9月27日 金曜日
【メキシコ】 エンセナダ
メキシコとは中米の入り口であり、マヤ文明発祥の地という芳醇な歴史を持つ地球上でも重要な意味を持つ国である。
そのような地で何千年にも渡り培われてきた人々の暮らし、風俗は我々に人類の生きる道、ひいては人生というものの深淵なる答えを示しているかのように思えてならない。
旅人というものは、美しい風景や著名な景勝地を回るだけではなく、これらの現地に暮らす人々との触れ合いによって、果てしなき命の行き着く先に思いを馳せることを喜びとする。
そういった意味でこれほど適切な国はないのでないだろうか。
メキシコ、そのとある1日を今日はご紹介していきたいと思う。
清々しい朝。
赤道が近づき、太陽がその力強さを増したメキシコ。
こうした場合、服というものは野暮なものだ。
余計なものをすべて脱ぎ捨て、太陽の恵みを体全体に浴びること。
これが旅人の1日の始まりとなるのだ。
朝の優雅な時間を堪能したら、さぁ食事だ。
メキシコでは屋台のファストフードがとても人気がある。
値段も安く、大衆的な食べ物をいただき、その土地の恵みを体で感じるのだ。
この時いただいたのはセビッチェという郷土料理。
旅人はもちろん食べ物に対する感謝を忘れない。
生かされているという意識を常に持っていなければいけない。
そう、生きるということは殺すということなのだ。
ちなみにこのあとお腹が最悪な状態になるのだが、それもまた旅の醍醐味というやつである。
お腹が落ち着いたならば町歩きだ。
旅人は常に現地の人との交流を忘れない。
挨拶されれば挨拶を返す。この日本人が忘れかけてしまっている身近な交流というものが、緊張を余儀無くされる過酷な旅のオアシスと言えるだろう。
この時はこの紳士にキュウリ1本要るかい?と言っていただいたが、やんわりとお断りさせてもらう。すでにお腹に洪水の兆しが来ていたのだ。
そして旅人とは子供を愛する生き物だ。
この戦争やいがみ合いが絶えない人類の歴史で、子供ほど純粋で無垢な存在はない。
透き通った瞳の中に、世の中の汚れたものが写り込まないよう私たちは努力しないといけない。
メキシコいえばマリアッチ。
そう、彼らは音楽をこよなく愛する国民だ。
町を歩けばどこででも彼らに会うことができる。
ミュージシャンとしての最大の喜びは、やはり現地の音楽家との交流、セッションというやつだ。
音楽に国境はない。
言語がわからなくても心からの音が交差することによって、ミュージシャンというものはお互いに言葉以上の心の理解を得ることができる。
素晴らしい人類の発明である。
私も実際にスペインを訪れ、フラメンコ発祥の地で、シモンという一流のギタリストにスパニッシュギターの真髄を伝授された身。
ここは腕の見せ所である。
なのでウッドベースをスラップさせてストレイキャッツを熱唱させていただいた。
図らずも彼らの稼ぎに一役を担った形になったわけだ。
アニマル。旅人は動物に敬意を払う。
なぜならばこの地球には人類以前から彼らが住んでいたからだ。いわば私たちは後からこの地にやってきた客なのだ。尊敬の念を持って彼らに接しないといけない。
自分たちの快適な住処を求めるためだけに彼らを害獣と呼び、追いやることは悲しいことではあるが、ある程度必要なことなのかもしれない。
しかし共存という道も我々は忘れてはいけないのではないだろうか。
さぁ、動物との触れ合いでサンダルが崩壊してしまったならば、ここが旅人の資質が試されるところ。
無い物は作る。壊れたなら自分で直す。これもまた物に対する敬意であるのだ。
穏やかな時間を過ごし、海が夕日に染まり夜が訪れれば、ここからが旅人の本当の姿を見せる時間なのかもしれない。
ナイトライフだ。
このナイトライフを制するものが旅を制すると言っても過言ではないかもしれない。
メキシコといえばテキーラ。
塩を親指の付け根に少量乗せ、もうひとつの手にライムを持つ。
塩、ライム、そしてテキーラショット。
このワンツースリーのリズムにメキシカンのバイブレーションの秘訣があるのではないだろうか?
また新しい発見をさせてもらった。喜ばしいことである。
気分が良くなってきたら酔いに任せてみるのもまた一興。
このメキシコでもカラオケ文化が浸透しており、カラオケバーではみなが自慢の喉を披露しあっている。
おやおや、首がありませんね。
日本のスナックのように、自分たちのグループ以外が歌っている時は歌を聞かないという状態がメキシコにはない。
誰が歌っていても、店内のほぼ全員がその歌を楽しみ、合唱をし、拍手を送る。
なので歌う側にはそれなりの腕前と度胸とタレント性が求められるわけだが、彼らメキシカンにその心配はいらない。
全員恥ずかしがることなどなく、歌手になりきり、音痴のレベルを果てしなく超えていたとしても心からの感情を込めて歌い上げる。
ここでそんな中に飛び込むこと。これが旅行者と旅人の大きな違いのひとつと言えるのではないだろうか。
そうすることで一気に彼らとの距離が縮まるのだ。
スパニッシュは情熱の国民である。
美しい女性がいたら声をかける。これが男の作法である。礼儀と言ってもいい。
美しい女性は地球の宝である。
我々男は彼女たちに対する敬意を忘れてはならない。
さて、とある旅人のとある1日をここにご紹介させていただいたわけだが、旅とは知らない場所の知らない文化と体当たりで交流を図るものであるというのがお分かりいただけたであろうか。
しかしもちろん自分のナショナリティ、日本人としての意識を忘れてはならない。
まだ見ぬ美しいもの、愛すべき人間と黄金の魂を求めて、旅はこれからも続いていくのである。
全ての人々に愛を込めて。
ムチョス グラシアス。
タコス デスペラード。