6月3日 火曜日
【マレーシア】 クアラルンプール
真っ暗闇だ。
今何時だろう。
扇風機のブーン……という音だけが部屋の中に聞こえる。
暑くてシーツが背中に貼りついて寝苦しい。
うっすらと目を開いて部屋の中を見渡す。
カビと汗の臭いが充満した監獄のような部屋。
時間の感覚が消え去り、このまま暗闇に溶けていたいと思った。
もう一度目を閉じた。
次に目を覚ましてiPhoneのボタンを押すとパッと部屋に明かりが灯った。
11時だった。
お腹が空いているので何か食べようかと思ったが、起き上がるのが億劫でそのままメールのチェックをした。
たくさんのメールがGmail、Facebook、アメブロのメッセージに届いている。
知ってる名前、知らない名前。
暗闇の中から世界中の人たちに空元気のメールを返していく。
頭が重い。
熱っぽい体。
薬は飲んでいるのに、一体いつになったらこのダルさから解放されるんだろう。
変な病気ではないはずだけど。
今日こそ歌いに行かないと。
もうこの国3日目だというのにまだ路上に出かけていない焦りが胸をうずかせる。
稼ぐ稼がないは別にして、路上で歌うことは俺にとってその国を知るために欠かせないこと。
それなのに、お金がたくさんあるという事実は確実にやる気を削いでいる。
死に物狂いでいい歌を歌わないと明日の飯にありつけない、という状況には程遠いものになっていた。
これが俺の望んだこと。
オーストラリアとニュージーランドとシンガポールで、アジアの旅費を稼ぐ。
計算通りにやれているというのに、これが本来の旅を阻害しているのかと思うと、本当に正しかったのかと思えてくる。
かといって今ある金を全てどっかに寄付でもして自分を追い込むような勇気などなく、潤沢な資金というぬるま湯に体ごと浸っている。
胸は疼いている。その疼きを感じながらも暗闇の中で、タイに来られたらお会いしましょう、ベトナムに来られたらお会いしましょう、という優しい人々のメールに陽気に振舞ったメールを送り続けた。
そんなメールの中に、日本のとある有名雑誌のライターさんからのものがあり、現代の冒険家、という特集の中で俺のことを紹介させてもらえないかというものがあった。
冒険家………
植村直己のような人に冠される、ずっと憧れていた言葉。
その言葉が持つ孤高のイメージはいつも胸の片隅にあった。
冒険家、か。
素直に喜べない理由はわかっている。
このままじゃいけない。
旅はまだ終わってないんだ。
ライターさんとのやり取りを少しして、溜まっていた日記を書く。
お腹は空いているが、それも無視して没頭した。
ようやく起き上がって、汚れていた服を手洗いし、シャワーを浴びた。
上半身裸のまま屋上に上がってタバコに火をつけた。
生ぬるい風がまだ濡れた体をすぐに乾かしてくれる。
夕日が高層ビルを照らし、空が赤く染まるのを見ていると、ふいに胸が締めつけられた。
締めつけられたその中身を覗き込むとまるで空っぽになってしまったようで、涙が出そうになった。
俺は何をやってるんだろう。
なんでこんなに切なくなってしまうんだろう。
ちくしょう、ここは一体どこだよ。
わからなくなる。
どこまで行けば終わるんだろう。
若いころ
読みかけのままでなくした小説
あの本の終わり方を誰が知っているだろう
夜になって宿を出た。
人でごった返すチャイナタウンのアーケードの中で満子さんに会った。
胸の中が空っぽになっていることを悟られそうで笑顔を作ったが、ぎこちない言葉しか出てこなかった。