俺は1人。
なんだってできたはず。
なのに俺は、大人数の男たちを前にパンチひとつ出せずに背を向けてしまった。
もはや笑いを隠すことなく俺を罵倒するゲスどもに。
グロスが心配してずっと一緒にいてくれた。
グロスの友達の若者たちも一緒にいてくれた。
小さな村は22時になると静まり返り、野良犬だけが歩いていた。
うす暗い外灯の下、ゴミだらけの道路脇に座り、彼らの励ましを聞いていたが耳に入ってこない。
グロスが家に走って食べ物を持ってきてくれた。
そういえば朝から何も食べてなかった。
豆の入ったポポスという質素なその食べ物にかじりついた。
散歩している暇な兄ちゃんが話しかけてくる。
「ヘイヘーイ、どうしたんだいメーン?浮かない顔して。」
英語を喋れる陽気な兄ちゃん。
タンクトップを着て、ニコニコしている。
それがなんだか無性に癇に障る。
「iPhoneを盗まれた?ああー、よくあることさメーン。なんなら力になるかい?」
「いや、大丈夫です。このグロスが色々助けてくれてるので。」
「ふーん、ならいいけどさ。ちゃんともう一度警察に行きなよメーン。トゥモローイズアナザーデイさ。ドントウォーリービーハッピー。」
陽気な兄ちゃんはボズマーリーの歌を歌いながら歩いて行った。
「グロスはあのメッシのことを知ってるのかい?」
「いや、知らないけどよく見かけるよ。あのバーでたいがい夜は飲んでる。」
「この村は小さいからみんな知り合いじゃないのかい?」
「そうだけどあいつらは違うんだよ。あいつらは流れ者さ。色んなところで盗みを働きながら移動してるんだよ。」
「そうか………」
「フミ、それより今夜はどうするんだい?良かったらウチで寝るかい?」
「ありがとう、でももう一度警察に話しに行ってみるよ。」
「フミ………さっきも話したろ?彼らは本当に何もしてくれないよ。クソ警察なのさ。行っても無駄だよ。」
「うん、かもしれないけど、ちゃんと話したら力になってくれるかもしれないしさ。」
グロスたちと警察オフィスに向かう。
その間もグロスは行っても無駄だよと俺を引き止める。
わかってるけど、それしか出来ないんだよ………
歩いてわずか2分くらいで道路の先に大きなゲートが見えた。
どうやらこれが国境みたいだ。
まるで動物園かなにかの入り口みたいに、レトロな門が道路にかかっている。
徒歩の国境越えは久しぶりだな。
オフィスにいた警察にさっきの子供だましみたいな犯行を話す。
めんどくさそうに聞いているオッさん。
そして、あーダメダメと手を振った。
俺たちは何も出来ないよって。
信じられない。
日本や先進国の警察たちがいかに勤勉なのかが身に沁みる。
ていうか日本人的な警察のイメージをここで彼らに押しつけるほうが間違ってるのかもしれないと思った。
「ほら、言っただろ。クソ警察なのさ。さぁ、疲れただろ。ウチに行って寝よう。」
失意の中、寝静まった村を歩き、グロスの家にやってきた。
簡易的なブロック塀の家。
ゲートを開けると、庭に廃車が置いてあった。
錆び付いて、バンパーがとれ、ゴミが山のように詰め込まれた車内。
なぜか屋根にマネキンが縛りつけてある。
「部屋は兄弟たちが寝てるからこの車の中でいいかい?」
そんなもんどこだっていい。
グロスにありがとうと言い、今にも取れそうな車のドアを開けて中に入った。
内装がとれて鉄がむき出しになってる車内。
狭くて体がのばせない。
暗くて汚れているかもわからない。
今何時だろう。
iPhoneがないから時間がわからない。
歯を磨きたいけど、歯ブラシも石鹸も何もかも入ったバッグは行方不明。
体は疲れ切っており、少しでも眠ろうと目をつぶるが、あのバーの前での出来事とメッシの顔、そして投げつけてきたビールの音が反芻されて、怒りで体温が上がり、車内に熱気がこもる。
1日中、汗をかきまくった体から対臭が臭う。
それがなんだかとても生きてる感じがした。
ああするべきだった、
こうするべきだった、
という考えが頭を支配する。
その度に頭が沸騰しそうになる。
グアテマラの山の奥、潰れた廃車の中で目がギラギラと冴えていた。
【中米ローカルバス南下】 1日目
★アンティグア~グアテマラシティー
9ケツァール 120円 1時間
★グアテマラシティー~サンクリストバルフロンテーラ
50ケツァール 630円 3時間
小計 7.5ドル
合計 7.5ドル
国際バス 126ドル