2006年6月14日 【愛媛県】
31日目。
昨日の地獄の1日を終え、バス停のベンチで目を覚ました。
よかった…………生きてるわ…………
出発の準備をしていると、ちょうどおとといの遍路宿で見かけた美人遍路、ミホさんが通りかかった。
「あー、偶然ですねー。」
するとミホさんの後をつけて来たかのように、1台の軽自動車がバス停の前に止まった。
爺さんだ。
「おーい、昨日も会ったのー。ほら、乗ってきー。ほら。」
「うわ……………」
明らかに表情が曇るミホさん。
やんわりと、でもしっかり断っているのに諦めない爺さん。
俺たちが歩き始めても横の車道をずっと同じスピードでトロトロついてくるので、後ろが渋滞を起こしている。
どうやら昨日もずっとこんな調子で車に乗れ乗れと1日中つきまとわれたんだそうだ。
つきまとうだけでなく、食事時になると必ず弁当を持って現れるらしく、おかげで金がかからないそう。
でもそんなことよりめっちゃ気持ち悪い。
今日も早速パンを持ってきた。
「なんだ?2人は恋人同士か?」
俺とミホさんに不機嫌そうな顔で言ってくる爺さん。
それからもいなくなったかと思えば現れるたび色んなものを持ってきて、車に乗れ、うちに泊まれ、とトロトロ走って大渋滞。
きっと寂しいんだろう。
ミホさんが昔の恋人にでも似てたのかな。
ていうかマジで怖い。
こうして女性遍路に変なちょっかいをかけてくる地元の男がいるとは聞いていたけど、それを目の当たりにして気持ち悪かった。
爺さんにつきまとわれつつ、この日はショートスパンの連続を周っていく。
46番・浄瑠璃寺、47番・八坂寺、48番・西林寺、49番・浄土寺、50番・繁多寺、51番・石手寺。
たて続けに般若心経を唱えまくる。
ミホさんは各寺ごとにご朱印を記帳してもらっていたので、17時になったらストップしなきゃいけない。
ちょっと心配だったけど、ここからは宿に入るので大丈夫ということで別れ、17時という時間制限のない俺は、1人誰もいないお寺でお経を唱えて回る。
夜は道後温泉まで行って路上をした。
日本の温泉といえばここ、と言っても過言ではないこの道後は、夜でも観光客に溢れている。
こういう場所で拓郎の『旅の宿』はうける。
おかげで結構稼がせてもらい、飲み屋街の中にあるラーメン屋に入った。
美味しいラーメンをすすっていると、そこにドヤドヤと入ってきた浴衣姿のおっさん集団。
「お前どんなのだった?」
「いやー、参ったよ。下の娘と同い年でよー!!ガッハッハッハ!!」
どうやら慰安旅行かなんかの団体らしく、温泉街名物のソープに行ってきた帰りのようだった。
下の娘と同い年の女て……………
ラーメンがまずくなった。
32日目。
道後温泉の公園のベンチで目を覚まし、雨の中、水場で歯を磨いて出発。
愛媛の県庁所在地、松山市の中を歩いていく。
汚いみすぼらしいこの格好は、都会ではかなり浮いている。
しかし、他所ならジロジロ見られるような汚さだけども、ここ四国では誰も振り返らない。
見慣れた光景って感じだ。
四国にはお接待があるから食いっぱぐれることがない。
そのためたくさんのホームレスが托鉢をしている。
そういう人たちのことを地元の古老は『ヘンロ』ではなく蔑称として『ヘンド』と呼んでいる。
古老に話を聞くと、優しい四国の人も誰もが接待をしてくれるようないい人とは限らないそう。
行き倒れの身包みを剥いだり、女遍路を輪姦したりなんてよくあったことだよと爺さんが語っていた。
道楽では救いの心に触れることはできない、切羽詰まった想いこそが……………
そんなことをブツブツと呟きながら歩を進める。
考える時間はいくらでもあった。
52番・太山寺、53番・円明寺にお参りし、瀬戸内海の島影を眺めつつ、北条の手前にある食事処に入った。
常連さんで賑わう店内でギターを弾いて歌うとおひねりをいただき、日替わり定食もおごってもらった。
そこにいたお客さんの家でお風呂を貸していただき、その日は食堂で寝させてもらった。
体力が戻っていく。
33日目。
54番・延命寺、55番・南光坊と周っていく。
確かこの辺りの寺でのことだったと思う。
いつものようにお経を唱えていると、あたりで聞こえる鳥の鳴き声、風にそよぐ木々のざわめきがお経とシンクロしたような気がした。
高知のはじめくらいから完全にソラで唱えられるようになってはいたが、それまでは頭で理解しようとしながら口を動かしていた。
それがこの日は何の意識もなしに出てきた。
まるで自然界の音の1つのように境内に流れた。
な、なんだこの感覚?
まるで頭上から俯瞰して自分を見てるような、不思議な感覚だった。
人間が発する音で最も自然界に近い音ってお経なのか……………
そして社寺という場所は地球上で絶対に汚してはいけない神聖な地だと感じた。
地球上の物質には分子レベルで固有の振動があり、お経の波動はその振動の振れ幅にとても近い、とどこかで聞いたことがある。
その影響か、なんて大それたことは言わないが、確かにかつてないほど自然と一体化したような感覚に陥ったことだけは確かだった。
この日は今治の路上で歌った。