9月23日 月曜日
【アメリカ】 ロサンゼルス
嵐の週末が終わった。
充分とはいえないが、金はもうこれでいい。
1500ドルは稼ぎたかったところだけど、このロサンゼルスで貯められたのは800ドル。
これから中南米でも出来る限り歌って、この手持ちを減らさないようにアルゼンチンまで行かないといけない。
かなり厳しい道のりになるだろうけど、覚悟の上だ。
もうマンハッタンビーチには戻らない。
この長かったロサンゼルスの思い出を辿るように、今日は違う場所に行こう。
ヘンリーが作ってくれたフレンチトーストと卵を食べ、荷物を置かせてもらって部屋を出た。
バスを3本乗り継いでやってきたのは、
サンタモニカビーチ。
海に突き出した桟橋の上に遊園地があるこのサンタモニカは今日もたくさんの観光客で賑わっていた。
マンハッタンビーチの落ち着いた雰囲気にすっかり慣れていたので、とても慌ただしく感じる。
そんなサンタモニカの桟橋に背を向けて歩き、いつもの遊歩道沿いのアパートの前にやってきた。
バスを3本も乗り継いでこんなに遠くまで来たのは、もちろん金を稼ぐためではない。
あの人に会うため。
そしてありがとうとさよならを言うため。
アパートの前でギターを鳴らした。
この辺りまでは観光客もやってこず、歩いているのはみんな地元の人たち。
そしてみんな俺のことを覚えててくれて、お、戻ってきたのかい?と声をかけてくれる。
アパートの窓から顔を出した人たちが夕陽を眺めながら歌を聴いてくれる。
そして窓から拍手をしてくれたかと思うと、わざわざ降りてきてくれてお金を入れてくれる。
中にはわざわざ魔法瓶のボトルにスープを入れて持ってきてくれるおばちゃんも。
やっぱりここサンタモニカも良いところだなと思っていたら、エントランスの中から手を振る人が見えた。
可愛いダックスフンドを連れている小柄な女性。
そう、エリナおばちゃん。
彼女に会いにここに来たのだ。
「フミ、元気にしてた?お金は貯まった?危険なことはなかった?」
色々と心配してくれるエリナおばちゃん。
可愛らしい、柔らかい笑顔に心が和む。
あなたにもう一度ありがとうを言うために来ましたと伝え、この曲を聴いてもらった。
フリーバード。
明日この町を出て行くけど
僕のことを覚えていてくれるかい
僕は旅に出なければいけない
行くべき場所がたくさんあるんだ
もし俺がここにとどまっても
このままでいられるはずもない
だって俺は自由な鳥
誰にも変えられない自由な鳥なんだ
歌を終えるとエリナおばちゃんは泣いていた。
そしてハグをしてくれた。
小柄なエリナおばちゃんの柔らかい体がとてもか弱く、愛おしく感じる。
「あなたは優しい心を持っているわ。きっとどこに行ってもあなたの周りには素晴らしい人が集まるはずよ。フミ、もう一度ハグして。」
エリナおばちゃんは何度もさよならを言い、アパートに帰ろうとするたびに立ち止まって戻ってきてハグをしてくれた。
俺も別れ難い。
こんなどこの馬の骨とも知れないみすぼらしいアジア人なのに、エリナおばちゃんは優しいハグを何度もしてくれた。
ありがとう。
この気持ち、絶対忘れないです。
ありがとう、エリナおばちゃん。
「いい声ね、一緒に飲みたいわ。」
すると、エリナおばちゃんとのやり取りを見ていた女の人が何やらお皿を持ってやってきた。
お皿にはブドウとチーズとクラッカー。
そして赤ワインとコップ。
さらにキャンドルを持ってきて火を灯すという、このカッコよすぎる演出をサラッとやってしまうところが人生の楽しみ方をよく知っている白人らしい。
このウルトラ美人の女の人と、サンタモニカの真っ赤な夕陽を見ながらワインで乾杯した。
まるで映画のワンシーン。
それを当たり前にキャスティングできてしまえるのがこの西海岸の美しい夕陽だ。
「もっと歌って。あなたの声は夕陽とワインにピッタリだわ。」
空が黒一色になり、外灯の明かりがつく。
美女はアパートに戻って行き、俺もギターをしまった。
最高の路上だったな。
今日は稼ぎにきたわけではないけども、30ドルも入ってしまった。
普段からしたら少ないけども、金ではなく、最高の路上だった。
「ハーイ、フミ、ここにいたのね。探したわよー。さ、行きましょ!」
ひと気のなくなった通りにやってきたのはジャニスとケンジさん。
渡したいものがあるから今日もう一度会おうということになったのだ。
車に荷物を積み、今夜も晩ご飯をご一緒させていただいた。
「いつもいつもありがとうございます………2人に何もお返しすることがないです………」
「フミ、まったく気にすることないけぇ。ワシたちはフミが好きじゃけぇやっとるんじゃ。それにフミは気づいてないけど、たくさんのお返しをしてくれとるよ。」
今日も会話は弾み、俺の話にニコニコと笑ってくれるケンジさんとジャニス。
2人の好きなステーキ屋さんで食事しながら大笑いした。
「そうかそうか、フミの彼女はシティーガールなんだな。旅は好きじゃないか。」
「あら!私は山登りもキャンプも大好きよ!!」
食事を終え、ヘンリーの家まで送ってもらった。
ここで別れたら、もう2人に会うことはない。
たくさんのものをくれた2人。
色んなことを教えてくれた。
いつも気にかけてくれ、心配してくれた。
何も返すものがない。
というか何を返すべきなのか?
レストランでのお食事?
アクセサリー?
花束?
そんなものをもらって2人がたいして喜ばないことなんて分かり切っている。
俺に出来ることは本当にひとつしかない。
アパートの前、夜の車道にギターを響かせて歌った。
「フミ、元気で旅するんだよ。」
「日本に帰って本を作ったら是非送ってくれ。」
何度も強くハグをした。
笑顔の2人の頬にいくつも涙が流れていた。
俺も目が熱くなる。
これまでもたくさんの人と出会い、別れてきた。
家族のように優しくしてくれた人たちもたくさんいた。
でも日本を旅してるころは、そんなに別れに寂しさを抱くことはなかった。
だって同じ日本だから。
会おうと思えばいつだって会える。
でもここは海外。
また会える可能性はぐんと低くなる。
もしかしたら、もう2度と会えないかもしれない。
この笑顔にもう触れられないかもしれない。
この地球上、人はどこにでも住んでいる。
無数の島や、深い山の中や、不毛の大地で、それぞれの人生を歩んでいる。
毎日の食事があり、決まった時間に仕事に行き、学校に行き、美容室で髪を切ったり、帰り道の坂道を息を切らして上ったりしている。
それらの無数の何気ない人生を思うと、胸がドキドキしてくる。果てしないロマンを感じずにはいられない。
全部見たい、全ての人に会いたい、そう思ってた若い頃。
しかしそんなこと無理な話。
全ての人に会うことはできないからこそ、今このケンジさんとジャニスの笑顔が俺に向けられている奇跡に、俺との別れに涙を流してくれている幸福に、心から感謝する。
車に乗り込んで走って行ったケンジさんたちに手を振る。
人を愛おしく思える心の存在に、最近気づくことができたと思う。
人の髪の毛とか、耳の形とか、そんな何気無いことに可愛らしさを感じる。
きっと大人たちはみんなこの感情を持っているんだろうな。それだけでとても尊敬に値する。
これからももっともっと、この気持ちが大きくなったら、俺も優しい男になれるかな。
今はまだ小さすぎるけど。
この暖かい気持ち、しっかり持っていたいな。