11月2日 金曜日
ゆうべタバコを吸いにテントから出たら、少し向こうに黒い人影が立っていた。
ここは橋の下。
じっと動かずこちらを見ているように見える。
怖くて俺もタバコを吸い終わってもテントに入らず、ずっとその人影の動きに神経を集中していた。
まるで木の影のように、まるで水のシミのように、黒い影は動かない。
しばらくしたらふいに動き、ビニール袋を手にぶら下げた彼は、ゆっくりと橋脚の隙間にもぐりこんで行った。
そして朝、テントを揺さぶられた。
バサバサバサバサ!!!!
外が見えないとこんなに怖いことはない。
ポリシア!!ポリシア!!
と言っている。ポリスか。
いや、しかし本当の警察がこんな乱雑なことをするか?
なんとなく嫌な予感がしたので、ちゃんと寝袋から体を出し、身構えながらチャックを開けた。
そこにはアラブ系の男が立っていた。普通のジーパンを履いており、警察らしい制服姿ではない。
スロバキア語でまくしたててくる。
酒臭い。このバカ、なにが警察だ。
イングリッシュプリーズなんて言うだけ無駄なので、わからないふりをしながら常に警戒していた。
なにやらパスポートを見せろと言っている。
あんたホントにポリスマンか?と毅然と返した。
ポリスマン?という問いかけに若干うろたえたジープス。
その瞬間、いきなり俺のテントをバサ!!と開けて中を覗きこみやがった!!
ヤバイ!!!
あと少しで体を抑えようとしたところで、ジープスはすぐにテントから頭を出し、OK、OK、と言いながら握手してきた。
まるで一応チェックしないとね、みたいに警察を気取って。
そしてジープスは、ゆうべの橋脚の隙間のホームレスと一緒に橋の下から出ていった。
ボケが、タダのホームレスか。
あー、怖かった。
とにかく襲われなくてよかった。
体の小さい、細っこいアジア人の男1人なんて、いいターゲットだよな。
KARATEやっときゃよかった!!
JUJUTSUも!!
まぁ、おかげさまで8時という時間にバッチリ目が覚めたので、早速行動開始。
今日は歌うぞー!!
祝日は昨日だけだし、今日は金曜日!!かなりの人出が予想される!!
空は今にも雨が降り出しそうな雲だけど、かろうじてまだ降ってはいない!!
町へ行ってみると、やっぱり!!
駅前のメインストリートはたくさんの人通りで溢れていた!!
稼げる!!間違いなく!!
はやる気持ちを抑えてまずは腹ごしらえ。
適当にピザ屋さんへ。
このピザ、いくらだと思う?
日本だったら2000円はするよね。
なんと450円。
やっしい!!!
4.5ユーロでこの巨大なピザを1人占めなんて贅沢すぎるーーー!!!!
お腹いっぱい!!
張り切って路上開始!!
これだけ物価の安い国。他のユーロ圏に比べて半額の物価なので、まぁ50ユーロもいけばいいだろう。
と思っていたんだが…………
わずか1時間で42ユーロが足元にたまる。
なんだスロバキアーー!!!
お前が大好きだーーー!!!
このフィーバー感、久しぶり!!
ポーランドではなかったもんなぁ。
こりぁ楽勝で100ユーロ突破するぞ?
あ、おじさんがギターケースの横に革靴置いていった。
ウッヒョーーー!!!
警察に止められる(´Д` )
今度は朝みたいなのじゃなく本物の警察。
やっぱり英語はしゃべれない彼ら。なんとか話を聞いていると、どうやらこの町で路上で活動するためにはライセンスが必要なんだそう。
終わった(´Д` )(´Д` )
明日までこの町で荒稼ぎしようと思ってたのに。
まだ13時。
目の前にある「レトロクラブ」ってパブで今夜オールディーズのショーがあるって書いてるから遊びに行こうと思ってたのに。
いくら残念がっても、どっちにしてもこの町ではもう歌えない。
せっかくの土曜日を無駄にするわけにはいかないので、すぐに移動開始。
すべてが揃ってる最高の町だったんだけどなぁ。
郊外まで歩いた。雨がパラパラと降り荷物が濡れていく。
手にはおじさんがくれた古びた革靴。
おじさんが履くような紳士服の靴。
重い。
ありがたいんだけど、今の服装にあまりにも似合わないし、暖かくない。
申し訳ないが今の俺には荷物になるだけなので、ホームレスが来そうな地下道の入り口に置いた。
おじさん、ごめん。
雨に濡れながらヒッチハイク開始。
わずか5分でゲット。
うーん、スロバキアの人ってほんと優しいな。
3台乗ったんだけど、どれも5分も待たずに止まってくれる。
みんなフレンドリーでとても暖かい人ばかりだ。
そんな彼らにスロバキアについて聞いてみた。
みな、この国のことは好きみたい。
美しい自然と穏やかな時間があるのさと笑う。
でも今の政府は嫌いなんだってさ。
驚いたのは国民の平均収入だ。
なんと平均月給が700ユーロ。
7万円だ。
1000ユーロいくのはとてもいい仕事で、低収入層はわずかに300ユーロほどというのが実情らしい。
しかし、ハウスビルダーの兄さんが言うには、スロバキアで普通に生活しようと思ったら家賃、光熱費、食費、車のローン、携帯電話、インターネットなど必要不可欠なものだけで1000ユーロはかかるという。
税金は20パーセント。
みんな苦しい生活してるのさ、と言う。
マジかー。
てことは俺がさっき1時間で42ユーロを稼いだのは、彼らにとっては2日分の日給になるってわけか?
たしかに物価は安い。
外食の1食がだいたい3ユーロ。
しかしこの収入ならもっと安くてもいいよな。
車を降りると静かなど田舎。
ささやかな中心地にはカフェやバーが数件ならんでおり、時代遅れなショッピングモールがあるだけ。
ここはプリエヴィドザ。
うまいことヒッチハイクできたことだし、気分もいいので、寂しげな町角のバーに入りビールを飲んだ。
ジョッキがたった95円。
今夜は金曜日。
たくさんのおっさんたちがビール片手にあーだこーだしゃべっている。
テレビにはアイスホッケーの中継。
北欧でもそうだったけど、ヨーロッパではアイスホッケーがとても人気。野球よりもサッカーよりもテレビで流れてる時間が長いんじゃないかな。
あとCMがとても面白い。
ヒネリがきいていて最後までなんの商品のCMなのかまったくわからない(^-^)/
プールの飛び込みの選手が高い飛び込み台から真剣な面持ちでプールを見下ろしている。
かなり険しい表情。
意を決して飛び降りた。
すると下には車があり、運転席と後部座席のドアの間の仕切りがなく広々とした入り口を通って、彼はプールに着水した。
フォードのCMだった。
軽く酔っ払って店を出てぶらついていていると、町の真ん中に教会があった。
今夜はカトリックでは死者の日だよな。
なんかやってるかも、とドアを開けた。
そこでは、
今までで1番厳かなマスが行われていた。
聖書を読み上げる司祭の声。
それに合わせて人々も唱和する。
すげぇ。
ひざまずき、十字を切り、うつむき、唱和している。
パイプオルガンが鳴ると美しく悲しい歌が教会内に響きわたった。
みんな、みんな、きっと亡くなった大事な人のことを思っている。
命あれば誰もが死の別れから逃れることはできない。
俺はまだ幸い身近な人の死を見たことがない。
じいちゃんくらいだ。
家族や親しい友人の死なんて想像もしたくない。
神はその悲しみを和らげてくれるのかな。
長いマスも終わりに近づくと、やっぱり最後には隣人との触れ合いの時間があった。
周りにいる人たちと握手をして回る。
綺麗な女の人、おじさん、お婆ちゃん、みんなの手を握る。
すると、目の前に小さな小さなブロンド髪の男の子がやってきて、俺を見上げながらその可愛らしい手を差し出してきた。
その可憐さに一瞬うろたえながらも、笑顔でその小さな手を握った。
その瑞々しい新芽のような幼さ。手のひらから伝わる温かみが、じかに胸をわしづかみにした。
みんな死ぬ。
このぬくもりは、なんて儚くて脆いんだろう。
強くなければ生きてなんかいけないよな。
死者を偲ぶ行為は、生の喜びを再確認することなんだ。
夜空に月。白い息を吐きながら寝床を探す。
今、ここに生きていることをとても力強く感じた。