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アウシュビッツは雪の中

10月29日 月曜日


さ、さ、さ、さ、そ、寒すぎる!!!!!


信じられないくらい寒い!!!!!

寝袋から出たくない!!!


あと3日くらいすれば多少暖かくなるらしいので、このままテントの中でずっと寝てようかなと思う。




けど、そんなわけにもいかないので嫌々寝袋から出た。

あー、ズボンが欲しい。
ダウン生地みたいなめちゃあったかいズボンを買おう。
そして手袋も。
あと靴も欲しい。
中がモコモコの長靴みたいな靴。

なんとかしないとホントに生きていけないぞ。





ゆうべのお惣菜屋さんで今日も朝昼ご飯。
パンと一緒に思いっきり食べ、駅へ向かった。

photo:01







とうとうこの街ともおさらばか。
長いこと居たなぁ。
あんまり良い思い出ないけど。

俺は南へ行くよ。
もう雪はゴメンだ。

photo:02






と言っても、まだポーランド最後のミッションが残っている。
これをクリアーしないことには先に進むことはできない。

12ズウォティのシャトルバスに乗り、やってきたのは………








ここだ。

アウシュビッツという名の綺麗な町の中にその施設はあった。

photo:03






アウシュビッツ強制収容所。



1940年から1945年まで、ヒトラー率いるナチスドイツによって、ユダヤ人を中心にドイツに批判的な政治犯、宗教者、さらにロマなんかをヨーロッパ中からひっ捕まえては送り込んでいた収容所という名の大量殺戮施設。
目的はソ連への領土拡大、東欧の開拓、戦争のための物資生産の労働力の確保、そしてアーリア人史上主義にもとずいた劣等人種の根絶。



子供の頃から学校で習ってきた、広島と並ぶ戦争の過ち。そして広島と同じく負の世界遺産。

へー、そんなひどいことあったんだー、くらいにしか思ってなかったあの場所に今やってきた。




真っ白な雪に染められた、なにかの工場みたいな敷地。

まずは切符売り場で荷物を預ける。
そして切符は買わなくていい。
なぜなら8時~10時、15時~17時の時間帯だけフリーエントランスなのだ。他の時間は確か40ズウォティ。千円。

ものすごい混雑。ツアーの団体客も多いが、ほとんどが世界中からやってきている修学旅行の学生たちだ。
日本人の修学旅行生たちもいる。
みな神妙な面持ち。
さすがに彼らもここでははしゃげないようだ。

photo:04








そんな混雑に紛れて施設のゲートにやってきた。

photo:05



有名な鉄の看板。
「働けば自由になる」だったかな。
これも入所者が作ったものらしいんだけど、施設内の現実を知っているその人は、ささやかな抵抗としてBの文字を逆さにしたという。




photo:06



電流が流れていたという有刺鉄線が張り巡らされた敷地内。
絶望した人がみずからつかんで自殺したらしい。




photo:07



銃殺が行われていた死の壁。




金銭で取引されていたという殺された女性の毛髪。は、グロすぎて写真撮れず。




photo:08



没収された靴やカバン。
古めかしい皮のカバンにその当時のヨーロッパが浮かぶ。みな名前を書いている。そのうち戻ってくると思ってたんだろうな………

photo:09





一度送り込まれたら最後。
まず最初に選別。体の弱そうなやつや、老人、子どもは即ガス室行き。
それから過酷な労働。飯はほんのわずかなパンとスープ。
当たり前にみな体を壊したり病気になる。そしたらはいガス室行き。
130万人がここで殺された。



photo:10



マキシミリアノ・コルベ神父の殺された飢餓房もあった。
たまに脱走する者がいたらしいんだけど、その度に入所者の中から数人がピックアップされて見せしめに処刑されていたそうだ。
ある時の脱走の後、その処刑のメンバーに選ばれた男が、俺には嫁と子どもがいるんだ!と叫んだ。
そこにマキシミリアノ・コルベ神父が私はクリスチャンなので嫁も子どももいませんから身代わりになると申し出た。
コルベ神父は他の数名とともに飢餓刑で死亡。最後まで他のメンバーを励まし歌い、神父として死んだそうだ。
コルベ神父はその後、キリスト教の聖人に列せられ、助けられた男は奇跡的にアウシュビッツから生き延び、100歳近くまで生き天寿をまっとうした、とそんな美しい話もある。



しかし恐ろしい。
ここでは人の命なんて蚊ほどの価値しかなかったんだろうな。
日本人も、中国人や朝鮮人にこれに劣らない残虐な殺戮を行ってきたんだよな。

戦争って怖いな。
いや、人間って怖いな。
みんなみんな、優しい人ばかりだけど、ひとたび戦争になればどんな残虐なことだってできるんだもんな。





もっとたくさんのことを感じるべきなんだろうけど、あまりにことが大きすぎて実感がわかない。

平和に生きてる者にとってはしょせんこんなもんか。




今は悲しい歴史よりも、寒くて寒くて死にそうになってる俺自身のほうが問題だ。

足がもうやばい。
痛みが次のレベルに入ってきている。
なんでブーツを履かないのかというと、靴下が全部汚れているから。汚い靴下をはきたくないんだよな。



収容所を出て、やってきたバスになんとなく乗り込む。
運よく駅まで行くことができ、そこで次の目的地を決める。
どこでもいい。もうポーランドでのミッションはすべて完了した。

どこでもいいけど、スロバキアはたしかビザが要るっていう情報を得ている。
めんどくさいことにならないよう、明るい時間に国境に行きたい。
なので国境に近づくため、南行きの列車に乗りこんだ。




たどり着いたのはビエルスコビャワという何度言っても覚えられそうにない名前の町。
ここもまた、完全に雪に覆われていた。
-4℃。

photo:11






寒い。もう限界だ。
もう我慢できない。
汚い靴下をはいてブーツを履いた。
中国人の女の子、チェックにもらったホッカイロを背中にはる。

そして寝床を探して歩き回る。

夜中の町。

キャリーバッグがガリガリと氷を削る。
ブーツが雪に滑って歩きにくい。
空気が冷たすぎて顔がしばれ、目が開けてられないのでメガネをかける。

寝静まった工場の町。あてもなく歩き続ける。



雪が降ると寝床探しが難しい。
いつもなら公園ですぐにテントを張るところだけど、どこも雪が積もっていて場所が選べない。
さすがに雪の上にテントは張りたくない。


冬の旅がこんなに厳しいとは…………


こんな調子でオーロラにたどり着けるのか?
真冬のアイスランドなんて想像するだけで身も凍る(´Д` )

こんなんで南の暖かい国まで行ったら、もう動きたくなくなるはずだよ。



あー、南の町へ行けば
南の町にさえ行けば
暖かい太陽とおだやかな海
街角で歌をうたい
陽気な人たちと挨拶をかわし
美味しい食べ物とビールを飲み
そしてきれいな芝生で眠る
南の町にさえ行けば
こんなに体の底から
凍えることもない
氷の上で体を横たえることもない
長い夜を恐れることもない
南の町にさえ行けば

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