2004年 7月23日
朝イチで浄法寺町の天台寺へ。
夏本番の日差しが、なんてことない石段を過酷なものにする。
石段の両側には薄青のアジサイが咲き誇り、いたるところに小さなお地蔵さんがポツリポツリとこっちを見ている。
東北で最古というだけで別に大したお寺ではないのに、やたら爺ちゃん婆ちゃん参拝者が多いのはここの住職のせいだろう。
そう、ここの住職はあの瀬戸内寂聴さん。
このお寺で行われる有名な青空法話は毎月第1日曜日。
その日には多い時で1万人を超える人たちが全国から、遠くはニューヨークとかからこのお寺にやってくるらしい。
元は瀬戸内晴美という名で作家活動をしていた寂聴さんだが、どういうことか平泉中尊寺で尼さんになる儀式をし、この天台寺の住職になったのが昭和62年。
それから1日も休まず法話をして、その喋り口とユニークな人柄がウケて、今では日本一有名な尼さんだ。
写真集を見てみると、その子供みたいな無邪気な笑顔がサイコーに素敵。
頭にトンボが2匹止まってる写真で1発で好きになってしまった。
この人が宗教作ったらきっとすごいことになるだろうなぁ。
普段は京都嵯峨野にある寂庵という庵にいるらしい。
いつか法話聞いてみたいな。
浄法寺町は天台寺だけでなく、漆の生産日本一の町でもある。
日本全体の60パーセントを生産しているというからすごい。
でも超高い。
買えるわけねぇ。
二戸市に戻り、着々と進むお祭りの準備を眺めつつ、酒蔵「南部美人」にやってきた。
南部美人は日本、世界で数々の賞を受賞している超有名蔵。
どーせこういうとこはすっごく大手の機械まみれ蔵だろうなと思っていたんだけど、それが全然。
2500石ほどで、蒸米を担いで運んだりするような手造りに徹していた。
建物もかなり古い。
「なぜかこの1番奥のタンクで仕込んだ酒が1番評価高いんですよね。この辺りの空間に住む菌が良いんでしょう。そういうこともあって蔵を昔のままにしているんです。」
なるほどーーーー。
空間の微生物すら味に影響するなんてとんでもない繊細な飲み物なんだよなぁって改めて実感。
しかも同じ建物の中の一角だけ味が微妙に違うって、ホント神秘的な造りだよなぁ。
発酵は神の領域。
それを操る人間の技術と伝統も神の領域なのかな。
お土産に生貯の本醸造をいただいた。
ありがとうございました!!
それにしても金がヤバい。
なんとしても今週末で金を稼がないと。
思い切って近場の大きめの町、八戸に向かってファントムを走らせた。
この時期はどこの町でもお祭りラッシュ。
八戸の花火大会が7月30日。
三社大祭ってやつのメインの日が8月1日。
青森市のねぶたが最終日が8月6日。
弘前市のねぷたが最終日8月7日。
あと黒石市、五所川原市でもねぷたがあるし、三沢市では30日、31日、1日が七夕まつり。
他にも調べきれてないだけで小さな町の小さなお祭りが無数にあるはず。
じっくり計画立てて動かないとな。
青森県八戸の飲み屋街にやってきたけど、ここはかなり大きな街だからお金があまり期待できないので確実に稼ぐために三沢市まで行ってみた。
町の中は米軍基地があるため外国人まみれだ。
程よい大きさの町の中をウロウロ走っていると、路地の中に良い感じの飲み屋街を見つけた。
小さなエリアにスナックビルが密集しててかなり路上向きだ。
ただ外国人さん多いから治安悪くないかな。
北海道に渡るためにはカーフェリー代も稼がないといけない。
気合い入れてギターを鳴らす。
うん!!!三沢いい感じ!!!
米軍さんも多いけど、それより多いのは自衛隊の人たち。
この町には自衛隊の基地があるみたい。
日本人もアメリカ人も歩いてる人みんなだいたい訓練受けてる男たちなのでめっちゃ強そう。
でもみんなフレンドリーでめっちゃ優しい。
「自分の時間なんて全然ないぜ。今1時半だけど、門限22時半だからね。これバレたら3ヶ月外出禁止コースだわ。」
そう言う自衛隊のお兄さん。
自衛隊って外出したい時には、何の車で、平均時速何キロで走り、何分でどこに着き、何分休憩して…………といった異常なほど事細かく書いた計画書みたいなのを何人もの上官たちに提出して全ての人にハンコをもらわないと外に出ることができないらしい。
自衛隊すげー…………
ていうかクラブ「エスケープ」の涼ママとモモさんがめっちゃ美人。
モモさんスタイル良すぎ。
モモさん可愛すぎ。
ここでも相変わらず路上でアクセサリーを売ってるイスラエル人の女の子がいて、ちょっと話したら仲良くなり、ウチに来る?OKよ、と言ってくれた。
3時までガッツリ歌って11000円!!!
よし!!!
それからイスラエル人の女の子、リタの家にやってきた。
普通の古い平家の貸し屋で、ここに男女5人で住んでるみたい。
みんなそれぞれにひと通りのアクセサリーを割り当てられてて、その日その日で、お前はあの町、お前はあそこの町って感じで振り分けられ、売りに行くんだそう。
アクセサリーは自己管理で、もしアクセサリーを無くしたりとかしたら自己負担なんだそうだ。
こうした元締めと売り子のイスラエル人グループが日本中にいるんだろうなぁ。
「これ、イスラエルフード。」
リタが出してくれたのは、バターにネギかなんかが混ざったやつをトーストに塗ったもの。
あんま美味しくない。
リタが何か吸ってて、俺に回してきたので2、3口吸ったら頭がぐわんぐわん回り始めて動けなくなった。
体の血が重力の方向に沈み、まるで1番やばい泥酔状態の時みたいだ。
トイレに駆け込んで吐きまくってベッドに倒れた。
「sorry…..fumi…..sorry」
ってリタが謝っていたのをかすかに覚えてる。
あれ、なんだったんだろ。
翌日。
まだ頭がぐらんぐらんしながらシャワーを浴び、リタにお礼を言って二戸市に戻ってきた。
すでに始まっている金田一温泉祭り。
地元の物産とか郷土料理を、地元のおばちゃんたちが作って振る舞っている。
フラフラと見て回っていたが、あまりにも体がダルいのでベンチに横になった。
どれくらい寝てたのか。
激しい音で目を覚ますと、櫓で津軽じょんがら節の演奏をしていた。
リンゴ娘たちの舞は、九州で見てきた舞とは全然違う。
変な気持ちで、ボーーーっとそれを眺める。
記憶がおぼろげだ。
ナニャドヤラの舞というものが始まる。
この不思議な言葉は「なんとかなる、なるようにしかならん」という昔の農民たちの投げやりな言葉から来ているらしい。
日本一古い民俗芸能とかいってたかな。
舞も歌も、元は神様に捧げるためのもの。
ただの盆踊りにもきっとそういう意味があって、そこに人間の生活感が混ざり合って民俗芸能になっていく。
人間の営みの月日の中で少しずつ少しずつ形を変え、それが伝統になっていく。
人1人の人生では大した変化は感じないけど、200年も経ったらきっと大きく変わってたりするんだろうな。
いつのまにか観客たちも混じって、広場にいた全員が踊り狂っていた。
薄暮の踊りの渦の中、1人取り残されてぼんやりその光景を眺めていた。
【イーハトーブ岩手編】
完!!!!
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