3月22日 土曜日
【アルゼンチン】 コルドバ
バスは深夜にコルドバのターミナルに滑りこんだ。
荷物を受け取りタバコに火をつけると、冷たい夜の風にぶるると震えた。
サンチアゴから結構気温が下がったな。
ターミナルの中のベンチにドサリと倒れる。
あー、また全然眠れてない。
疲れた体で頭をかくんかくんさせながら日記を書く。
驚くことにターミナルの中にフリーのWi-Fiが飛んでいた。
アルゼンチンやっぱりすげえな。
いろんな人が歩いている。みんなどこかへ向かう途中。
眠りこけてるおじさん。大きな荷物を持ったおばさん。
インディアンの顔をしてる人はもうまったく見なくなった。
エクアドルやペルーではほとんどかそうだったよな。
ドアが開くたびに吹きこむ冷たい風に震えながら、目の前の静かな夜明け前の出来事を眺めていた。
朝になりターミナルの人に道をたずねて回る。
その住所に行きたいならこのコレクティーボに乗りなと優しく教えてくれたお兄さん。
10アルペソ、1ドルを払って小さなサイズのバスに乗り込んだ。
街の中を走るバス。高いビルが並び、人が歩道を埋め尽くしている。結構大きな街だな、コルドバ。
これで一体何個目の街だろう。
数え切れないほどの街、そして数え切れないほどの人生。
みんなその街で暮らしている。子供の頃から、死ぬまで。
そこが体の一部のように染みついているはず。俺の宮崎がそうであるように。
路地裏も、商店も、仲のいい友達も、みんな故郷の檻の中。
近くになったら教えてやるよと言ってたドライバーさんだけど、一向に教えてくれる気配がない。
すでに40分くらい走ってるんだけどなぁと不安になりながらも窓の外を眺めながらバスに揺られる。
「ヘイ、チーノ、この辺りだぜ。そこの商店でまた道をたずねな。」
笑顔のカッコいいドライバーのおじさんにお礼を言ってバスを降りる。
走り去るバス。
太陽が照りつけ、寂しげな道路にぽつんと立つ俺。
電車がゆっくりと走っていく。
そこは完全に街から外に出た郊外の住宅地だった。
教えてもらっていた住所を見ながらとぼとぼ歩いた。
未舗装の土の道があみだのように広がってる住宅地の中はまるで迷路みたいで、どこを曲がっても同じような風景。
子供が走って遊んでおり、爺さんが庭の手入れをしている。
これ以上ないようなローカルエリア。
一体どこだよここは。
木漏れ日が揺れて、道はまっすぐのび、まるで映画の中のワンシーンみたいだと思った。
体は疲れ果てている。
こんな名もない街の郊外の住宅地、こんなところを彷徨っている状況がおかしくて笑えてくる。
すべては巡り合わせで、自分が望むかどうかで全部変わってしまうんだよな。
1軒の家の玄関に着き、ヒモを引っ張ってベルをチリーンと鳴らした。
しばらくして人が出てきた。
1人のおばさん。
玄関に立つ大きな荷物を持ったアジア人を怪訝そうな顔で見ている。
しかし次の瞬間、その曇った表情が何かを思い出したようにパッと明るくなり、おばさんは俺を抱きしめた。
「フミーー!!あなたがフミね!!話は聞いてるわ。さぁ、入って入って。今日からここはあなたの家よ!!」
おばさんに手を引かれて家の中へ入った。
どこにでもある普通の家。
奥から娘さんのカミラとお父さんが出てきた。
みんな初対面。
でもみんななんの疑いもない笑顔で抱きしめてくれる。
ここはあのヘロニモの家。
エクアドルで長いこと一緒にバスキングをし、俺に南米の旅の仕方を教えてくれたあのヘロニモ。
ここが俺の南米最後の目的地。
「ホラ、ここがあなたの部屋。好きに使ってね。先にシャワーにする?それともご飯食べる?ハンバーガー作ってあげるわね。洗濯物はある?あー、私質問しすぎね!!」
「ママ、フミはサンチアゴからバスで来ててとても疲れてるんだから休ませてあげなよ。」
「大丈夫です。シャワー浴びたいです。」
荷物を部屋に入れ、熱いシャワーを浴びた。
それから外の庭に行くと、綺麗な芝生の上に置かれたテーブルにご飯が用意されていた。
緑色が輝く、空は抜けるように青い。
柔らかい風が吹いて、すぐに体を乾かしてくれる。
ビールをついでくれるママ。
魚のすり身のフライとサラダ。
そんなシンプルなご飯がとても落ち着いた。
「フミ、ヘロはどんな子だった?フミに嫌な思いをさせなかった?ちゃんとご飯を食べてベッドで寝てた?楽しそうにしてた?」
ヘロニモのことが心配で仕方ない様子のママ。
ヘロニモから、ママは昔70年代にヒッピーをやっていて世界中を旅していた人だから俺たちのことをとても理解してくれているんだ、と聞いていた。
どんなジャニスジョプリンみたいな人だろうと想像していたんだけど、ママは本当にどこにでもいる普通のおばさんで、どこにでもいる普通お母さんだった。
「ヘロはいつも正直で誠実でした。清潔だしゴミをポイ捨てしたりしないし、周りを気遣っていました。いつもバスキングのあがりを、僕は歌ってないからと言って僕に多く渡そうとする男でした。」
「おお……ヘロ…………あのヘロがそんな………」
「美味しいご飯を作ってくれたし、僕がスペイン語がわからないので彼が通訳してくれてました。」
「でもヘロは英語は喋れないはずよ?ご飯だってここでは作ったことなんてないわ。」
「ヘロは、きっと旅の中で色んなことを身につけているんだと思います。」
ママが目を細めて空を見上げる。
ヘロの妹のカミラも兄さんのそんな話をワクワクした目で聞いている。
そのおどけた顔がヘロそっくりで、なんだか切なくなってしまう。
ヘロニモ、いい家族だな。
お前とマリアンナと過ごした日々が早くも懐かしいよ。
このまま歌いに行こうと思っていたんだけど、ママの話では昼はシエスタで人がまったくいなくなるので今行っても歌えないわよとのこと。
シエスタとはお昼休みのこと。
今日はなにやら3連休の初日らしく、さらに人がいないということ。
「大丈夫、私がバスキングに1番いい場所を知ってるから夕方からそこに行きましょう。それまでベッドで休みなさい。疲れたでしょう。」
疲れてはいる。でも夜通しのバス移動なんてこの南米でどれくらいあっただろう。これくらい大丈夫だ。
これくらい大丈夫、と思いながらベッドに横になると、予想以上に一瞬で眠りに落ちた。
「フミ、フミー、そろそろ行くわよー。」
ママの声にガバッと飛び起きた。時間は18時を過ぎている。
おお……すげえ疲れてるな……
頭がぼーっとしてすぐに立ち上がれない。
「帰ったらアサドを作りましょう。アルゼンチンのバーベキューはとても美味しいわよ。」
そんな嬉しすぎることを言ってくれるママ。
よし!!もう今日は路上はなし!!
ママと一緒に車に乗って街に向かった。
「コルドバからブエノスアイレスまでは電車が1番安いわ。でも電車は本数が少ないからすぐ埋まってしまうのよ。バスならすぐに乗れるけど高いわ。」
「アルゼンチンでお金を両替する時は気をつけてね。正規のレートと個人レートは全然違うからね。」
ドライブしながらいろんなことを教えてくれるママ。
カタコトだけど英語がしゃべれるし、かつて世界中を旅していた彼女はとてもオープンな考え方を持っている。
と同時に今は落ち着いたどこにでもいる優しいおばさん。
その懐の深い雰囲気に話していてとても心地がいい。
「さ、着いたわ。きっとフミはここが好きなはずよ。」
綺麗な街並みの中心地に入っていき、しばらく細い道を曲がっているとたくさんの人が歩いているエリアがあった。
ほんの細い道の両脇にセンスのいいアンティークショップやカフェが並ぶ、とてもオシャレなエリア。
そして通りに面した公園と2つの道がホコ天になっており、そこにズラリと様々な出店が並んでいた。
ママが言うにはハンドクラフト、手芸のマーケットらしく、服やアクセサリー、楽器、置物など、本当に様々な物が売られている。
ハンドクラフトだけではなく、アンティークのお店、植木屋さん、レコードショップ、とにかくワクワクしてくるようなセンスのいいお店ばかりが通りにひしめき、ものすごくたくさんの人々が楽しそうにお買い物している。
「昔、私が旅を終えた頃、30年以上前ね、ここで仲間たちとハンドクラフトの露店を出したの。最初のころはまだ10店くらいしかなかったわ。今はこんなに増えたけどね。もう昔の仲間たちもほとんどいなくなって、私も随分長いことここにも来てなかったわ。でもフミに見せたくてね。」
ママと2人で露店を見て回る。
ライトがついて、通りをささやかに染めあげる。
フミ!!これなんかどう?と手編みの服を選んでいるママ。
俺もとても楽しい。アンティークが好きで、よく日本でも骨董市があるとのぞいていた。
このコルドバのマーケットも、どれもとても可愛く個性があって、見ているだけで楽しい。
昔のヒッピーだったママ。
こうして仲間たちと色んなことをやってきたんだろうな。
何人かの露店のおじさんやおばさんとハグしていたママ。
当時の仲間だったみたい。
何を話してるかわからないけど、この子はフミというのとみんなに紹介してくれた。
ようこそ、とみんなハグしてくれた。
こんなこの街の歴史の全てが詰まったような場所に連れてきてもらえて本当に嬉しい。
ここ大好きだよママ。
コルドバが一気に大好きになった。
マーケットの賑わいをしばらく楽しみ、それからまた車に乗って家に帰る。
途中、お肉屋さんに立ち寄るママ。
お店のおじさんもとても優しく、これがアルゼンチンの肉だ!!とわざわざ冷蔵庫から大きな肉の塊を出してきて見せてくれた。
なんだろう、この飾らない街の人々は。
まるで昔から知っていた街のように全てが心を落ち着かせてくれる。
家に戻ると、お父さんのルイスがすでに火をおこして俺たちの帰りを待ってくれていた。
庭にバーベキューの窯があり、いつでもアサドが作れるようになっているのはさすがアルゼンチンだよな。
ルイスが買ってきたお肉を長年の経験が裏打ちする絶妙な火加減で焼き上げてくれた。
さぁ、噂に聞いたアルゼンチンのアサド。
その味は…………
うん、これまでの南米のご飯に対する不満、全部帳消し。
うますぎる。
もう叫びたくなるくらい美味い。
こんな美味しいお肉、日本で食べようと思ったらどれだけ大枚はたかないといけないか。
それをこんな日常的に食べられるなんて!!!
「フミ、これも食べて。チョリパンっていうアルゼンチンでみんな食べてるものよ。」
太いチョリソーをカリッと焼いたパンに挟んだもの。
これが信じられないくらい美味かった。
今まで食べた海外のご飯のトップ3に間違いなく入る衝撃の美味さ。
うますぎてガッついてる俺に、慌てないで、とニコニコしながらママはビールをついでくれた。
大満足のご飯を食べて、ママと2人でビールを飲みながら話をした。
今夜は土曜日の夜。娘のカミラはおめかしをして男友達とダンスに出かけて行った。
ルイスは部屋の中でテレビを見ている。
実はこのルイスはヘロのお父さんではなかった。
ママの現在のボーイフレンドで、本当のお父さんとはずっと前に別れて、彼は今もこの近くに住んでいるんだそう。
「随分、時間が経ったわ。色んなことが過ぎ去ったわね………」
今日、久しぶりに昔の仲間に会って若い日を振り返っているんだろう。
椅子にもたれ、空を見ながらタバコを吸うママ。
遠い昔の輝いた青春の日々。
俺もきっとそんな日が来るんだろうな。
「ヘロが言ってたわ。フミは素晴らしい男で僕は彼のことを愛してるって。必ず来るはずだからどうかもてなして欲しいって。」
ヘロ、ありがとう。必ず来るつもりだったよ。約束したもんな。
いつか、ずっと時が流れた後、俺たちも再会してハグして、一緒に旅した日々を語り合おう。
会えてよかった。
やっぱりアルゼンチンは大好きな国になると思ってたよ。
会えてよかったよ、ヘロニモ。