2005年 8月1日 【北海道一周】
結局、裕次郎記念館の駐車場で眠り、朝8時に目を覚ました。
いい天気だ。
これなら洗濯物もすぐ乾くだろうと、コインランドリーへ。
「あぁ、裕次郎なぁ。ブタみたいな顔してなぁ。弟の方がいい男だぁ。」
中で涼んでいたお婆ちゃんがそう言う。
小樽の人みんなが裕次郎ファンというわけでもないようだ。
洗った洗濯物を車内の座席などにひっかけまくって出発。
開け放った窓から熱い風が吹き込み服をあっという間に乾かしてくれる。
小樽の次は祝津という町へ向かった。
明治・大正、そして昭和の中期まで、北海道の日本海側はニシン漁に沸き立っていた。
2月~4月の3ヵ月間の間には群来(クキ)といわれる大群が押し寄せ、海面は銀色に染まり、浜は打ち上げられたニシンで足が埋まるほどだったという。
ニシンには捨てる場所がなく、身欠き(ミガキ)と呼ばれる干し物にしたり、白子、数の子をとったり、潰してすり身にして肥料としても使われていたそう。
ところで江戸時代。
蝦夷地全体を取り仕切っていたのは松前藩だった。
まず蝦夷地を11分割して家臣それぞれにわりあてる。
家臣たちが商人を雇い漁場を運営させる。
これが場所請負制度。
そんで請負人が、漁をしたりアイヌの人たちと交易して動物の皮なんかを本州に送って金にする。
その金の一部が家臣に行き、藩に行くというわけだ。
中でもニシンの利益はすごかった。
請負人が網元となり、シーズンの3ヵ月間、200人ほどのヤン衆(若い衆)を使い漁をし、そこで得る利益は今の金額で1つの漁場につき20億円にものぼったという。
もちろんヤン衆たちの給料も半端じゃなく、その3ヶ月で1年間遊んで暮らせる額を稼いだんだって。
日本海側の町や集落、そのほとんどにニシン漁の漁場があり、その中心に当時建てられた網元たちのニシン御殿がある。
網元同士競い合って建てていたこともあって、どこもものすごい豪壮さだ。
この祝津にもとんでもなく巨大な御殿がある。
というわけで見学料を払って入館。
中に入ると、吹き抜けの天井にぶっとい梁や柱が蜘蛛の巣のように入り組んでいる。
今ではこの太さの木は手に入らないんだって。
2階には隠し部屋もあり、使えるヤン衆はここに住んでいたという。
なぜかというと、引き抜きをさせないため。
力があってよく働く若手はヨソの網元から引き抜きにあっていたようで、それをさせないために隠し部屋に住まわせていたんだそうだ。
逆に、ろくに働かないで漁場を転々と荒らし回る徒渡り(ヤクザ)というヤカラもたくさんいたという。
今も昔も金のあるところにヤクザはつきものだ。
そして昭和30年。
ある時を境になぜかぱったりと群来がなくなってしまい、栄華を極めたニシン漁はアッサリと終わりをつげた。
今のじいちゃんばあちゃんに話を聞くと、小さいころ、モッコ(ニシンを入れて背負う木箱)をしょって威勢よく行き交う大人たちの足元で、落ちたニシンを拾い集めお小遣いを稼いでいたという。
この寂れた漁港も昔はニシンに沸き立ち、掛け声や怒鳴り声の絶えない賑やかな港だったんだろうな。
そう思うと、崩れた袋澗やそこらにじゅうに散ばってる廃屋やブイにもロマンを感じずにはいられない。
ニシン来たかとカモメに問えば~ アタシャ鳴く鳥~ 波に聞けチョイッ、かぁ。
今じゃカモメもいなくなってる。
山の中のくねくね道を走り抜けると、オタモイという町へ出た。
郵便局のお姉さんに教えてもらい、町唯一の中華料理屋であんかけヤキソバを食べる。
うまい。
あー、めっちゃ美味しいやんこのお店。
ご機嫌でヤキソバを食べる俺。
そう、このあと、とんでもなく恐ろしい目に遭うとも知らずに……………
オタモイ海岸のぐにゃぐにゃの細い山道を降りていくとそこには駐車場があった。
一応奇岩と断崖絶壁の名所ということなのだが、別にそんなにたいしたことはなく、ササッと先に進もうかなと思っていると、駐車場の端にある古びた看板が目に入った。
『幻の一大テーマパーク』
何だ?
幻の、って言われると素通りできないな。
看板に書いてる説明を読んでみた。
それは昭和初期の話。
知人に、小樽は名所がないとバカにされた割烹屋のご主人が、私財を投げ打ってこのあたりにテーマパークを築いたという。
ここから見える海にせり出した断崖に、清水寺を凌ぐ舞台造りの巨大な屋敷を作ったんだそうだ。
そういえばさっきのぐにゃぐにゃ山道の途中、林の中に巨大な廃墟があったけど、あれもその一部か。
いくつもの絢爛豪華な建物を造ったわけだが、時代が悪く、すぐに戦争が始まってしまい営業停止。
やっと戦争が終わって、営業再開だ!!というところで大火事。
踏んだり蹴ったりで、ろくなことがないままあっという間に姿を消したという。
そのテーマパークの残骸が今も残っているとのこと。
断崖の方を眺めてみると、絶壁の途中に道らしきものや変なトンネルが見える。
あの向こうに何かがある。
……………これは行くしかねぇ!!
草に埋もれているボロボロの階段を降り、絶壁の中腹にある細い道を歩いていく。
手すりから下はめまいのする高さで、果てしなく海が広がっている。
しばらく歩くとすごいものが現れた。
なんだこれ……………?
竜宮城の入り口のような半壊した門がぱっくり口を開けている。
恐る恐る入ると、タガネだけで掘ったようなゴツゴツのトンネル。
こ、怖ぇ…………
トンネルを抜け、空中を歩いているような雰囲気さえする道をさらに進むと、とうとう舞台造りの巨大屋敷が建っていたという岩場に着いた。
下を覗いてみると、なるほど、確かに長く伸ばした柱をついていたんであろうコンクリートの基礎がいくつも確認できる。
頭に浮かんだのは千と千尋の神隠し。
忘れ去られ、廃墟と化したテーマパーク。
晴れわたる空と穏やかな海の狭間に取り残された夢の残骸。
風雨にさらされ、いずれ跡形もなく消えるんだろうな。
いいものを見た。
が!!!!
本当にヤバかったのはここからだった。
車に戻る途中、さっきのトンネルにさしかかった。
ふーん、トンネルなぁ。
なんかトンネルの上に別の廃墟みたいなのが見えそうな見えなさそうな…………
この上に登ったらなんかあるかな…………
好奇心の虫が疼いたらもう止まらない。
この前、知床でロッククライミングして楽しかったこともあり、これくらい楽勝だろうと登ってみることにした。
手すりを乗り越え、崖を3メートルほど登っていく。
ふんふんふーん。
楽勝楽勝。
とその時、ふと崖の下が視界に入った。
何もない。
マジで何にもない空中。
はるか下に岩場があり、波が打ちつけてしぶきが上がっている。
うわ、俺ヤバいところにいる…………
岩場は登っていくほどもろくなり、つかまっているとっかかりがグラグラする。
ガラガラ……………
転がり落ちた石があっという間に小さくなり見えなくなった。
こ、ここ、こ、これはやべぇ…………
え、どうしよう!!!
どうしよう!!!!
さすがにこれは洒落にならんと、ゆっくり、ゆっくり歩道に降りていくが、やべぇ、足が震える。
1ミリでもミスったら海に真っ逆さまで1発死亡。
ヤバいヤバいヤバいヤバい……………!!!!
怖すぎる!!!!
するとそこに観光客が歩いてきた。
「へー、きれいだねー。こんなとこあるんだねー……………うわ!!え!?何!!あれ!?何!?」
ありえないところにへばりついている俺を見てギョッとしている男の人たち。
ま、マジ助けてええええ!!!!
って叫びたいんだけど、もう声を出すだけでバランス崩れて落ちてしまいそうなので、何もできずに崖にへばりつくだけ。
指を引っかけてる岩がグラグラする!!!
はあああああああ!!!
心臓が飛び出しそう!!!!
なんとか、なんとか歩道に降りた時、へたへたと座り込んでしまった。
俺、何こんなことで命の危険おかしてんだよ。
はぁ…………泣きそうやった。
車に戻り、タバコに火をつけて気分を落ち着かせた。
よかったああああああああ……………
めちゃくちゃ怖かった……………
もう本当無謀なことやめよう…………
日本で最初にリンゴを生産した町、余市町はフルーツ王国。
リンゴはもちろん、梨、ぶどう、さくらんぼ、イチゴなどを生産しており、そこじゅうの農家が食べ放題の狩りをやっている。
他に気にかかったのはフゴッペ洞窟というもの。
ここは洞窟内に1600年ほど前の人たちの壁画が残っていることで有名で、当時中学生で小柄だった少年が、這いつくばってやっと入れるような隙間から洞窟に入り発見したってんだから悔しい。
俺も何とかそういう歴史的な発見をしたいなぁ。
でももうさっきみたいな無謀はカンベン!!
あー、思い出しただけで足が震える…………
そして何といっても余市町はあのソーラン節の発祥の地なんだそうだ。
小学生の時、何も知らずにかったりーなーと踊らされていたあの踊り。
今思えばニシンを捕獲する動きだったんだよなぁ。
この町の人々の生活が踊りになっていたなんて、んー、感慨深い。
島武意海岸を奇岩を眺めながら走りぬけ、神威岬へ。
海へ向かって突き出したこの岬は、まるでドラゴンボールの蛇の道だ。
夕日の中、アップダウンの激しい遊歩道を歩いていく。
丸みを帯びた水平線と大海原。
誰もいない。
このすごい光景の中に俺1人。
夢の中のような夕日をひとりじめしていることが切なくも誇らしい。
このままどこまでも歩いていきたいような気分だ。
岬の先っぽについた。
眼下には不思議な配置をした岩礁が浮かんでいる。
源義経がたぶらかして捨てたアイヌの女がここから身を投げてあの岩になったという言い伝えだが、義経、いろんなとこで女作りすぎだな。
俺の静御前は鎌倉ではなく宮崎。
そんなことを考えながら1人、夕焼けの海の上を歩いた。
翌日。
泊村もごたぶんにもれずニシン漁で繁栄を極めた漁村。
いたるところに袋澗といわれるニシン漁の小船を入れていたミニ港があったことを、朽ち果てたコンクリの岸壁から窺い知ることができる。
立派なニシン御殿や宝物を収蔵していた石倉が復元されており、とても見ごたえのある村だ。
もともと祝津のニシン御殿もこの泊村から移築したもので、全盛期にはこの村だけで50もの番屋がひしめき、莫大な利益をあげていたという。
ちなみにニシン御殿はどちらも入館300円。
祝津のものよりこちらのほうが歴史の詳細をしっかり学ぶことができる。
昼飯は岩内町の『うしお』。
漁師さんのやっている食堂で、ここはとにかく安い、うまい、ボリューム満点。
ヌカボッケ定食、600円。
安い。
最高。
腹ごしらえしたところで、さぁ、ニセコ攻めだ!!
北海道を代表するウィンタースポーツの楽園、ニセコ・ルスツ。
冬だけでなく夏場も温泉や登山、花畑など、美しい景観を求めて客足の絶えない一大観光地だ。
まずは山に入り、奥ニセコの山奥へ。
濃霧に視界を奪われつつ、離合も困難な細い道を走りぬけ、秘湯の名にふさわしい湯治場、新見温泉にやってきた。
宿は2つあるが、古いほうの新見本館へ。
昔ながらの湯治宿って、この鄙びた建物と自己管理で勝手にやってくださいってラフさがたまらない。
100年以上の歴史を持つ薬師温泉と迷ったが、まぁこのエリアで入るなら新見か薬師であれば間違いなし。
まったく、それにしてもこんな山奥の温泉、発見する人の気が知れねぇ。
昔の人は森に慣れてたんだろうな。
そしてフロンティアスピリットが豊富だった。
この日本、まだ発見されていない素晴らしいものがどれだけ眠っていることだろう。
開拓されつくしているように思えるが、日本は深い。
まだまだ何か埋まってるはずだ。
並大抵なことじゃ発見できないだろうけど。
蘭越町に降り、昆布駅にからまた山に攻めこむ。
色んな方角から山をかけ回り、まるで城を落とすような気分だ。
霧のかかった向こうに見える大湯沼はまさに地獄の釜。
倶知安の駅に出て、空を見上げた。
ここら一帯は北海道一の名山、後方羊蹄山、別名蝦夷富士を眺めるビュースポットなのだが、やはり霧が山全体を覆っており何も見えなかった。
一気にルスツに攻め入るがこちらは夏場は特になし。
というか霧でなんも見えやせん。
こんちくしょう。
とっとと室蘭へ向うか。
室蘭の地形はとても変わっている。
陸がフックのようにぐるりと海を囲んでいて、天然の内海を作り出している。
以前はフックの先っぽに住んでた人たちは、いちいち根もとのほうを回って市外に出ていたのだが、平成10年に白鳥大橋という巨大な橋が先端と陸をつないだので、簡単に市内を一周できるようになった。
すでに暗くなった空。
白鳥大橋の上から街を見ると、いたるところに工場地帯の無表情な灯りが光っている。
「海峡を越えて~鉄打つ~響き渡る~。」
拓郎とムッシュかまやつの『竜飛崎』でもいっているように、室蘭は鉄の町。
明日詳しく調べよう。
それから室蘭の繁華街を歩いてみた。
んー、やっぱり平日は人がいないなぁと、思っていると、中田さんから電話がかかってきた。
「あー?今は室蘭より東室蘭の方が栄えてるんだぁ。」
お、さすがおじちゃん情報。
早速行ってみる。
が、まぁまぁ飲み屋はあるもののやっぱりこっちも人通りは少ないなぁ。
ジリ(霧の濡れるやつ)も出てるし、今日は路上は無理かな。
そろそろ金がやばい。
この調子だと函館からのフェリーに乗る金も足りなくなってしまう。
本気で稼ぎながら進まないとな。
んー、やばい。
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