9月22日 日曜日
【アメリカ】 ロサンゼルス
桟橋の下、体を起こす。
んー………昨日の疲れがとれてない………
砂の上は柔らかくて寝やすいので腰が痛くなることもないんだけど、昨日1日中立ち続けて歌ったのはかなり体力を消耗してるみたいだ。
それでも今日は日曜日。
歌えよー!!と言わんばかりの快晴の空。
すでにビーチバレーをする人々で賑わっている。
気合い入れて歌うぞ。
いつものボンズマーケットで朝・昼ご飯を買い、スターバックスの外に座って腹ごしらえ。
日曜日のスターバックスはすごい数のお客さんで賑わっていて、表までごった返している。
可愛い犬を連れてのんびりコーヒーを飲んでる人たち、競輪選手みたいなカッコいいウェアーに身を包んだサイクリング途中の人たち、サーフィン帰りのウェットスーツ姿の兄ちゃん、毎日パソコンをいじってるお爺ちゃん。
スターバックスがオシャレでもなんでもなく、近場の喫茶店みたいにごく日常の一コマとして何気なく利用されてる。
みんなすぐに話しかけてくる。
その朝の小さな会話が楽しみで来てる人も多いだろうな。
俺もブラックローストを注文し、ゴミ箱に少しこぼして空きを作り、砂糖を5袋とホールミルクで朝のいつものコーヒーを作る。
毎朝のコーヒーなので店員さんも俺が言う前からブラックロースト?って聞いてくれる。
すでに顔見知りも多く、外でご飯を食べてると、今日は何時からだい?いつからメキシコ入りなんだい?と地元の人たちが話しかけてくる。
慣れ親しんだマンハッタンビーチ。
大好きなこの町と海。
今日が最後の路上だと思うと、寂しくてしょうがなかった。
暖かな日差しの中、桟橋にやってきた。
昨日みたいに冷たい風が吹きすさんでおらず、おだやかな海風がとても気持ちいい。
ビーチバレーをする人たちの楽しそうな声、ゆるやかに空を舞うフリスビー。
余計な音が何もない。
やわらかい自然の音の中、ギターを鳴らす。
体の疲れはどうしようもない。
お腹に力が入らない。
立ってるのもきつくて、へたりこんでしまうが、これがマンハッタン最後の路上なんだから恥ずかしいことやったらいけないと根性で歌い続ける。
のだが、やはりキツイ。
もうこりゃ今日はダメかな……と思いつつも頑張っていたら、少ーしずつ調子が上がってきた。
本調子でなくとも立ち止まって聴いてくださる人々のために気合いを振り絞って歌っていたら、しばらくしてダルさもどっかに行ってしまい、いい声が出始めると、顕著なものでさっきまで全然入らなかったお金が次から次に入っていく。
諦めたらいけない。
先がどうなるかはやれるとこまでやってみないとわからんよな。
夕日が沈んでいく。
真っ赤な大きな塊が、海にじゅううと音を立てるように。
この世界から光を発してくれていたものがなくなる。
でもここから光がなくなれば、次に照らされる場所がある。
今こうして水平線の向こうに沈んで行っているけども、それは同時にどこかの日の出でもあるんだよな。
マンハッタンビーチ最後の夕日は、今までで1番の最高の美しさだった。
あがりは127ドル。
「ハーイ!!フミ!!元気にしてた!?」
すっかり日もくれて暗くなった桟橋に、元気で陽気な声が響いた。
声の主は、ジャニス。
この前一緒に芋煮会に行った時に、俺がジャニスの車の中に袋を置き忘れてきてしまったのだが、それを持ってきてくれたのだ。
「友達ができてそこに泊まってるの!?素晴らしいわ!!私たちはいつもあなたのことを心配してるのよ。」
荷物を片付けて駐車場に行くと、ニコニコしたケンジさんがいた。
荷物を届けに来てくれたついでに晩ご飯に誘っていただいた。
ドライブしながら今日もたくさん会話をした。
お2人の柔らかい空気に触れると、とても気持ちが和んでまるで日本語で喋ってるかのように気兼ねすることなくお話ができる。
「フミ、僕たちは昨日今日とマンザナールというところに行ってきたんだよ。そこにはこういうものがあるんだ。読めるかい?」
ケンジさんが1枚の写真を見せてくれた。
荒野の中にポツンと白い塔が立っている。
もちろん、漢字も読める。慰霊碑と書いてある。
「フミ、ここはね、かつて戦時中にアメリカに住んでいた日本人を収容したキャンプがあったんだよ。僕らは毎年この時期になると日系人のみんなとここにお参りに行くんだ。」
第二次世界大戦中、もちろんアメリカにはたくさんの日本人、日系人が住んでいた。
母国と戦争をしている敵対国にいるんだ。
彼らに対する風当たりはそれはそれはひどいものだったそう。
そんな中、日本人は強制収容所に連行される。
1万人規模の収容所がいくつもあったらしいのだが、それらのすべてが海から内陸に入った何もない荒野に作られた簡易的なもので、夏場は凄まじく暑くなり、冬には雪が降るという劣悪な環境にあったそう。
そんな生活が4年間に渡り続いたことでたくさんの死者が出たそう。
戦争が終わり、収容所が解散しても、差別と迫害を恐れた日本人たちはかつての町に戻ることを恐れ、ガソリンを飲んだりして自殺したそうだ。
もちろんそれだけではなく、祖国の人々の命がたくさん散ったことを憂いての自決ということもあるだろう。
なんにせよ、日本本土だけでなくこのアメリカの地でも戦争によって命を失った日本人はたくさんいたという事実を初めて知った。
こんな話、日本ではまったく教えてもらえないからな。
現在、マンザナールの地には何もない。
グランドキャニオンのような険しい山々と乾いた砂地の荒野が広がっているのみ。
そこに博物館と慰霊碑がポツンと立っているだけだそう。
写真には色あせた千羽鶴がお供えしてるのが写っていた。
カリフォルニアに住む日本語、日系アメリカ人たちが毎年お参りし、千羽鶴を取り替えているそう。
ロサンゼルスにはたくさんの日本人が住んでいる。
今や完全に市民権を得て、みなおだやかに生活をしている。日本文化もすっかり浸透し、根付いている。
しかしここまでくるためにどれほどの辛酸があったことか、歴史をみると痛いほどに身に沁みる。
当事者たちの苦労はいかほどだったことか。
だからこそ、今の日本文化の架け橋になってくれた日系アメリカ人に対して最敬礼をしなければいけないよな。
そんな日本人の文化を大事にしているケンジさんとジャニスが連れて行ってくれたのは、ほんの小さな日本料理屋さん。
小料理、吾妻というお店。
ロサンゼルスの中にあって外見はただの居酒屋。そして中に入ってみると、輪をかけてただの居酒屋だった。
「いらっしゃいませー!!奥のお席どうぞー!!」
威勢のいい声はもちろん日本語。
お客さんもほとんどアジア人だ。
なんと30年ここで営業をしている老舗らしいのだが、料理を食べたらその理由がわかる。
完全なる日本クオリティ。
刺身もコロッケも天ぷらも、すべて日本の味が再現されている。
めちゃくちゃ美味い上に、値段!!
この絶対に食べきれないサイズのプレートが、ご飯おかわり無料で11ドルとか。
他の一品料理も7~8ドルだし、ハッピーアワーだとサッポロビールが1杯1ドルという、日本の繁盛店クオリティのサービスまである。
うますぎるー!!と大喜びでがっつく俺を嬉しそうに見ているケンジさんとジャニス。
この2人とももうすぐお別れと思うとものすごく寂しかった。
ご飯を食べ終わってホーソーン地区にあるヘンリーの家まで送ってくれた2人。
家に着いて、2階の窓に向かってヘンリー!!と呼ぶが、返事がない。
どこか出かけているのかもしれない。
時間はすでに22時。
僕ここで帰ってくるの待ってますとケンジさんたちに言う。
「フミ、ダメだよ。こんな夜に1人でいてはいけない。危ないから一緒に待っててあげるよ。」
どこまでも優しく、俺を気遣ってくれる2人が、数日前に出会った人とは思えないほど安心感をくれる。
まるで身内のような、そんな気にさえなる。
俺は子供じゃない。
ここまでずっと旅して来て、それなりに男としての自信もある。
でも2人の大人としての優しさに包まれると、どこか子供に戻ったように甘えてしまう。
しばらくして、もう一度窓に向かって呼びかけると、窓から人影が見えた。
「あー!!フミ!!ごめんごめん!!すぐ出るよ!!」
その声を聞くと、ケンジさんとジャニスはようやく安心してくれて笑顔で車に戻って行った。
優しい人たちに助けられ続けたロサンゼルスの日々ももうすぐ終わる。
長かったアメリカの出国まであと3日。
「ヘーイ!!フミ!!今日はなんの酒を飲もうか!!映画も観ようぜ!!」
ヘンリーとディーと一緒に夜の通りを歩いた。