スポンサーリンク プロポーズってどうやるんですか? 2016/6/9 2016/05/29~ ブルガリア 2016年5月31日(火曜日)【ブルガリア】 カザンラク快適にもほどがある個室のベッドの上で目を覚ました。1日でも野宿をすると本当に宿で寝られることのありがたさがわかる。しかもここはホテルではなくてアパートの一室。誰に気兼ねすることもなく過ごすことができる。ブルガリアの片田舎でアパートの部屋にいることがふと不思議に思えるけど、いつかそんな感覚が抜けるほど海外に慣れる日が来るのかな。それはそれで寂しそうだけど。ギターを持ってアパートを出て、歩いて2分でミレナのレストランにやってきた。昼前のお店にはカフェのお客さんが結構入っていた。この週末はバラ祭りなので、これから毎日めちゃくちゃ忙しくなるんだろうな。ゆうべのご飯とビール代を受け取ってくれなかったミレナとパパ。お金?何をおかしなこと言ってるんだ?フミは家族だぞ?と言って受け取ってくれない。前回も散々ご馳走になったのに、ここに来ればタダ飯が食えるみたいに思ってるんじゃないか?みたいに思われてしまったら死ぬほど恥ずかしい。でも、そんなこととっくに承知の上といった感じで俺から金を取らないパパとママ。俺が金を払うのは逆に2人の気持ちに泥を塗る行為なんじゃないか。でもそれにしても毎回甘えすぎるのはこっちも心苦しい。お店に行きにくくなってしまう。今日はなんとしても払おうねとカンちゃんと話しながらご飯を食べたんだけど、パパもママもまだお店に出てきておらず、スタッフさんだけだったので無事お会計をすることができた。ブルガリアには豚肉がある。美味しい肉料理とビール。毎日のご飯が楽しみだなぁ。それからお店に荷物を置かせてもらって、上の公園にあるトラキアン墳墓に行った。石段を上がっていくと整備されたのどかな公園になっており、暖かな木漏れ日が揺れている。修学旅行か遠足かわからないけど、何百人もの小学生たちのグループがあちこちではしゃぎまわっていた。この地方にはかつてトラキア人という人々が住み、国を持っていたらしく、あちこちに彼らのお墓が残っている。このカザンラクにあるトラキアン墳墓は2500年も昔のもので、内部には見事な壁画が残されており、世界遺産にも登録されている貴重なものだ。しかし本物は空調の管理などで一般人はほとんど中に入ることができなくて、再現されたレプリカしか見ることはできない。というわけで3年前も見た壁画を見にカンちゃんと手をつないで公園の中を歩いていくと、奥のほうになんとも飾り気のない入り口がある。入場料は3レフ。190円。写真を撮るならプラス5レフ。「わー、すごいねー。こんなのたまたま見つけたりしたらびっくりするだろうねー。」建物の中に入り、小さな隙間を抜けて奥まで行くと、そこにはお墓が再現された空間がある。小さなスペースだけども、その壁には見事な壁画が描かれている。馬に乗る人、武器を持つ人、楽器らしきものを演奏する人、それらの人々の服装、2500年前の人たちがこうした生活をしていたということが手に取るようにわかる。2500年前に生きていた人が描いたこの絵を、はるかな年月を経て今俺たちが見ているのかと思うとマジで震える。マジで地球って面白いよなぁ。壁画の中には王様と妃らしき人の姿もある。その2人は手を取り合い、悲しそうな表情をしている。別れを惜しんでいる場面なのか。はるか昔の人たちにも、こうした愛情という感情があったんだよな。今も人間は一緒だ。愛情は人間の根源的な感情のひとつ。素敵だよなぁ。ちなみにミレナの話によると、この辺りにはトラキアン墳墓はいくつも存在しており、さらにダム湖の底にトラキア人の都市が沈んでいる場所もあるんだそうだ。ロマン!!さてさて、昨日1週間分の宿代105ユーロを払ったことで手持ちが笑けるほどウルトラなくなったのでちゃんと歌わないとブルガリアから出国できませんよアユムさん。アユムさんから教えていただいたヨーロッパの楽しい過ごしかたのためにとある計画を立てている。準備はかなり順調に進んでおり、あとは6月11日までにスロバキアに辿りつけばその楽しいヨーロッパライフを手に入れることができるという寸法。まだ詳細は書かないけど、勘のいいかたならもう分かってるかもしれませんね。6月11日というタイムリミットがあるので、マジでブルガリアからスロバキアまでの足代を稼がないと、日本の実家と散々やり取りしてきた準備が全てオジャンだ。この週末はカザンラクのバラ祭り。ここでなんとしてもある程度稼いで、5日間でセルビア、ハンガリーを抜けてスロバキアまで行かないといけない。不可能な数字じゃない。それともうひとつ、大事な大事な計画がある。金丸文武、男としての一世一代の大仕事。カンちゃんにプロポーズしよう。ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!プロポーズってどうやるの!?道路飛び出してトラックに轢かれそうになりながら僕は死にません!!つって髪の毛かきあげればいいんですか?そして轢き殺されるんですか?!今まさにカザンラクのカフェでカンちゃんの横で何食わぬ顔でこの日記を書いています。いやー、それにしても岸辺露伴のヘブンズドアーってマジ便利だよねって言いながら心の中では緊張がスーパー爆発しそうになってます。そんな俺の気持ちはつゆ知らず、カンちゃんは横でパソコン作業しています。6月3日に決行します。バラ祭りの中で。そして断られて荷物をまとめて人知れず町を出て泣きながらルーマニアあたりに逃げてトランシルバニアで畑でも耕す人生を送るかもしれません1人で。もしくは断られた瞬間に広場の外の車道にヘッドスライディングして僕は死にません!!って言いながら轢かれてケバブの具になるかもしれません。マジ怖い…………怖すぎるけど、プロポーズするならこの6月3日と決めていた。しかも今はまさに世界中から観光客が訪れるバラ祭り期間中。花が咲き乱れる美しいこの時にプロポーズなんてシチュエーション、この上なく完璧すぎる。こ、断られたらどうしよう……………え……いきなりそんなこと言われても………私まだそんなことまで考えられない…………とか言われたら、そんなことまで考えら、の時点でウキョオオオオオオオ!!!って道路に飛び出してそのまま走り去って黒海まで行って人知れず漁師になってカラスミを作りながら人生を終えよう。ふぅ、落ち着こう…………と、とにかく日記をちゃんと書こう。路上やらなきゃってところだったな。宿を出てギターを持って町の中心部に行くと、カフェが散らばる歩行者天国の通りにちらほらと露店が出ていた。バラの石鹸とか香水とか、押し花とかレリーフとかのお土産品を売る露店が並んでおり、にわかに活気だっている。どうやらお祭りはもう始まっているらしい。本番は3日後。でもこれからどんどん町はお祭りに向けて人が増えていくんだろうな。そんなささやかな活気が流れる歩行者天国の通りに懐かしい場所を見つけた。あぁ、この写真屋さんの前の植木の横。ここだ、3年前の年末、ここで歌っていた。サンタクロースさんがそこの植木のところに立っており、子供たちにプレゼントを配っていたよな。横にある広場には仮設のステージが作られており、どうやらそこがお祭りのメインステージのようだ。金曜日になったらここが人で溢れかえるんだろうな。でも今日はまだ火曜日。さすがにまだ人はそんなに出ておらず、通りは地元の人がのんびり歩いているだけだった。とにかく歌おうとギターを取り出して歌った。向かいのケバブ屋さん、商店のおばちゃんがニコニコしながらお金を入れに来てくれ、それにアパートの窓を開けて歌を聞いてくれる家族もいる。すごくやりやすい。驚いたのは、そんな歩行者天国の通りに日本人をモチーフにした銅像が建っていたこと。着物を着て傘をさした女の人が通りの真ん中に立っている。なんでこんなブルガリアの田舎町に日本人の銅像?と不思議に思っていたら、どうやらカザンラクは日本と姉妹都市になっているんだそう。そのおかげかバラ祭りは日本人にすごく有名で、祭り期間中にはJTVとかの大きな旅行会社のツアーで、日本人がうじゃうじゃやってくるんだそうだ。町の人たちがコンニチハ、とカタコトの日本語で挨拶してくれるのはそんな理由があるんだな。町は19時を回ったあたりから人通りがぱったりとなくなった。夕方から賑わうトルコの路上の時間帯に慣れてしまっていたので、思いっきり時間をはずしてしまい2時間くらいしか歌えなかった。そうだよ、ヨーロッパではずっと昼から夕方に歌っていたんだよな。あれを思い出さないと。あがりは51レフと2ユーロ。3500円。これから1週間も滞在するんだからちゃんと稼いでいかないといけないんだけど、天気予報を見るとマジでオシッコ漏れそうなことになってる。今週ずっと終わってるやん……………もうお祭り自体大丈夫なのかな………………路上を終えてミレナのレストランに行くと、いつもの席でミレナがパソコンを叩いていた。パパは忙しそうにお客さんの対応をしている。ママのお店は人気店だ。だいたいいつもお客さんで賑わっている。そんな店内でママとパパと席に座って今日も色んな話をした。旅の話、この3年間のママたちの生活。パパがワインをグラスにたっぷり注いで持ってきてくれる。「あー!!フミー!!元気にしてたー!?」「うわー!!懐かしいー!!イヴァンは元気ですか!?」そこにやってきたのは、ミレナたちの仲良し家族のパパとママ。前回このお店でみんなで飲んだ時に夜遅くまで一緒に過ごしたご家族だった。「イヴァンはもうすっかり大きくなったわよー。絵を描くのが好きでねー。芸術に興味があるのよ!だから私たちは心配なの!!」ワイワイみんなで話していると、今度はパパが小さなショットグラスを持ってきてくれた。その中にはかなり度数の強いスピリットが入っていた。これはラキアというブルガリアのお酒だ。「ブルガリア人はラキアが大好きなの。これをサラダを食べながら飲むのよ。サラダはラキア無しではダメ、ラキアはサラダ無しではダメなの!」本当、インド、ドバイ、トルコとお酒をあんまり飲まない国から来てるからこのお酒が生活の一部として存在している様子にまだ慣れない。みんなお酒大好きだなぁ。「久しぶりにブルガリアに来てみてどう?フミ。」「んー、悪く思わないでくださいね。ハスコボで感じたことなんですけど、なんだか暗い雰囲気を感じます。理由はわからないけど。」「そうね、そうかもねー。ブルガリアは昔共産主義だったのは知ってる?25年前まで共産主義だった時はみんなとても幸せだったわ。それが資本主義に変わって仕事仕事仕事でみんなお金に囚われてしまって笑顔がなくなってしまったわ。私たちはロシアを愛してるのよ。」ブルガリアはロシアに大恩があるというママ。ロシアの南下政策の一環だったんだろうけど、当時まだオスマン帝国の一部だったブルガリアを独立させるためにロシアはこの地でオスマン帝国と戦い、たくさんの兵士が死んでいったという。だからブルガリアの人は今もロシアに対して恩を感じているし、トルコのことを良く思っていない。トルコは私たちのことを500年間も奴隷にしていたのよと言っている。こんな話を聞くと、ママたちの前で俺たちトルコ超好きです、とは言いにくい。ママたちの気分を害するかもしれないから。こんなシチュエーションにいつもなってきた。旅していれば尚更だ。特に旧ユーゴスラビア諸国では、ちょっと国境を超えただけでみんないがみ合っている。いまだに。セルビアもコソボもクロアチアもマケドニアもボスニアの人もみんないい人だった。でもやっぱり戦争の傷跡はまだ人々の心に刻まれたままだ。バルカン半島では平和ってもののリアルさや空虚さをこれでもかってほど実感させられたものだった。「僕はどこが正しいとかどの国が間違ってるかなんて言えないです。人々はみんな優しかったです。」「そうよ。人々はみんな優しいもの。フミはそれをフラットな目線で見ていってるものね。旅しながらそれを世界中の人たちに伝えていってね。」「フミ!それよりインドはどうだった?どんな面白い国なの!?」「この写真をご覧ください。」「えええ!!この白塗りの全裸のおじさん!!棒にチンチンを巻きつけてその棒の上に人を乗せてるの!!??なんてストロングなチンチンなの!!」「イヤアアアアッハッハッハツハー!!!」女性のママたちは大笑いしてるけど、真面目なパパたちは苦笑いで手を振っている。あぁ、本当にここにいると心が落ち着く。こんなにも体が、心が馴染む。まるで実家にいるみたいに。不思議なもんだ。この世界にあとどれだけこうした約束された場所があるんだろう。でもそれを必死に探すんじゃなくて、今見つけたこの場所を大切にしよう。このカザンラクの縁を深いものにしよう。そしてこのカザンラクでカンちゃんにプロポーズするんだ。ああ、プロポーズうまくいくかな……………こっわ!!あああ!!こっわ!!!!!!