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水と油

7月29日 火曜日
【インド】 コルカタ





喉が痛い。

鼻水がじゅるじゅるで鼻で呼吸ができない。

ああ、結局このまま最後まで体調悪いままっぽいな………


インドを出る飛行機は明日の夜。
今日と明日でいくら稼げるか。

現在の手持ちは3千円てとこか。
中国のアライバルビザ代が1700円くらいということなので、それを差し引いても5千円くらい残せればなんとかなると思う。


この前ラオスで久々に会ったコータ君が中国の情報をくれたんだが、昆明の近くに大理という町があり、そこは一大観光地として中国国内に限らず世界中から旅行者が訪れる場所だと言っていた。

欧米人観光客も多く、路上で自作のアクセサリーを売ったり音楽のパフォーマンスをしてるバスカーもいたりするという自由な町らしい。

おそらく稼げる。

昆明は面白い町ではないということなので、飛行機で昆明に着いたらすぐに電車に乗って大理を目指そう。


5千円スタートでなんとか香港までたどり着いてやるぞ。


そのためにも今日と明日は喉がボロ雑巾になるまで歌い散らかしてやろう。





と、張り切って目を覚まして体調がこんな状態。

勘弁してくれよ……と思いながらもやらないといけないもんはやらないといけない。

コルカタは昼間は人があまりおらず夕方からが人通りが増えるので、ひとまず体力を温存しながら部屋で日記を書く。
iPhoneをぽちぽち。


最近1人旅なので集中して日記を書くことができている。

やっぱり誰かといると日記に費やす時間が減ってしまうもの。

現在はキチンとその日その日の日記を書けているので記憶も鮮明に記すことができている。





のだが、このモロッコで買ったiPhoneはどこまでも使えない。

すぐに動きが止まるし、フリーズしたかと思うと強制終了。
アプリを起動する際に3回に1回は強制終了するし、やっと起動しても動きが遅すぎてものすごく無駄な時間を使わないといけない。

金丸、と例えば打ち込んだとして、普通は上に漢字の変換候補が即座に出てくる。

しかしこのiPhoneは変換候補が出てくるのに3秒くらいかかる。

ネットを使ってる時も、クリックをしてそのクリックが反映されるまでに5秒くらいかかるし、イラついてもう1回押すとその5秒後にやっと反映されて変な広告とかに飛んだりする。

写真も昔使っていたiPhoneは連射もできるくらいに処理能力が高かったが、今のボロだとまずカメラを起動するまでに5秒かかって、イライラしながら写真を撮ってもシャッターが切れるまでに2秒かかるので決定的瞬間なんて夢のまた夢だ。

いつも人の写真を撮る時に、みんなキメ顔で待ってくれてるのにあまりに遅くて、まだー?と気を緩めた頃にシャッターが切れるのでうまいことナチュラルな表情をゲットできるって意味では斬新なカメラアプリだけど。



そんなiPhoneなので出会った人のiPhoneを触らせてもらった時に、本当のiPhoneってのはこんなにも動きが早くてよく出来たものなんだとアップルすげぇって思うと同時にこのモロッコで買ったやつは一体なんなんだと悲しくなる。

しかも最近では、いや最近でもないか。しばらく前から、アプリを起動すると「プッシュ通知を使用するとうたらかんたら……」というウィンドウが出てきてそれ以上前に進めなくなる。

OKを押してウィンドウを消してもまた出てくる。

何度消しても無限に出続ける。


そしてそのウィンドウが出てる間は全ての操作が出来ない上にホームボタンもきかなくなるという地獄のループ。

OKボタンを押してウィンドウが一瞬消えた瞬間に操作ボタンを乱打しまくると、たまに奇跡的にウィンドウが出てこなくなる。

そうしてようやくブログを投稿できるし、メールを確認できたりするわけだ。



もう本当ストレス………
これがなかったらどれだけ時間の節約になってるかわからんよ………








そんなクソiPhoneなので、今日もメモ機能で日記を書いていると画面にバグが現れた。

チクショウ!!とイライラしながらバグった部分を削除した。



その瞬間だった。

画面が強制終了された。



まぁこんなのはいつものこと。

はぁ……またさっきまで書いてたとこが消えたかな………

とゲンナリしながらメモを再起動しようとした。






メモが起動されない。

タップしてアプリが開いた瞬間に強制終了する。

何度やってもパッと画面が消えてしまう。

電源を落として再起動してみるが、やはり何も変わらない。


お、おい、嘘だろ……?と設定やらなんやらをいじくり回してみるが一向に改善されない。







え?……なにこれ?





え?






焦りがじわじわと吹き出してきた。

え?メモが開けなかったら今までの日記が全滅……なんだけど………

思いついた時に書きためていた詩の欠片たちが………


最悪そこはまだいい。日記はすべてブログに上げているので問題ない。

でも最近調子よく書いていてブログと時差があった分の10日間の日記が闇に葬り去られてしまった。




ちょ、ちょっと待て!!!
ここ数日色んなことがあって自分なりに色々考えて気合い入れて書いていた10日間の日記が消滅!!!

嘘だろおおおお!!!








なんとかなるはずきっとなんとかなると、ひたすら様々なことを試してみるがどうしようもない。

そ、そうだ!!iPhoneのソフトウェアを最新のものにアップデートしたら復旧するんじゃないのか!?


宿を出て目の前のカフェでネットに繋いで、アップデートボタンを押す!!


これがまためちゃくちゃ時間がかかって、一向に処理が進まず焦りはつのる一方。

夕方前にはパークストリートに行って歌い始めないといけない。
早くしないといけないのにアップデートは1時間経っても終わらない。

カフェの店員さんたちも長居してる俺を白い目で見ているのでちょくちょくお茶を注文するが、早く出て行かせるためにいきなりWi-Fiルーターの電源を落としやがった。

おい!!ちょっと待て!!今ダウンロード中!!





なんとか白い目に耐え続けること3時間。

時間は16時。

もう限界だ。早く路上に行かないといけない。
10日分の日記消滅の危機で気持ちが動転してるのに歌は確実に歌わないといけない。


もー!早くしてくれーー!!



というところでiPhoneにポンとウィンドウが出た。
やった!!終わった!!




「アップデートを完了できませんでした。最試行しますか?」



ものすごい勢いでiPhoneをカレー鍋の中にぶち込みそうになるのをギリギリでこらえてカフェを出た。













日記はだいたい1時間半くらいかかる。

早い日は30分で終わるけど、色んなことがあった日や考えることが多かった日は2時間半くらいかかる。

最近は激動のインドだったので、毎日が力作というくらいキチンと書いていた。

それが全滅と思うと………



もう日記やめようかな…………って全てのやる気がなくなってしまう。

書き直すとかもうやだよ…………










望みを託してパークストリートにあるスマートフォンショップへ行ってみた。

アプリが起動できなくても、iPhone内のデータは取り出せるんじゃないか。

それに専門のスタッフなら何かいい方法を知ってるかもしれない。
インド人ってのはコンピュータに強いというイメージもある。

頼む………とスタッフに相談してみた。



「ふーん、リストアしたら?」


「リストアってなんですか?」


「買った状態に戻すってこと。初期化。」



おい、俺はこのiPhoneの中の情報を取り出したいから相談してるんだぞ?



「パソコンにデータを移すことは出来ないんですか?」


「自分のパソコンでiTunesと同期しないとダメだよ。」


「パソコンないです。」


「ふーん。」





終わり。

そっから先はもう知らないと無視。

ガックリと肩を落として店を出た。











書き直したくなくても書き直さないといけない。
バラナシからのあの超刺激的な日々を、面倒だからといってささっと書いてしまうのは絶対に許せない。


はぁ………とため息をつきながらパークストリートのいつもの場所でギターを準備する。
小雨が降っているが、このマクドナルドを過ぎて少し行ったところにある屋根つきの通りなら気にせず歌える。

頑張らないとなぁ……と思っていたら誰かが声をかけてきた。



「ヘイメーン?世界一周中ってマジなのかい?」



顔を上げるとそこにはインドの最先端のオシャレをキメた、いかにもアメリカにでもいそうなめちゃくちゃ垢抜けた男前が立っていた。

フレンドリーな笑顔で、英語圏で育ったのか?ってくらい流暢な英語を喋る。


「おいおいマジかよ。60ヶ国も行ったのかい!?ギター弾きながら!?最高にクールじゃんかよ。」


いい教育、人当たりの良さ、モデルみたいにオシャレな服装。育ちの良さがにじみ出ている。

名前はフィリップ。



俺にすごく興味を示してくれてそこから少し会話をしていたら何か困ってることはないかい?と言う。

こんなこと彼に話すことでもないけれど、藁にもすがる思いでiPhoneのメモがバグってることを伝えてみた。



「よし、じゃあ俺の部屋に来なよ。Wi-Fiあるし、パソコンもあるから何か出来るはずだよ。」


「え?で、でも、俺今から歌わないといけないし、家ってどこなの?」


「ここさ。さ、行こうぜ。」



ここってどういうことだ?


わけもわからずとにかく行ってみようと荷物をかつぐと、いきなり目の前のウルトラ高級なホテルに入っていくフィリップ。

ちょ、ちょ、どこ行くの?

勝手に入ったらダメだ………




photo:02




photo:03




photo:01








よ?


photo:04







「さ、くつろいで。お茶でも飲む?」



あんたナニモン?

ここがインドなのか目を疑うようなスーパーラグジュアリーなホテルのスーパーラグジュアリーな一室。

クローゼットのハンガーにガウンがかかっている。


え?なにこれ?



「Wi-Fiのパスワードはこれね。」


「あ、う、うん。ここには馬糞は落ちてないみたいですね。」



話を聞くと、なにやらスポーツ関係の仕事をしているというフィリップ。しかしプレイヤーではないそう。

インド国内の様々な一流スポーツのプロモーションかコーディネートか、そんな感じ。

拠点はインド最大の都市であるムンバイだが、インド全土、そして海外にもガンガン遠征に行くような仕事みたい。

とにかく会社が用意するホテルがこんな超一流のものというだけで、どれだけ稼げる仕事かということがわかる。


「よし、じゃあ問題を解決させようぜ。」


「ちょ、ちょっと待って。俺たちまだ会って10分くらいだよ。なんでここまでしてくれるの?」


「だってフミがやってることに感動したからさ。まるで映画の話みたいじゃんか、ギター持って世界一周なんてさ!!」


なんかもうホテルの外と中のあまりの差に頭が混乱してくる。

さっきまで騒音が鳴り響き、ボロ切れをまとった人たちが歩き、幼児が行き交う人々の足元でハエにたかられて死んだように横たわっているという風景だったのに、扉を1枚隔てたこちら側は贅の限りを尽くした大金持ちたちの世界。

外で物乞いをしてる子供たちが1年かけて稼ぐお金を1日で使うような暮らしをしている。

そのリッチな世界と最底辺の世界の距離がたった扉1枚という事実があまりに衝撃的だった。








そしてフィリップはいとも簡単に俺のiPhoneのバグを解決する方法を発見した。


YouTubeで「iPhone note crash」と検索すると、これがよく起こる症状らしくたくさんのハウトゥーフィックスの動画が出てきた。

いくら起動させようとしてもシャットダウンしていたメモアプリ。

フィリップが発見してくれた解決方法は、まずiPhone内の検索でメモの中に書いていたキーワードを入力する。

すると検索結果でメモの内容がヒットする。

それを開くと……あら不思議。


メモの画面に移動した。



それを何度か繰り返していくと、どんどんバグがほぐされていき、いともたやすくホーム画面からタップでメモアプリが起動して問題は完全解決した。



「わー!!フィリップ!!お前は天才だ!!」


「調べたらわかることさ。力になれて嬉しいよ!!」


photo:05





なんてスマートなやつだ。
頭はいいわ、金持ってるわ、ハンサムだわ、オシャレだわ、さらにめちゃくちゃ優しいときたらもうモテない要素がひとつもない。

インド人というだけでどこか信用できない懐疑を持ってしまうけどフィリップは別だわ。

こんなインド人に出会えたことに嬉しいを通り越して感動してしまった。



「また何か困ったことがあったらいつでも連絡してくるんだぜ!!」


フィリップに何度もお礼を言ってホテルの外に出た。

その瞬間、さっきまでの清潔感溢れるラグジュアリーな空間が嘘のようなインドの世界に戻った。

けたたましく鳴り響くクラクションが耳をつんざく。

これがインド。あれもインドだ。









気がつけばもう18時を回っている。
フィリップはご飯食べに行こうぜと言ってくれたが、それどころじゃない。
インドのエリートとご飯なんて一体どんなものを食べるのか気になるところだけど、今俺がやるべきは少しでも稼ぐこと。

ソッコーでギターを構えて思いっきり声を上げた。









photo:06




喉の調子はひどいもんだ。
鼻水で鼻がつまって綺麗に声が出ない。

必死に声を出すが、クラクションが全てをかき消してしまう。
本当にクラクションが途絶える瞬間がない。
常に、常に鳴り響いている。

photo:07






それでも根性で歌い続け、2時間でヘトヘトになってギターを置いた。

チクショウ………せめて体調が万全ならまだ声も通るんだろうが………


インド人のみんながすごく歌が上手ね!!と声をかけてくれるのが申し訳なかった。

今日のあがりは1425ルピー。
ドル換算で23ドル。

photo:08















今日はあの風船売りの女の子にイマジンを教えて一緒に歌い、その間に入ったお金を全部あの子にあげようと思っていたんだが、珍しく姿を見せなかった。
いつも人だかりのどこかで俺のことを見ているのに。


雨のせいか、それとも親に関わるなと言われたのか、

今日のパークストリートには物乞いたちはいなかった。



ボロボロの体で宿に戻る。

雨が地面を濡らし、インドの豊かさと貧しさを水と油のように分離させていた。

photo:09





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