7月20日 日曜日
【インド】 バラナシ
広々とした部屋の中で目を覚ました。
ここはニュー久美子ゲストハウスの一室。
壁はシミだらけだし、あちこち黒ずんでいてお世辞にも綺麗な部屋とは言えないが、このインドにおいてはかなり快適な部屋だと思う。
調度品の全てに使い込まれた年季があり、この宿の歴史の古さを物語っている。
窓の外にはバラナシ名物の迷路の路地が入り組んでおり、空をおおうような建物の底を子供が駆け回っている。
まるで歴史の中にタイムスリップしたような、映画のワンシーンのような風景。
インドのカオスのど真ん中を窓の中から覗くことができるだけでとても旅してる気分にしてもらえる。
38年インドにいるという久美子さん。
今ではすっかりインドの言葉もペラペラに喋り、この国と町に溶け込んで暮らしてらっしゃる。
しかし話ではインドに住むというのはなかなか大変なもので、色んなトラブルもあったとのこと。
宿を始めたのは35年前。
当時はまだホテルも数軒しかなかったようで、バラナシが観光地として成長していく歴史は久美子さんの歴史でもあったはず。
今でこそ日本人宿が乱立し、日本語をセカンドラングエッジくらいに上手に操るインド人がたくさんいるが、全ては久美子さんから始まったと言っても過言ではないだろう。
それくらい久美子ゲストハウスはバラナシにとって一目置かれる存在だということを感じる瞬間がある。
通りを歩いてる時、客引きや他の宿のインド人からいろいろと話しかけられる。
そんな時に、どこに泊まってる?と聞かれるんだけど、久美子ゲストハウスだよと答えると、インド人がフーウと声を出して、一歩後ろに下がる。
そしてそこからあまりしつこく声をかけてこなくなる。
久美子ゲストハウスのドミトリーの値段は80ルピーだ。140円くらい。
現在のバラナシの宿の相場は200ルピー、330円てとこ。
破格に安い。
一昔前はおそらくこれくらいの値段だったんだろうが、久美子さんはその激安の値段を守り続けている。
そして久美子ゲストハウスにはかなりコアな旅人が集まるという話もよく聞く。
ここはインドだ。
とにかく土臭くて、ザ・旅人というやつらが多いだろうが、その中でもガイドブックってなに?みたいなこよなく旅を愛するやつらの溜まり場というようなイメージ。
安宿とはこういう場所という、旅のロマンがかなり詰まっている。
まるで古本のように味わい深い。
日本人宿は好きじゃないけど、この久美子ゲストハウスだけはマジで別格の存在感がある。
しかし最近ではサンタナをはじめとした他の日本人宿や、韓国人宿などが久美子ゲストハウスの周りにたくさんオープンして、お客さんの足も減ってきているみたいだ。
ただでさえ汚いこのバラナシ。
多少お金を払ってでも少しでも綺麗で快適な宿に泊まりたいのが普通の考え方だろう。
ケンゴ君も迷わずサンタナに泊まっているし、俺だってバラナシに着いてインド人のオッさんに聞かなければここには来なかったはず。
でも今は本当にここでよかったと思える。
久美子ゲストハウスはインド旅の中でもこんなにも面白い場所はないと思える強烈な異彩がある。
この宿の前の路地を今まで何千人の日本人たちが歩いたことだろう。
こんなにもベタ褒めしたくなるのは宿が面白いってだけじゃなく、久美子さんの人柄があるから。
何十年も宿をやっていて、旅行者の相手なんて流れ作業みたいになっていてもおかしくないのに、久美子さんはいつもにこやかで優しく、包容力に満ちている。
なにを相談しても親身になって教えてくれるし、彼女ほどインド人のことを理解してる日本人もそうはいないはず。
いつも的確なアドバイスをしてくれる。
旦那さんはもまたとてもユニークな人で、インドの伝統的な服を着て、モサモサとした白髪の髭をたくわえており、魔法使いみたいな杖をついている。
見た目は完全に仙人レベル。
しかし実は、日本に留学した最初のインド人というすごい経歴を持つ人で、バラナシで彼のことを知らない人はいないというような重要人物だ。
もはやこの面白すぎる宿の虜になってしまっている。
宿を移ろう。
ニュー久美子からさらに濃厚なオールド久美子に。
荷物を持って馬糞だらけの路地を抜けるとすぐにオールド久美子がある。
それはまるで、というか本気で歴史的建造物に指定されているんじゃないかというほどの古い建物で、バラナシの景観の1部であるガンジス川沿いの石造りの屋敷だ。
川へと下る階段の上にせり出すようにそびえているので、中に入ると窓からガンジス川を独り占めするかのような景色を見ることができる。
このバラナシの川沿いの建造物は世界遺産に登録されているそうだが、なんとこのオールド久美子もまた世界遺産の建物だそう。
世界遺産の宿に140円で泊まれるなんて奇跡だよ。
1階はただの家で、細い階段を上がっていくと3階にドミトリーフロアーがあった。
マジで笑った。
フロアーが全部ドミトリーなんだけど、間仕切りなんてものはほとんどなく、そこに小さなベッドが数個並んでいるだけ。
きをつけの姿勢で横になって一杯くらいの本当に小さなベッドで、空いたスペースにはマットが敷いてあってそこでも寝られるようになってる。
まるで野戦病院。
壁にはおびただしい絵やサインが書かれている。ここに泊まってきた旅人たちが書きなぐったものなんだろう。
監獄のようでもあり、伝統的なドミトリーという雰囲気も漂っている。
旅人が安宿というものを想像した時に、こういう場所でみなで夢や世界のことを語り合い雑魚寝をする、というどこか懐かしい溜まり場のイメージがそのまましっくりくるドミトリー。
こりゃ最高だ。
まぁシャワーは配管から水がそのままジャバジャバ出てくるだけだし、トイレもわざわざ隣の水ためからバケツで水を汲んで入らなければいけないという原始的なものだけと、それもまたここだと楽しく感じてしまう。
いやー、バラナシ生活、楽しくなりそうだ。
「ガートはデンジャラスだから夜に1人で行っちゃダメだよ。殺し屋がたくさんいて、殺して川に捨ててしまうんだ。だから21時半には帰ってくるんだよ。」
旦那さんにそう忠告されながら鍵もなにも持たずにそのまま散歩に出かけた。
路地のきったないチャイ屋でショウガのきいたチャイを飲み、サンタナゲストハウスへ。
超有名日本人宿のサンタナもまた裏路地の奥まったところにあり、建物の中は確かに綺麗だった。
ドミトリーには2段ベッドがキチンと配置されており、吹き抜けっぽい天井から明かりが落ちている。
数人の宿泊者を見たけど、もちろんみんな日本人で、結構ござい系の人が多い。
ヒゲをはやして伸びた髪を後ろで結び、インドっぽい服を着ている。
こんないかにもな感じだけど、より濃い雰囲気の久美子ハウスには来ないんだな。
「金丸さんー、来なかったですねー。待ってましたよー。」
そこにケンゴ君がやってきた。
サンタナに泊まっているケンゴ君。
ゆうべ歩いていたら偶然会って、明日ガンジス川に朝日を見に行きませんか?と言われていたのだ。
ガンジス川は朝の太陽がとても美しいと聞いていたんだけど、5時に起きるのは厳しいよ………
「ゴメンね、ご飯でも行こうよ。」
「いいっすね。」
ケンゴ君と一緒にサンタナを出て、近くの食堂で日本食を食べた。
久美子ハウスやサンタナがあるため、昔からこのあたりの路地は日本人が集まるエリアとなっており、路地の食堂はどこも日本食を作っている。
味は……まぁそこそこ美味い。
米がマズイ。
スパイシーバイトというお店でから揚げ定食を食べた。
135ルピー、210円くらい。
路上は明日から始めるとして、今日まで観光をしよう。
といっても何が有名なものかもわからない。
ガンジス川とその河岸に並ぶ無数のガート、川沿いに広がる迷路のような路地裏。
インドのありのままの生活を覗くことができるこの路地裏の光景こそが最大の名所なんだけど、ひとつだけ気になる場所がある。
その場所はバラナシから10kmほど離れたところで、トゥクトゥクかリキシャーで行けるとのこと。
人でごった返す大通りまで出て、たくさんのドライバーたちと交渉。
「あそこまで往復でいくらですか?」
「500ルピーだよ!!500!!」
「600だよ!!すごく遠いから600ルピー!!」
「あ、わ、ワシは300ルピーでいいよ………」
血気盛んなぼったくりドライバーたちに混じってこの道60年みたいなリキシャーマンのお爺ちゃんが遠慮がちに言ってくる。
おそらく300ルピーが相場なんだろう。
「わかった、じゃあお爺ちゃんのリキシャーで行こうか。」
「よーし!!わかった!!こっちも300ルピーでいいぜ!!このジジイ余計なこと言いやがって。ジジイは老いぼれだからとてもスローだからダメだ!!俺は若いからすごくファストだぜ!!」
爺さんのせいで2秒で300ルピーに下がったので、爺さんには申し訳ないが若いリキシャーマンを選んだ。
10km走るんだ。そりゃ若い方がいい。
となりでトゥクトゥクのドライバーが400ルピー、680円で往復するぞー!!と言っているが、まぁ少し節約しようかと、ケンゴ君と2人でリキシャーの席に座った。
これが大きな間違いだった。
キチガイみたいな渋滞。
まったく進まない。
インドの道路にはほとんど車線がない。
あっても全部無視。
車とバイクとトゥクトゥクとリキシャーが入り乱れて、自分の好きなように走っている。牛も。
自分の車線が混み出したら反対車線に入って平然と逆走する。
そして反対車線も混んで進まなくなったらもうすごい。
クラクションの嵐。
ずっと先までギュウギュウになっていていくら鳴らしたところでどうにもならないのに、どいつもこいつもクラクション押しまくり。
10秒鳴らしっぱなしとかそんなやつらばかり。全く動かないのに。
そのど真ん中にいたら本当に頭がおかしくなる。
その道の真ん中に牛がボケーっと座ってたりするからもう謎。
アラブでもクラクションはすごかった。
ゴミもそうだし、順番の割り込みもそうだ。
後進国だからってわけではない。
中南米ではこういうことはなかった。
この自分のことしか考えてなくて、我慢ができなくて、周りの迷惑を考えない性格。
ストレス………
「ああああー!!もうインドで外出したくないいいいい!!!」
ストレスがたまりまくっているケンゴ君。
俺もこのクラクション地獄と順番の割り込みにはウンザリだよ…………
地獄はまだ続いた。
やっとのことで渋滞を抜けたかと思ったら今度は雨が降り出した。
次第に強くなり、どんどん激しくなり、ついにものすごい土砂降りになってリキシャーを叩きつけだした。
慰め程度のホロしかついていないリキシャー。
一瞬で全身ずぶ濡れ。
雨ざらし。
みるみるうちに道路が濁った水で冠水し、トゥクトゥクがしぶきをあげながら走っていく。
横を通る時にそのしぶきがバシャ!!と足にかかる。
泣きたい。
こんなスーパー土砂降りなのに、リキシャーマンは鼻歌交じりにペダルをこぐ。
休憩する気ゼロ。
逆に道路がすいたのでご機嫌そうに走っている。
「あああ………なんでこんなびしょ濡れになってるんだろう………あはははは!!」
パンツまでぐちゃぐちゃになってようやくたどり着いたのはサールナートという町。
頭からバケツの水かぶったみたいに濡れてる2人の前には大きな塔が立っていた。
このサールナートは約2600年前、仏陀が初めて説法をした場所と言われており、仏教徒にとってとても神聖な場所。
いくつもの寺院や遺跡が残っており、仏陀の足跡を偲ぶことができる。
リキシャーに乗りながら、いくつかの場所を回ってもらった。
かつての寺院跡らしき場所には2000年近く昔の石柱が今も残っていたり、ストゥーパと呼ばれる塔がもの言わず立ち尽くしていたりと、とても厳かな空気。
仏陀が生まれたのは2600年前。
その後彼は真実を求めてさまよい、苦悩の果てにたどり着いたブッダガヤの地で瞑想に入る。
そして解脱。悟りを開き、この世の苦から解き放たれ、宇宙の真理を理解した。
仏陀は神様ではない。実際に存在した人間だ。
そんなただ1人の人間の思想が数千年の時を超えて今も人間の心の支えとなっている。
この、インドのこの地で悟りを開き、教えを説き、人々を導いた仏陀。
どんな顔だったんだろう。
どんな声だったんだろう。
数千年に1度そんな大人物が地球に現れるのだとしたら、現代にはそんな人はいないのかな。
大きな寺院の中にあった仏陀の生涯を描いた壁画の素晴らしさは足を止めて見入ってしまうほどだった。
これも同じ人間なのかよ。
一体この人にはどんな世界が見えていたんだろうな。
人々の苦しみの果てはどこにあるんだろう。
どうやれば解き放たれるのか。
雨は止んだが、帰りのトゥクトゥクから見る町はまぁ凄惨だった。
さっきの雨で道路が冠水し、凄まじい量のゴミがそこに浮いている。
牛と野良犬がそのゴミを食べ、糞を垂れ流している横を人がジャバジャバと歩いている。
道の脇にはゴミを組み上げて作ったあばら家があり、その前で小さな子供が裸で遊んでいる。
雨に濡れた地面に寝転がっているホームレス。
いや、もうインドではホームレスなんて言葉はない。
あまりにも多すぎるし、家があってもみんなホームレスのような格好をしているんだから、少数の呼称にはならない。
歩道でヒゲ剃りの商売をしている老人。
ゴミだらけの想像を絶する汚い川の横でやっている魚市。
数年シャワーなんか浴びてなくて、破れすぎて布の面積のほうが少なくなっている服を着た兄ちゃんと目があった。
ほとんどなくなっている乱杭歯をのぞかせてニヤリと笑ってきた。
俺はその横をリキシャーで通り過ぎる。
リキシャーマンのか細い背中の筋肉が、それなりに隆起している。
海外をあまり知らない日本の人がいきなりこれを見たら、ショックでトラウマになるんじゃないかな。
生老病死があまりにもえげつない。
もうなにひとつ緩衝材がない。
なにひとつフィルターがない。
むき出しの人間の本性が雨に濡れてさらに鈍く光っている。
俺も見ていられなくなる。
映画の中の出来事のように、他人事と思えばまだ冷たく見ていられる。
しかしかつてほんのすぐ近くの場所で仏陀が説法をした場所だというのに、こんなにも人間が動物と一緒にゴミにまみれて暮らしているのかと思うと、人間の幸せがなんなのか考えずにはいられない。
深く考えたい。
物事を深くとらえてみたい。
表面の、すぐ思いつく浅いイメージに囚われることなく、その先の、物事の多面性をもっと見つめたい。
宗教と人間の心の関わり合いとは、どこまで複雑なものだろう。
クラクションの嵐の中、ようやくバラナシに戻ってきて、そのままガートに行きプージャーを見た。
広場には今日もまた無数の人が集まっており、怪しげな音楽と躍りの中で誰もが手を叩いて祈りを捧げていた。
人間ってのは一体なんだ。
どんどんぶち壊されていく。
現代社会の常識や、人生観ってやつが。
このバラナシの、神と交信する人々を見ていると、現代社会の生活の枠がどれほど狭いものなのかを思い知らされる。
階段に座って煙をくゆらせる。
思考がゆっくりと沈殿し、鐘の音と目の前の不思議な光景が混ざり合ってほどよい混乱が心地いい。
ああ、なんて町だ。