3月18日 月曜日
【モロッコ】 マラケシュ ~ フェズ
もう誰にも会いたくない。
会えば悲しみが深くなるだけだ。
一刻も早くこの町を出たかった。
次の町に行けばきっと一からやり直せる。
リセットできる。
朝早くに荷物をまとめ、1階に降りた。
もう1泊分のお金も払っていたので、返してもらえないか言ってみたが、案の定答えはノーだった。
「ジャパニーズ、外で友達が待ってるよ。」
うわ、マジか。遅かった………彼らだ。
絶対逃がさない気か………
意を決して扉を開けた。
細い路地にウサマが立っていた。
「おはようフミ。iPhoneの調子はどうだい?」
「悪くないよ。でもこれは14GBしか容量がないじゃないか。俺は32GBが欲しいと言ったはずだよ。」
「何言ってるんだ。それはほぼ新品のiPhoneだよ。3000ディルハムで手に入れるのも大変だったんだよ。ところで荷物抱えてどこに行くんだ?」
「もう出発するよ。ここにはいられない。」
「そうか。じゃあチップをまだもらってなかったね。」
もう驚かない。
驚かないと心していたのに、やっぱり悲しみに襲われた。
「ウサマ………君は昨日お金はいらないと言ったよね。いつもお金なんて受け取らずに人を助けているって。」
「もちろん言ったよ。でも俺は昨日1日君を助けただろう。君は払わないといけないよ。」
「昨日、25ディルハムを渡しただろう。それに食費も酒代も俺たちが出したじゃないか。」
「25ディルハムなんて子どものお小遣いだよ。それにゆうべ俺たちはもてなしをした。君たちが食費を出すのは当たり前さ。ハリードにはいくら渡したんだい?」
頭がおかしくなりそうだ。
俺たちのやり取りを、ジロジロと眺める人々。
「ウサマ………俺たちは友達だよね?友達ってのはお金のかからない関係じゃないのかい?」
「もちろんそうさ。俺たちは友達だよ。だから俺を助けてくれ。君は日本人だからお金を持っている。」
「そうだよ………俺は日本から来ている。でも日本に帰る飛行機代は持ってない。これからも毎日歌って稼がないといけないんだ。」
「それでも君は払わないといけないよ。」
「ウサマ………俺は昨日、君に3000ディルハムを渡した。君がどこかへ消えてもおかしくはなかった。でも君に渡した。なぜだかわかるかい?君を友達だと思っていたからだよ。今もそう思ってる。友達とはお金を抜きにしたものだ。でもこれをあげるよ。昨日1日助けてくれてありがとう。」
力なく、彼に100ディルハムを渡した。1000円。モロッコでは大金だ。
そして歩いた。
が、彼は俺の腕をつかんだ。
「なんだいこりゃ?あと200ディルハムはもらわないといけない。」
やめてくれ。
もうやめてくれよ。
これ以上追い詰めないでくれよ。
ウサマの腕を振りほどいて歩いた。
迷いなく足を進めた。
「フミ!!俺たちは友達だろう!!これじゃ足りない!!おい!!」
振り向きもせずに歩いた。
しばらくし彼の声が聞こえなくなった。
ウサマはどう思っているだろう。
日本人の友達を失ったと思ってるか?
これっぽっちしか吐き出さなかったあのヤロウって思ってるか?
もうそんなことどうだってよかった。
早く誰もいないとこに行きたかった。
駅までの道をトボトボ歩いた。
空はどこまでも青く、知らんぷりしていた。
虚しさに、体の中が空っぽになってしまったようだった。
駅に着くとマクドナルドがあった。
迷わず飛び込む。
チキンバーガーのセットを頼んだ。
う、うおー…………
なんだこれ………
涙が出るほど美味かった。
誰も信じられないこの国で、マクドナルドの軽くてポップなサインが心の底から安心を与えてくれた。
一息ついて、これからのことを考えた。
この新しいiPhone。
容量は少ないが、他の機能はそこそこ問題なし。
強制終了する回数が多いが、Wi-Fiも使えるし、アプリをダウンロードすることもできる。
それらの整備やパスワードの変更、消えた日記の書き直しなど、かなり面倒なことが山積みになっている。
はぁ………もう、なんにもやる気がしねぇ………
それは体がきついからでもあった。
朝から何度もトイレに行っている。
ゲリばかりが出てお腹を下している………
ゆうべのタジン鍋だ。
体がきつくてこれ以上歩きたくない。
俺がこんな状態ってことは、一緒に食べたユイちゃんたちもお腹を壊しているかもしれない。
今日から砂漠ツアーに行くと言ってたよな………
砂漠でお腹下してるなんて最悪もいいとこだ………
あああ、なんてことしちまったんだ………
もう砂漠なんて行く気もしない。
砂漠に行く前に心が砂漠になってるよ。
ぶー!!ウケる!!とかもうそんな冗談言えねぇ………
心が砂漠、なかなかうまい。とか思ったけど心がついてこねぇ。
心カッサカサだよ。
どこか違う町の安宿に転がりこんで、しばらく1人になろう。
フェズという町への切符を買い、電車に乗りこんだ。
195ディルハム。2000円。
電車は夜中の0時を過ぎたころにフェズに到着した。
マラケシュでのミスはもうおかさない。
もはや誰も信用しない。
さっきマクドナルドでこの町の安宿情報を調べている。
地図もしっかり把握している。
一直線にそこに向かうぞ。
「ハロー、マイフリンド。どうしたんだいこんな時間に。宿はとってるのかい?俺は安いところを知ってるよ。日本人がたくさん泊まる宿なんだ。」
駅を出るとすぐに兄ちゃんが声をかけてきた。
いかにも親切そうな顔をしながら。
「よし、タクシーでオールドシティーに向かおう。さ、こっちだよ。」
「いくらだい?」
「15ディル………」
「たったの50ディルハムさ。オールドシティーまでは5kmあるからね。歩いたら1時間以上かかる。」
人の良さそうな、英語の喋れないタクシーの運ちゃんの言葉をさえぎってまくしたててくる兄ちゃん。
オールドシティーまでは歩いて30分もあれば着くということはとっくに調べている。
「じゃあね、バイバイ。」
「おいおい!!マイフリンド!!オールドシティーまでの道にはたくさんの強盗がいる!!危険だよ!!タクシーに乗らないといけないよ!!」
「大丈夫、もう着いてこないでくれ。」
「ハッパ、ハッパ。ガンジャ、ハシシ?グッドクオリティ。」
出た。
マラケシュでもそうだった。
ガイドも、ガキも、もちろん大人も、英語が喋れる奴は、みんな俺を案内しようとして、断ると、ほんとに必ず、最後に葉っぱを売ろうとしてくる。
ハッパ、という日本語を知ってるくらいだから、よほどたくさんの日本人たちがモロッコで草を買うんだろう。
100パーセント。
大げさじゃなく、間違いなくハッパいるかい?と聞いてくる。
このクソどもが。
吐き気がする。
夜中の道を歩き、オールドシティーには情報通り30分で着いた。
大きな門があり、その中に古い町並みが広がっているようだ。
通りのお店は閉まって静寂に包まれているが、小さな露店がポツポツと出ており、サンドイッチみたいなものを売っている。
体調が悪い。
はやく宿に入りたい。
目星をつけていた安宿、アガディールは確かこの辺りのはずだけど………
あった。
閉まってる。
そして満室の札がかかっている。
いいさ。
予約してなかったのが悪いんだ。
大丈夫、これくらい想定内。
道端でいい匂いをさせている露店があった。
小さな荷車の上でモクモクと煙を上げている炉端焼きのお店だった。
近寄って見てみると、ソーセージを炭火で焼いていた。
英語がまったく喋れないおじさんたちに、サンドイッチをひとつ下さいと身振り手振りでお願いした。
ワンツースリーもわからない彼ら。
よっしゃ!!と張り切って作ってくれる。
ここに座りなと椅子を出してくれた。
英語を喋れない人たちのこの優しさ。
このローカルな優しさこそがモロッコ人の本当の姿だと思いたい。
モロッコでは英語が喋れない人が信用できる人であり、英語を喋ってフレンドリーに接してくる者を決して信用してはならない。
しかしそれもまたモロッコ人の本当の姿でもあるんだよな。
何言ってるかまったくわからないおじさんたちの笑顔に癒されながらソーセージを挟んだサンドを頬張る。5ディルハム。50円。
泣きそうなくらい美味しい。
そんなひとときの安らぎの時間にさえ、英語を喋るバカが寄って来て、話しかけてくる。
「フリンド、この近くに友達がやってるすごく安いホテルがあるんだ。素晴らしいところだよ。ここからすぐ近くだから、ほら、このタクシーで向かおう。」
断り続ける。
露店のおじちゃんもほっといてやれ、みたいなことを言ってくれてる。
「フリンド、ハッパハッパ。グッドプライス、グッドクオリティ。」
「消えろバカ!!」
「ガンガムスタ~イル!!ヒャヒャヒャ~!!」
耐えきれずに怒鳴ると、おちょくりながら消えていった。
こんな荒んだ夜でも、優しい露店のおじさんたちの笑顔でほんの少しだけ心が潤された。
ありがとう、おじちゃん。
真夜中の町を歩く。
眠れる場所を求めて。
あそこの広場はどうだろう。
向こうの暗がりは安全だろうか。
外灯に浮かび上がる古びた門や城壁。
ここは世界一の迷路の町といわれるフェズ。
久しぶりの感覚。
このところ宿にばかり泊まっていて、この深夜の徘徊をしていなかった。
俺はなまってしまっているのかな。
日本人とたくさん会って、放浪の辛さを忘れてしまっているのかな。
どこまでも歩いた。
流れ星チラリと降りて
夜の淵に紅をさす
ずっと歩いていたかった
なんもかんも消えてしまうまで
汚い公園の小屋の上に寝転がった。
雲の隙間から星がのぞく。
強くならなきゃいけないのかな。
そんなものが必要なのかな。
寝袋に包まって、ずっと星を眺めた。