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北海道最後のお祭り、姥神大神宮渡御祭







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2005年 8月9日 【北海道一周】




さぁ、北海道最後の町、函館!!!


長かった北海道で最初に訪れた町であり、最後の出口の町だ。



まずは函館最大の名所、五稜郭公園!!





日本で初めての洋式築城の五稜郭が函館に完成したのが1864年、時は幕末。


その後1867年の大政奉還により旧幕府軍と新政府軍が激突。

言わずと知れた戊辰戦争だ。


日本各地で激戦が繰り広げられ、1人、また1人と倒れ、敗戦しながら旧幕府軍は北へ敗走。


海を渡り、松前城なんかを攻め落としながら函館へ。


五稜郭を乗っ取り、最後の砦とし新政府軍を迎え撃つが、壮絶な戦いの末、旧幕府軍は降参する。


旧幕府軍のボス、榎本武揚は降参後、新政府の海軍中将となり、子爵にまで上り詰めた。


軍事顧問だったフランス人、ジュール・ブリュネは降参直前に船でトンズラ。


結局最後まで幕府のために命をかけて戦い抜いた幹部は新撰組副長、土方歳三だけだった。


この忠義の心こそ新撰組が後世まで人気者として語り継がれる所以なんだろうな。



『武士道とは死ぬことと見つけたり』



でも歳三さん、写真では洋服着てるけどね。





この戦争で旧幕府軍についた藩は逆賊とみなされ、北海道に屯田兵で飛ばされたりしたようだ。


この前訪れた伊達市を作った仙台伊達藩もそのひとつ。



最後まで戦った新撰組にも生き残りがいて、大正4年まで生きた人もいたとのこと。


ということは俺たちの曾じいちゃんくらいはこの人と接していたんだな。


そう考えるとすごい。





現在は1914年以降、公園として一般開放されている。


星型に堀が巡らされた城郭としても有名で、今まさに、おそらく展望台になるであろう塔が建設中だ。


展望タワーは他にもあるが金がかかるからパス。


一通り中を散策して五稜郭を後にした。










それにしても最近暑すぎる。


まぁそれでも30℃を超える日はないし、何とか車中泊もできる。


去年の夏は連日35℃を超えるとんでもねぇ暑さで、夜一睡もできない毎日だったよな。



まだ8月。

夏の盛りだ。




こっからの本州暑いだろうなぁ…………


やだなぁ…………


夏の車中泊、ほんと辛いんだよなぁ…………


サウナの中で眠るようなもんなんだよなぁ…………




でも立ち止まることだけはできん。

前進あるのみ。



明日は江差だ。













翌日。



北海道最後の祭りいいいいいいい!!!


イエエエエエエエエイイイイイイ!!!!


ていうかうぁぁぁあああちいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!


暑すぎるんじゃああああああああああ!!!!


俺のファントム号はガス入れてないからエアコンが効かない!!


エアコンなんて要らん!!!!


根性!!




汗だらだらかきながらハンドルを切り、いざ江差へ向け走る。


青い空、セミの声、緑きらめく森を抜けると、視界に海が飛びこんだ。

今日は姥神大神宮渡御祭。



これが北海道のラスボスだ。









まずは町に入る手前にある繁次郎海岸へ。


パーキングエリアに行くと、繁次郎という江戸時代に実在した人物の像が建てられていた。


甘いものと酒が大好き、夏は海でヤン衆、冬は造材をしてトンチで人を和ませる町の人気者だったという。


でも実際のところは架空の人物で、人々の暮らしの中で生まれた理想を具現化したものだそう。


現代でも人々は辛い仕事や日々の空しさの中でツリバカ日誌のハマちゃんみたいなお気楽な人物を作りだし夢を見る。


サラリーマン金太郎もか。


庶民の心は今も昔も変わらないな。








そして江差の町に入った。





古い町並みを眺めながらトロトロ運転していると、神社前の広場に出た。


そこには日差しを浴びて輝く色鮮やかな何台もの山車が集結していた。









はやる心を抑えつつ、まだ運行まで時間があるので先に追分会館へ行ってみることに。







北前船の往来により江差には様々な日本各地の文化がなだれ込み、今も町中にその名残を見つけることができる。

今の日本は時間距離がなくなりチェーン化されていて全国どこに行っても同じような文化、風景だが、昔は各地方ごとに隔絶された独自の文化があったんだろうな。



有名な江差追分は静岡県追分町発祥の馬子唄である追分節が200年前に船乗りによって伝えられ、それに琵琶法師の佐之市という人がアレンジを加え完成させたもの。


今では、


『民謡は江差追分に始まり、江差追分に終わる』


とまで言われているほどだ。





追分会館では実演もやっており、ちょっとしたホールで生の沖揚げ唄やソーラン節を聴くことができた。


やっぱり生はすごい!!


魚と格闘している情景や当時の人々の風俗がブワーーっと目に浮かんだ。


実演も聴け、資料館も見学でき、おまけにやりたい人には追分の簡単な指導もしてくれる。


これで300円は安い!!



















さっきの広場に戻ってみると、すでに町内13台すべての山車が肩を並べていて、活気のある掛け声に満ちていた。



ところで山車と書いて『ダシ』とも『ヤマ』とも読むが、ちゃんとそれぞれ使い分けることができる。


簡単にいうと京都祇園系の上品な山車が『ヤマ』、江戸系で賑やかな踊りを披露するのが『ダシ』。


江差のは京都系なのでヤマになる。


ちなみに『関の山』という言葉は、岐阜県関市のヤマは確かに立派だけど祇園のヤマには到底かなわないね、というところから、まぁこんなもんやろ的な意味で使われるようになったんだって。






360年以上の歴史を持つ北海道最古の祭りであるこの姥神大神宮祭。


五穀豊穣、無病息災を祈念すると同時に、この町で働いていたヤン衆たちの無礼講の祭りだったという。



山車というのは神様が降臨する神域。


普段は人々が神社に神様に会いに行くが、1年1度、今日は神様が人々に会いに行くサービスデーのようなものか。


そのため、神社も山車も上から見ることはご法度とされているのはちょっとした常識だ。


利尻で学んだよな。





厳かなお囃子にのせ、山車がゆっくりと巡行を始めた。


今日は夜までひたすら町中を練り歩くようなので、今のうちに他の名所もまわっておこう。









ニシン、シャケ、毛皮など、アイヌとの交易品を北前船に載せたり、仕入れた物を販売したりする問屋を廻船屋という。


その廻船で富を築いた横山家のお屋敷へ。





今でも人が住んでいるような生活感がにじんでいる屋敷内。


土間の通路が坂となり家の下へ続いており、その突き当たりが昔はそのまま海だったらしい。


しかし国道などの埋め立てにより、中途半端な位置にこの屋敷は打ち上げられることとなる。







次に法華寺へ。


開基は1661年、日持上人。


ここには北前船により内地の宝物がたくさん運び込まれ、保管されている。


掛け軸や書、屏風など、すべてが江戸時代に作られたもので、中でも本堂の天井に描かれている八方睨みの龍は見事なもの。








田舎の道はいい。


砂利道、石畳、ひび割れた道、坂、小路…………すべてに人の暮らしがある。


たくさんの人たちがこの道を通り家に帰り、あるいは用足しに出かける。


立ち話もするだろうし、急いで走っても行くだろう。


道はとてもノスタルジックだ。







そんな道を通り、次に旧関川家別荘へ。


松前藩で1番の金持ち商人だった人の別荘で、それはそれは広大な庭園と立派なお屋敷。


「江差の5月は江戸にもない。」と言われたほどの町の賑わいの中、活躍した商人だ。


漆器やガラス細工、金庫などの当時の金持ちグッズがたくさん展示されていたが、それよりなにより、ここは案内のおばさんの異常な張りきりっぷりが面白かった。


ずっとついて来るからちょっとしつこかったけど、でもめちゃ頑張り屋さん!!






相変わらずゆっくりと巡行する山車について周り、写真をたんまり撮ってから函館への帰路についた。


江差、いい町だったなぁ。


旅情あふれる素晴らしい町だった。


いやー満喫!!!











函館に戻って銭湯に入り、車の中で日記を書く。


毎日毎日書いてるので、もうすでに大学ノートが13冊くらい積み上がっている。



昔の日記を読み返してみると、旅の最初のころってほんと回り方が雑だよなぁと思う。


大分や福岡など始めのころに回った県は行ってない名所があまりにも多すぎてもう1回行こうかなって勢いだ。


日記もテキトーだし。


日本を全部見る!!って気持ちで出発して、やっとここにきて感覚が磨かれてきたよな。





これからの南下。


オモシロそうなのもオモシロくなさそうなのも、1つも見逃さんぞ!!





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