2006年11月9日 【広島県】
日本各地のいろんな棚田を見てきたが、石積みで畝を作っているのは中国地方の特色なのかな。
その石積みの棚田の代表が井仁の風景だ。
んー、日本の原風景。
さてさて、中国地方最大の都市を擁する広島県に入ってきたわけだが、原爆ドームや厳島など主だった名所は海沿いに集中している。
しかしこの広島、山もめちゃ深い。
まずはこの山間部を制覇してやる!!
あー、ファントム号、ちゃんと走ってくれよー。
戸河内の町を過ぎ、山に向かって走っていくと、標高が上がるにつれて次第に山の色合いが変わってくる。
草原の山、深入山のふもとにさしかかったころには辺り一面、目がチカチカするほどの紅葉っぷり。
赤と黄と緑の絵の具をぶちまけたパレットの間をくぐりぬけ、谷に下っていき、500円を払って駐車場に到着した。
ここは三段峡。
中国地方を代表する紅葉狩りの名所だ。
シーズンまっさかりで渓流沿いの細い遊歩道は行楽客で行列ができている。
すぱんすぱんとゴボウ抜きでやってきたのは渡し舟乗り場。
400円を払いひっくり返りそうな小さな舟に乗りこむ。
水上に張られたロープを船頭さんが熟練の手つきでさばき、切り立った絶壁の狭い隙間を進んでいく。
まぁまぁ、っていうか相当怖い。
当たったらひっくり返るぞ。
シチュエーションはだいぶスリリングなんだけど、景色は最高に穏やかだ。
ひんやりとした空気、深く沈んだ水のグリーン、滝の音が遠くから聞こえる。
静まりかえった谷間におばちゃんたちのやかましい笑い声が反響する。
アメンボのようにすいーっと水上を進み、名瀑、二段滝を見てもとの船着場に戻った。
大満足の楽しい水上遊覧だった。
ダッシュでこの峡谷のメイン、三段滝へ向かう。
20分ほどスタコラ走ると、目の前に紅葉の山が迫る大迫力の三段滝がお目見え。
荒々しい岩場を白いしぶきを上げながら流れ落ちる滝に、色づいた木々の枝葉が彩りを添えている。
んー、素晴らしい!!
芸北、千代田、美土里を通り、作木の百名瀑、常清滝にやってきた。
ここは島根県大田市で一緒に飲んだみんながたまに遊びに行くんだよ、とオススメしていた場所だ。
しばらく森の中を歩くと目の前にほぼ垂直の崖が立ちはだかる。
そこから木々の隙間をぬって水が流れ落ちていた。
姿は端正だがちょっと迫力に欠けるかな。
近くの式敷の集落に後鳥羽院ゆかりの地を発見。
後鳥羽院といえば鎌倉時代に承久の乱をおこして幕府に返り討ちにあい、この前行った隠岐に流された皇族。
島では彼が亡くなった中ノ島にその歴史を刻む史跡が残っていたが、どうやら伝説では彼は島を抜け出しこの地にて亡くなったという。
実証する文献もほとんどないかなり強行な説だが、なにぶん口伝は真実を曲げる。
こういう説もまたのどかな田舎にくれば信憑性を帯びないこともない。
三次、庄原と駆け抜け、次に西城町へ。
ここは最近『ヒバゴン』という映画の撮影があった町で、映画の題材になった未確認生物ヒバゴンの出没地でもある。
猿人のような野郎らしいが、そのロマンよりも映画に出演していた井川遥の二の腕がマジで心から揉みたい。
明日はここからスタートするか。
『ゆず』という食堂で今日の1食目のご飯を食べ、近くのパーキングに寝床を決めた。
んー、今日は一気に福山市まで行きたかったんだけどな。
紅葉の渓谷美がなかなか俺を山から出してくれない。
翌日。
耳元でガーガーわめきたてるドナルドダックの目覚し時計をブッ叩いて、布団から抜け出し運転席に移動。
今日はまず熊野神社からだ。
イザナミノミコトが葬られた神代の時代の伝説を持つ、島根・鳥取・広島県との県境にそびえる比婆山の山中にあるこの神社。
薄く朝霧のかかる境内には県下有数の老杉の巨木が、地面に突き刺さっているかのように林立している。
ヒバゴンはどこかなー。
厳かな気分でお参りをすませ、車に戻った。
城下町の面影を残す西城の町並みを横目にアクセルを踏み、広島峡谷巡りのラスト1つ、帝釈峡へ。
300円の駐車料を払い、紅葉に隠れそうな川辺の道をスタスタ歩いていくと有料の洞窟があるが、それはパス。
1番の見所である雄橋を目指す。
しばらく行くと岩のトンネルが現れた。
おー、デケエなぁ……………ってこれ橋になってる!!
巨大な絶壁の下部が川の浸食で貫通して、上をつなげたまま橋になっている。
この雄橋は世界3大天然橋の1つなんだって。
ちなみにこの帝釈峡は日本5大名峡。
日本中そんなのありすぎてもうわけわからん。
もう少し先に進み、断魚渓という細い岩場を水が流れ落ちる急流を見てから駐車場に戻った。
いやー、今年は紅葉満喫できてるなぁ。
他にもこの山間部には細々した名所がたくさんあるのだが、いつまでもヒバゴン修行をしているわけにはいかない。
一気に山を駆け抜け、瀬戸内海側に出てきた。
おー!!
久しぶりの太平洋側!!
国道をバンバン行き交うトラックに活発に動いている日本を実感。
まず向かったのは福山市大門の駅近くにある中華料理屋『ばんばん』。
4年前、岡山で止水工のバイトをしていた時にシゲ叔父さんに連れてきてもらいとてもおいしかったのを覚えている。
記憶をたどって探し回りようやく発見。
思い出のタンタンメーン!!
って、なんか期待していたほどうまくない。
あの時はめっちゃうまい!!って食べたはずなんだがなぁ。
俺の舌も肥えたかな。
福山市に入り、まずは福山城へ。
家康のいとこ、水野勝成による築城で、なかなかの大きさ・美しさだ。
かつてはこれの何倍もある巨大城郭だったようだが、昭和初期までにほとんどの堀が埋められたそうだ。
昭和初期までお堀とか残ってたんだな。
それから街の郊外にある明王院へ。
いつものあいつ、弘法大師開基の古刹で、鎌倉末期に建てられた本堂と南北朝時代創建の五重塔が国宝に指定されている。
和洋折衷の様式に奈良のお寺を思い出す。
シンプルでさりげない、しかし霊力ビンビンだ。
院のすぐ隣には何本ものコンクリの柱で組み上げられた巨大な朱色の神社がある。
まるで機動戦士ガンダムだ。
草戸稲荷神社っていうらしいが、どうしてお稲荷さんってどこもこんなにケバケバしいんだろ。
初詣には県下2位の集客力を誇るらしい。
やっぱ1位は厳島神社なんだろうな。
海岸線を下り、鞆の浦ってことにやってきた。
小さな港町なのだが、車を止めて一歩路地に入ると、一瞬でタイムスリップ。
白壁の蔵や古めかしい木造の商家が隙間なく並び、山手にはいくつもの歴史ある社寺が門を構えている。
木の看板、公共の井戸、入り組んだ路地裏。
ひなびた漁村風景はこれまでたくさん見てきたが、ここはトップ3に入るな。
町自体が博物館だ。
そしてこの町にはもう1つ特筆すべき歴史がある。
いろは丸沈没事件だ。
幕末をかけぬけた英雄、坂本龍馬は、欧米列強に負けない強い海軍作りを目指し、その資金を稼ぐため日本初の株式会社、亀山社中を設立。
蒸気船いろは丸に乗り水運で稼いでいたわけだが、ある日、瀬戸内海を航海中に紀州藩のドでかい船と激突。
あえなくいろは丸沈没。
乗船していた龍馬率いる海援隊メンバーが上陸したのがこの鞆の浦だ。
港の船廻り問屋の屋敷に泊めてもらいつつ、紀州藩との示談交渉を行ったという。
その後、調査により引き揚げられたいろは丸の船体の破片が展示されているのが、うらさびれた港にある『いろは丸展示館』。
この小さな港町ではつい現代まで、沈没したのは唐人の船だと伝えられていたらしい。
それが何を意味するのか。
んー、歴史にはまっことロマンがある。
どこを切り取っても絵になる鞆の浦の写真を撮りまくりながら半島を一周し、尾道の町に入った。
レトロな町並みの残る坂の町だ。
坂の多い町のノスタルジックはいつも胸をしめつける。
もう暗くなっているので町の探検は明日にして、今日は久しぶりの路上だ。
マップによると尾道の繁華街、新開は迷路のように入り組んでいる。
というのも昔ここは色町で、売られてきた女が簡単に逃げられないようにわざと道を複雑に造ったんだそう。
鞆の浦は町が博物館だったけど、こっちは町が監獄ってわけだ。
ネオン街は文字通り日の当たらない場所。
あまり人目に触れないような路地裏に形成されていることが多い。
だから、この町の飲み屋街はどこ?と聞いても自分の町なのに知らない人も結構いる。
隠される存在だからこそドラマを秘めている。
んー、ひときわ芳醇な人間臭さが漂う町だ。
銭湯で刺青のじいちゃんとお喋りして、コインランドリーへ。
溜まりに溜まった洗濯物を洗っていると……………
ピカッ!!
ゴロゴロゴロゴロ………………
うわ!!
いきなりのドシャ降り。
えー、ちょっと待ってよー……………
広島一発目の久しぶりの路上だってのに………………
こんなおいしい町のおいしいハナ金を目の前にしておあずけかよ!!
あー、最近歌ってねぇなぁ。
つーか山ばっかりいたから人とまともに会話してねー。
はぁ。
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